宴へ
「御嬢様……御時間が……。さあ、こちらを」
「はぁ……」
私は力なく溜息を吐き、並んだドレスの中から、適当に真紅のシルクを選んだ。血のように赤い、その色が、今の私には酷く毒々しく見えた。
「これ……これでいいわ」
「畏まりました。素晴らしいお色ですわ、御嬢様!」
メイドたちの手によって、私の体は締め付けられていく。
コルセットが肋骨を圧迫し、胃の中の「空虚」をさらに強調する。肌を刺すレースの感触が、嫌に敏感になった神経を逆撫でする。
宝石が首元に飾られ、髪が結い上げられる。
鏡の中に完成したのは、誰もが見惚れるような、傲岸不遜で美しい「悪役令嬢」の姿だった。
「お姉さま~! 準備できたー?」
弾けるような声と共に、妹のレイラが部屋に飛び込んできた。
彼女は私とは対照的に、若々しいピンクのドレスを揺らし、無邪気な笑顔を振り撒いている。
「レイラ……。あなたはいつも元気ね。羨ましいわ」
「お姉さま、お顔、真っ白で元気そうじゃない」
「はぁ……」
苦手なタイプだなと、溜め息が漏れる。
「私が元気なんじゃなくて、お姉さまが特別元気ないだけよ。ほら、早く行きましょ! お父様達が待ってるんだから!」
レイラに腕を引かれ、私は引きずられるように部屋を出た。
長い廊下を歩き、一階の階段ホールへと差し掛かる。
吹き抜けになったホールからは、階下で待つ父と母の話し声が、反響して私の耳に届いた。
「アンナの様子はどうだ?」
父の、低く威圧的な声。
公爵フェレンツ。彼はこの国でも最強の魔術師の一人であり、その冷酷さで知られている。
「良くないわね。あの時から、まるで別人よ……。食事も摂らず、ぼんやりとして。まるで、悪魔にでも憑りつかれたのかしら」
「私達の娘だぞ。悪魔になど。アンナはそんな軟弱ではないはずだ。……単なる、階段から落ちたショックによる、一時的な変調に過ぎん。杞憂だ」
父の声には、確信に近い冷たさがあった。
「なあに。今日の宴に行けば、すぐ元気になるさ。あの娘は、宴が開かれないショックで塞ぎ込んでしまっただけかもしれない。宴の贅沢な食事と、煌びやかな光が、一番の薬になるはずだ」
「そうだといいけれど。せっかくの『機会』が台無しになっては困りますもの」
母の言った「機会」という言葉。
それが、私の脳の奥に、鋭い痛みを走らせた。
(貴族って……。)
私は、自分の腕を強く掴んだ。指先が、ドレスの生地を食い破らんばかりに震える。
(……機会? 悪魔? 違う。そうじゃない)
私は階段の手すりに手をかけ、一歩、また一歩と降りていく。
階下で見上げる両親の瞳。それは、前世の記憶でぼんやりと浮かぶ両親とは違い、愛する娘を迎える瞳ではないように感じられた。
実験の結果を待つ観察者か、あるいは、ようやく動かせるようになった「道具」を検分する職人の目のように
、私の瞳には映る。
「おお、アンナ。ようやく来たか。見違えるようだぞ」
父が口角を上げ、満足げに私を眺める。
「さあ、馬車へ乗れ。今夜の主役は、我がフェレンツ家の美しき『アンナ』だ」
「……はい、御父様」
私は、乾いた声で答えた。
胃の奥に広がる空虚が、今や焼けつくような渇きに変わっていた。
何かが、足りない。
何かが、どうしても食べたい。
けれど、この屋敷にあるすべての食事が、私にとっては「不浄なゴミ」にしか見えなかった。
馬車に乗り込み、窓の外に流れる夜の街を見つめる。
私の隣で楽しそうに喋り続けるレイラ。
(……変ね。本当に、変だわ)
私は、自分の口の中に溢れてくる、粘り気のある唾液を飲み込んだ。
初めて、美味しそうなものの「予感」を、その音の中に感じてしまった自分を、殺意にも似た恐怖で抑えつけながら。




