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剣より重い計算式(ロジック) ~異端の査定員エマ・ルミナスの監査報告~  作者: 二進
第1章:辺境の死神と『奈落』の番犬

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第6話:中央の監査 II ――沈黙の計算式と、廃棄の足跡

 夜の帳が下りたシュタール支部。


 静まり返った執務室で、エマ・ルミナスはヴェインから渡された「青い書類」を検分していた。


 勇者パーティ『アヴァロン』への緊急補給物資。

 表向きの名目は「最前線での魔導回路損傷に伴う、迅速な代替品の支給」だ。


 だが、帳簿の奥に潜む「数字の肌触り」が、エマの神経を逆撫でして止まない。


「……輸送中の『自然故障』による廃棄処分。理由、魔導回路の経年劣化。


 ……不合理です。勇者パーティに支給されているのは、ギルドの最新鋭『第4世代・極型(キョクガタ)』のはず。設計上の耐用年数は15年。経年劣化など、計算上あり得ません」


 エマは氷砂糖(コオリザトウ)を奥歯で噛み砕き、眼鏡の弦に触れる。


 意識を集中させ、魔導式解析眼(トレース・アイ)の深度を1段階上げる。

 視界から色彩が消え、世界が無機質なワイヤーフレームと魔力波長に書き換えられていく。


 それは魔法という神秘を、純粋な物理データへと解体する監査官の視点だ。


 書類に押された「廃棄承認」の魔導スタンプ。

 その残留振動に、微かな、しかし決定的な迷いがあった。


 承認者が、不都合な真実を知りながらペンを走らせた時の、統計的な揺らぎ――不一致(エラー)だ。


「……承認者の署名振動が、正規の基準値からコンマ3秒ズレています。


 ヴェイン記録官……貴方はこの書類を、自分の『正義』で書いたのではない。誰かに書かされたのですね」


 エマは震える指先で書類의 縁をなぞる。

 彼のような完璧主義者が、これほど不自然な「不備」を見逃すはずがない。


「ヴォルフ、北区の廃棄場へ向かいます。雨でノイズが洗い流される前に《《実物》》を叩きます」


「……あそこか。雨が降り始めた。行くならこれ以上、体温を落とすなよ。お前の予備の肺は、俺の予備の剣より役に立たないんだからな」


 ヴォルフが重厚な黒のロングコートを、エマの細い肩にかけた。

 コートの重みだけでエマの身体が僅かに沈み、彼女は小さく不満げな声を漏らしたが、それを拒む体力は残っていなかった。


     * * *


 工業都市シュタールの最果て、北区廃棄場。


 降りしきる雨が、放置された機械や建材の錆を溶かし、鼻を突くような金属臭を漂わせている。

 そこには、役目を終えた魔導具の残骸が、巨大な墓標のように積み上がっていた。


「……ヴォルフ、止まってください。


 あのガラクタの山の、下層3メートル。周囲と明らかに波長の違う、淀んだ魔力反応を検知しました」


 ヴォルフの背中に隠れるようにして、エマは再び魔導式解析眼(トレース・アイ)を「鑑定・凝視」に切り替えた。


 網膜を、色彩を排したスペクトルデータが高速で流れる。


「……見つけました。ヴェインが『事故』で谷底に捨てたと報告した、補給馬車の生き残りがそこに眠っています」


 ヴォルフは無言で頷くと、大剣の(さや)を使い、泥に埋もれた鉄屑を力任せに跳ね除けた。


 その怪力によって抉り出されたのは、泥と油に塗れ、無惨に歪んだ掌サイズの金属塊だった。


 エマは泥を厭わず、白い手袋を汚しながらそれを手に取った。


 本来、勇者パーティへ支給される最高級魔導回路であれば、その残留魔力は極めて純度が高く、クリアな青色を示すはずだ。

 しかし、エマの眼に映ったのは、濁ったおりのような「安物の色」だった。


「……決定的な不一致。刻印されているシリアルナンバーは『第4世代』ですが、内部の魔導組成は旧式の『第2世代』。


 ……いえ、最初から動作保証のないジャンク品を、外装だけ積み替えたガワ替え品(ガワガエヒン)です」


「……つまり、どういうことだ?」


 ヴォルフが雨を凌ぐように一歩前に出る。


「ヴェイン、あるいはその後ろ盾は『中身を安物にすり替えた馬車』をわざと事故に遭わせ、廃棄処分にしたのです。


 本物の高価な回路は、裏で横流しして利益を得ている。そして、事故を装うことで、ギルドからは輸送保険金をせしめている……。実に効率的で、浅ましい粉飾決算です」


 エマの声は、雨音よりも冷たく響いた。


 ヴェインが必死に守ろうとしていた「平穏」とは、母の薬代のために汚した手の、その言い訳に過ぎない。


「……ヴォルフ、ノイズです」


 エマが呟くと同時、背後の物陰から微かな金属音が響いた。

 ヴォルフの琥珀色の瞳が鋭く収縮する。彼はエマの前に立ち、言葉もなく闇へと視線を向けた。


「……お前は計算を続けろ。数秒で済む」


 ヴォルフが影のように沈み、雨の闇の中へ消える。


 直後、鈍い打撃音と、短く断ち切られた(うめ)き声が一度だけ聞こえた。

 ヴェインが証拠隠滅のために放った掃除屋――監査妨害を目的とした傭兵たちだ。


 数分後、戻ってきたヴォルフの袖口には、雨に滲んだ「鮮やかな赤」が僅かに付着していた。

 エマはそれを一瞬だけ視認し、生理的な嫌悪からか、胃の底がせり上がるような感覚を覚えた。


「……掃除は終わった。ヴェインが放った監査妨害だ。……大丈夫か、エマ」


「……ええ。安全を確保するための、必要経費ですね。問題ありません。


 それにしても、ヴェインさんは随分と焦っている。監査記録に傷をつけたくない彼が、これほど暴力的な手段に出るなんて」


 エマは白く震える指先をコートのポケットに隠し、泥に汚れた証拠の残骸を布で包んだ。

 吐き気を氷砂糖の甘みで無理やり押し殺し、脳内の帳簿を更新する。


「……明日の朝、査定期限です。ヴェインに、真実の数字を突きつけてやりましょう。彼が積み上げた完璧な経歴(ログ)に、消えない『赤字』を書き込んで差し上げます」


 エマはヴォルフの腕を掴み、ふらつく足取りで雨の廃棄場を後にした。


 その背中に、ヴォルフがふと、重苦しい問いを投げかけた。


「お嬢様、ひとつ聞いていいか。1+1が3になっちゃう世界の方が、幸せな奴もいるんじゃないか。……真実を暴くことが、常に『利益』になるとは限らねえぜ」


エマは立ち止まらず、前を向いたまま答えた。


「……残念ながら、私のペンに、嘘を書く機能は付いていません。たとえその答えが、誰かを不幸に叩き落とすマイナスの数値であっても、私は『=』の先を書き換えることはしません」


 エマはそこでふと足を止め、雨に濡れた灰青色の瞳を細めた。


「……それにヴォルフ。少し、計算が合わなくなってきました」


「あ?」


「ヴェイン記録官ほどのエリートが、なぜこんな『穴だらけの勇者の帳簿』を、わざわざ私に押し付けたのか。


 ……まるで、私の目をこの帳簿に釘付けにして、何か別の巨大な不備から《《目隠し》》をしているような……」


 冷たい雨が、二人の足跡を消していく。

 だが、エマの脳内で燃え盛る疑念の炎を消すことはできなかった。


     * * *


 翌朝、午前6時。

 シュタール支部の廊下に、昨日よりも一段と冷徹な靴音が響いた。


 ヴェイン記録官は、約束の時刻に1秒の狂いもなく執務室の扉を開けた。

 その手には、エマの「敗北」を記録するための黒い万年筆が握られている。


「……時間だ、エマ・ルミナス。不承認の理由が見つからなければ、君のライセンスはここで『廃棄』となる。査定結果を聞こうか」


 エマは椅子に座ったまま、顔を上げなかった。


 ただ、その指先が、机に置かれた「泥に汚れた金属塊」に静かに触れる。


「ヴェイン記録官……。貴方の靴、やはり磨きすぎです」


 エマが眼鏡を押し上げ、初めて彼を真っ向から見据えた。

 その灰青色の瞳は、昨夜の雨よりも深く、静かに澄んでいた。


「昨日、貴方は『数字に責任を持て』と言いましたね。……ええ、持たせていただきました。


 これから、貴方が闇に葬った12,000ゴールドの『亡霊』について、監査報告を始めます」


 ヴェインの眉が、ピクリと動いた。

 それが、完璧を誇った記録官の論理が、音を立てて崩れ始める合図だった。


査定員エマの業務日誌:今回の用語解説


【第4世代・極型(キョクガタ)

ギルドが誇る最新鋭の魔導回路です。勇者パーティへの支給品であり、15年という驚異的な耐用年数を誇ります。これを「経年劣化」で廃棄するなど、数学的な裏付けのない、ただの「言い訳」に過ぎません。


ガワ替え品(ガワガエヒン)

外装(ガワ)だけを最新式のものに替え、中身を安価な旧式やジャンク品で済ませる古典的な詐欺手法です。高級な第4世代の回路を横流しし、代わりにこのガラクタを事故で処分させることで、二重の利益を得る計算になります。浅ましいですね。


【監査妨害】

監査官の業務を物理的、あるいは政治的に妨害する行為です。ヴェイン氏のようなエリートが暴力に頼るのは、それだけ私の計算が彼の「急所」を射抜いているという証明でもあります。


【粉飾決算】

不都合な数字を隠し、あたかも利益が出ているように、あるいは正当な支出であるように帳簿を偽ることです。彼らは事故という名の「消しゴム」で、不当な横流しの跡を消そうとしたわけですが……私の眼からは逃げられません。

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