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剣より重い計算式(ロジック) ~異端の査定員エマ・ルミナスの監査報告~  作者: 二進
第1章:辺境の死神と『奈落』の番犬

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第3話:猪突猛進の聖書と、消えた魔導回路

 午前9時ちょうど。

 エマ・ルミナスは、シュタール支部の重厚な扉を開けた。


 向かう先は、昨夜の「筆跡」の主が座るデスク。エマは足を止め、銀縁眼鏡を指先で押し上げると、凍りつくような微笑を浮かべて告げた。


「おはようございます。……貴方の『手癖』、バルカの裏帳簿で拝見しましたよ」


 標的の顔から血の気が引くのと同時に、エマは一枚の監査執行令状アセスメント・オーダーを叩きつける。犯人を支部に釘付けにしたまま、彼女はすでに次の「清算」を動かしていた。


「今この瞬間、貴方の隠し資産の源泉――『グロック魔導具工房』の強制監査を開始しました。……さあ、帳尻を合わせに行きましょうか、ヴォルフ」


 【ここから場面転換:鉄錆の街の北端へ】


     * * *


「――規約第8条に基づき、立ち入り検査を要求するッ! 繰り返す、速やかに門を開けろッ!」


 重苦しい排煙が立ち込める工業都市シュタールの北端。

 鉄と油の臭いが鼻を突く『グロック魔導具工房』の門前で、一人の青年が絶叫していた。


 スレート・グレーのギルド制服を一点の曇りもなく着こなし、両手で「ギルド監査教本」を天高く掲げる姿は、滑稽なほどに必死だった。

 シュタール支部の正査定員、ハンスである。


「……五月蝿いぞ、兄ちゃん。営業妨害で訴えられたいか」


 門の奥から現れた、岩のような体躯の用心棒たちが面倒そうに彼を小突く。


 次の瞬間、ハンスの細い身体は(まり)のように放り出され、街道の水たまりに見事な飛沫を上げて尻もちをついた。


「ぐわっ……! ぼ、暴力は規約第12条違反だぞ……ッ! 帳簿に付けるからな!」


 泥だらけの教本を抱きしめてなおも抗議するハンス。

 そのすぐ横に、一台の黒塗りの馬車が静かに停車した。


 ドアが開き、磨き上げられた革靴が、泥を避けるように優雅に降り立つ。


「……規約を拡声器代わりに使うのは、事務効率を著しく低下させます。ハンス査定員」


 呆れたような、けれど涼やかな声。

 銀縁眼鏡を指先で押し上げ、灰青色の瞳で彼を見下ろしてきたのは、エマ・ルミナスだった。


「エ、エマ・ルミナス!? なぜ他支部の君がここに!」


「ここは支部の境界線ですから。我が『辺境支部』にも共同調査権があります」


 エマの背後から、大剣を背負ったヴォルフが音もなく降り立ち、泥だらけのハンスを一瞥した。

 ヴォルフは愛剣の柄を布で拭いながら、鼻を鳴らす。


「……無駄に声がデカいな、お前。シュタールの工匠(ジジイ)どもは耳が肥えてる。そんな叫び声じゃ、門は開かんぞ」


「ただの護衛が口を出すなッ! 僕は教本通りに正当な権利を――」


「あらあら、ハンスくん。相変わらず元気ねぇ」


 馬車から遅れて降りてきたセラが、持ち前の愛嬌とギルド上層部への手回しで、あっという間に用心棒たちを黙らせてしまった。


 彼女の手には、シュタール支部との『合同調査令状』が握られている。


「セラ主任まで……。くっ、僕が朝の4時から門前で交渉していた努力は一体……」


「それを世間では『無駄足』と呼ぶのよ。さあ、中に入りましょう。油の匂いで鼻がバカになりそうだわ」


     * * *


 工房の応接室。

 エマとハンスの前に座るグロック工房長は、焦げ茶色の髭を蓄えた、一見すると誠実そうな職人に見えた。


「先日、魔物の襲撃で高価な『魔導回路(マナ・サーキット)』の在庫が大量に盗まれましてな。現在、保険金を請求中だ。これを見てくれ、地元騎士団の被害証明書だ」


 差し出された書類を、ハンスは食い入るようにチェックする。


「……書類の不備はありませんね。規約第4条『不可抗力』が適用されるケースです。工房長、災難でしたね。すぐに受理の手続きを――」


 教本通りにペンを走らせるハンス。

 その隣で、エマは出された焼き菓子を小動物のように静かに齧っていた。


「……ハンスさん。糖分が足りていませんよ。脳が動いていない」


「何をッ!? 僕は規約に忠実なだけだぞ! 証明書もハンコも揃っているじゃないか」


「『揃っている』ことと『正しい』ことは別です」


 エマは菓子を飲み込むと、眼鏡の弦をなぞって瞳を青白く発光させた。


 魔導式解析眼(トレース・アイ)


「……おかしいですね」


 エマは倉庫の壁に刻まれた生々しい「魔物の爪痕」に歩み寄り、その周囲を指でなぞった。


「魔物の爪痕にしては、残滓に混ざる魔力の質が不自然です。……ヴォルフ、これは貴方の専門でしょう」


「ああ。この『傷』の付け方……『奈落』(ピット)の深層で使われていた採掘機と同じ手法だな。真っ当な職人が使う技術じゃない。岩を削る効率だけを求めた、下品な機械の跡だ」


 ヴォルフが吐き捨てると、グロック工房長の顔が僅かに引き攣った。


 ハンスが「な、何を根拠に……! 採掘機でわざわざ壁を削るメリットなんてないだろう!」と絶句する中、エマは淡々と帳簿を指差す。


「メリットはあります。ハンスさん、ここの数字を見てください。


 工房長、盗まれたとされる回路の製造番号『SC-09』。……それと、貴方が昨日『廃棄予定』として帳簿につけた不良品の質量が、コンマ単位で一致します。


 ……不思議ですね。盗まれたはずの高級回路が、なぜか廃棄予定のゴミと同じ重さだなんて」


「そ、それは……たまたま、誤差の範囲内で……!」


「数字は嘘をつきません。


 盗まれたのではなく、最初から不良品を盗難品に見せかけて保険金を請求した。そうですね? 廃棄コストを浮かせた上で、本物の回路は裏へ横流しした。……計算が合いました」


 エマの静かなる論理的宣告(ロジカル・デス)が、工房長の逃げ場を塞ぐ。

 逆上した工房長が、デスクの下のレバーを引いた。


「小娘が……! 勇者様の軍資金を邪魔する者は消すのみだ!」


 倉庫の奥から、未完成の実験用大型魔導砲が姿を現し、まばゆい光を収束させる。


 ハンスが「規約違反だ、やめろッ!」と悲鳴を上げる中、エマは歩き回ったせいで少し疲れたのか、近くの木箱にふらりと腰掛けた。


「……ヴォルフ。ノイズが耳に響きます。処理を」


「了解した」


 ヴォルフが静かに前へ出る。

 砲口から極太の熱線が放たれた瞬間、ヴォルフは大剣を正眼に構えた。


「……魔断(マダチ)」。


 静かな呟きと共に、黒鉄の刃が熱線を縦一文字に「物理的に」斬り裂いた。

 左右に分かれた光の奔流が、ヴォルフの背後にいるエマの髪の毛一本すら揺らさず霧散していく。


「ま、魔法を斬ったぁ……!? 教本にはそんな技、載っていないぞッ!」


 ハンスが腰を抜かす中、ヴォルフは一歩も動かずに大剣の峰で魔導砲の砲身を叩き割り、沈黙させた。


     * * *


「グロック工房長。魔力汚染罪、および国家資産偽造罪を適用。全資産の差し押さえを執行します」。


 エマの事務的な宣告が、夕暮れのシュタールに響く。

 ハンスは泥を払いながら、エマの横顔を複雑な表情で見つめていた。


「……規約のどこを読めば、魔法を斬るなんて結論に辿り着くんだ? 君たちは、僕の知っているギルドの職員じゃない」


「規約は身を守るための盾ですが、時には数字を隠すための壁にもなります。……ハンスさん、次は書類の裏にある『重さ』を計ることをお勧めします」


 ハンスは「次は絶対に僕が先に不正を見つけるからなッ!」と負け惜しみを叫んで、自分の支部へと去っていった。


     * * *


 帰りの馬車の中。

 エマはこてん、とヴォルフの肩に頭を預けた。


 扉が閉まった瞬間、彼女を支えていた緊張の糸が切れ、極度の疲労が襲いかかる。


「……ヴォルフ。……焼き菓子、あと一つ残っていましたよね」


「ほらよ。お前、さっきから今にも消えそうな顔してたぞ。本当にいつか死ぬからな、お前」


 ヴォルフが不器用な手つきで包み紙を開け、彼女の口元に差し出す。

 エマはそれをハムスターのように小さく齧りながら、満足げに瞳を細めた。


「……100ゴールドの誤差も許さない私が、自分の血糖値の計算をミスするなんて、皮肉なものですね」


「笑えねぇよ。……あのハンスって野郎、また来るだろうな。ああいう真っ直ぐな馬鹿は、お前みたいなタイプが一番鼻につくんだろうしな」


「……賑やかなのは嫌いではありません。調査効率は下がりますが、囮としては優秀ですから」


 エマはヴォルフの腕を掴む指に少しだけ力を込め、ふと灰青色の瞳を暗く沈ませた。


「……エマ、あの工房長が横流しした魔導回路(マナ・サーキット)。結局何に使うつもりだったんだ? 採掘機にしちゃ、数が多すぎるだろ」


「ええ。押収した裏帳簿にあった『回路の要求スペック』を計算した結果……あれは採掘用ではありません。広範囲に特定の魔力波長を放つ、魔獣誘引装置(デコイ)のコア部品です」


「……あ? 魔獣を呼び寄せる機械だと? なんでそんなもんを、わざわざこの辺境で作る必要がある」


「人工的な災害を起こし、巨額の被害補償金を掠め取るためでしょう。……近いうちに、この辺境で『不自然な魔獣の大量発生』が起きる。そんな不快な計算式が見えます」


「……スケールのデカい嫌がらせだな。……さて、次はどうするんだ?」


「さっき言っていた、偏屈な職人さん。次の査定のついでに寄ってみてもいいですよ。人工的な災害が起きるなら、貴方の大剣、少し手入れが必要な時期ですから。……私の、大事な資産(アセット)なんですから、壊れてもらっては困ります」


 ヴォルフは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに苦笑して口元を緩めた。

「……ああ。頼むよ、査定員殿」


■ 査定員エマの業務日誌:今回の用語解説


魔導回路(マナ・サーキット)

魔力を安定して出力するための基幹部品です。職人の腕が最も試される部分であり、今回のグロック工房長のように「横流し」の対象になりやすい高付加価値資産でもあります。


魔断(マダチ)

ヴォルフが振るう、魔力そのものを物理的に両断する技術です。教本通りのハンスさんが腰を抜かすのも無理はありませんが、私から言わせれば、数式を物理的に消去する最も原始的で効率的な解決法と言えます。


工匠(コウショウ)

シュタールに代表される工業都市で、高度な技術を持つ熟練職人の尊称です。彼らはプライドが高い分、その技術特有の「癖」が証拠として残りやすいという脆弱性を持っています。


魔力汚染罪(マリョクオセンザイ)

不適切な魔導砲の稼働や廃棄により、周囲の魔力バランスを乱す重罪です。グロック工房長は保険金詐欺に加えて、これによって自らの首を絞めることになりました。計算ミスですね。


国家資産偽造罪コッカシサンギゾウザイ

ギルドが保証する重要物資のデータを偽造した際に適用されます。これを適用すれば、合法的に全資産の差し押さえが可能になります。ヴォルフの護衛コストも、これで相殺できる計算です。


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