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剣より重い計算式(ロジック) ~異端の査定員エマ・ルミナスの監査報告~  作者: 二進
第1章:辺境の死神と『奈落』の番犬

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第24話:清算前夜と、連帯保証の請求書

 王都(ルミナリス)の心臓部に位置する、王立保険ギルド本部。


 その最上階に近い一角にある「特別監査室」は、今やエマ・ルミナスという名の怪物が潜む、静かな陥穽(かんせい)と化していた。


 時計塔の重厚な鐘が、夜気を震わせて午前1時を告げる。


 その低く重い響きは、安眠を誘う子守唄などではなく、明日の夜明けと共に執行される「社会的死」へのカウントダウンのように聞こえた。


 カチャリ、と硬質な音を立てて、軟禁室の扉が外側から開かれた。


 入り口に立っていたのは、首席監査官(しゅせきかんさかん)エレナ・ウォーレン。

 磨き上げられた純白の制服を纏ってはいるが、その顔色はスレート・グレーの壁よりも青白く、手にする魔導ランプの灯りが、彼女のアイスブルーの瞳に刻まれた深い絶望と胃痛の影を強調していた。


「……まだ、書き続けているのね。エマ」


 エレナの声は、乾いた砂のように掠れていた。

 彼女の視線の先には、足の踏み場もないほど床一面に広げられた帳簿の山と、その中央で淡々と、しかし凄まじい速度でペンを走らせるエマの姿があったred。


 エマ・ルミナスは、一睡もしていなかった。


 彼女の銀縁眼鏡の奥、灰青色の瞳は、過剰な並列演算によって青白い魔力を帯び、暗がりの中で怪しく発光している。

 それは魔導式解析眼(トレース・アイ)が、限界を超えて稼働し続けている証だった。


「……あと、17枚。理事会メンバーそれぞれの……個別資産の、流入経路の清算(アセスメント)が、終われば……」


 エマの声は、幽霊の囁きのように細い。

 だが、その指先が握る真鍮の万年筆だけは、一度の迷いもなく紙の上を滑り、冷酷なまでに完璧な数式を刻み続けていた。


「足掻くのはやめなさい。……お願いだから」


 エレナが数歩踏み出し、デスクを叩いた。衝撃で書類が数枚舞い上がる。


「貴女のお父様は、確かに誠実だった。誰もが見落とすような小さな不正を、決して許さなかった。


 でも……彼は《《空気が読めなかった》》のよ。システム全体の均衡を考えず、たった一枚の領収書の不備で、王宮の予算案を白紙に戻そうとした。


 ……だから、彼は消されたの。エマ、貴女も同じ道を辿るつもり!?」


 エマはペンを止めず、顔すら上げなかった。

 代わりに、部屋の隅のソファにどっかりと座っていたヴォルフが、琥珀色の瞳をエレナに向けた。


 彼は大剣を鞘に収めたまま、膝の上でエマのために高カロリーのエクレアの銀紙を、音を立てずに剥いている。


「……空気を読む、ですか。エレナ先輩。数学において『空気』という不確定な変数は存在しません」


 エマは事務的なトーンのまま、淡々と言い放った。


「父が残した数式は、**6年**の歳月が経っても、一ミリの狂いもありませんでした。


 父を消した連中は、その『一ミリの真実』を隠すために、この王都の経済そのものを歪ませた。


 ……私はただ、その歪んだ数式に、正しい解を書き戻しに来ただけです」


「数字が正しくても、それを読み上げる者が死ねば、世界は一文字も変わらないのよ!」


 エレナが叫ぶ。

 その叫びは、彼女自身が組織に飲み込まれ、沈黙を選んしてきたことへの自己嫌悪の裏返しでもあった。


「明日の理事会には、グレイソン総局長の息のかかった20人の特務騎士(エリート)が配置されているわ。


 彼らはギルドの規約ではなく、総局長の意志で動く殺戮機械よ。貴女が演壇で何を暴こうと、彼らが武力で貴女の首を跳ねる。


 それが、王都の物理的な現実ハードウェア・リアリティよ! 数字に人は殺せても、抜かれた剣を止めることはできないの!」


「ええ、その通りです。彼らが武力で私を排除しに来ることは、王都入りした瞬間に計算済みの最大リスクです」


 エマはようやくペンを置き、銀縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。

 ヴォルフが無造作に差し出したエクレアを一口かじり、濃厚な糖分を強引に脳へ送り込む。彼女の瞳に、さらに鋭利な理性の光が宿った。


「分かっているなら、なぜ逃げないの! どうやってその**20本**の剣を防ぐつもりなの!」


「防ぎません。……ただ、《《雇い主を変える》》だけです」


「……雇い主を、変える?」


 エレナが呆然と呟く。

 エマは書き上げたばかりの、厚みのある書類の束をデスクの端に揃え、その最上段にある一枚をエレナの目の前に滑らせた。


 そこに書かれていたのは、グレイソンの罪を糾弾する「告発状」などという、青臭い正義感の産物ではなかった。


「なっ……これは……連帯保証債務れんたいほしょうさいむの請求書……?


 それも、理事会メンバー全員と、主要商会の名まで記載されている……」


「ええ。グレイソン総局長個人を刺しても、組織は代わりの首を挿げ替えるだけです」


 エマは、冷え切ったココアを一口啜り、無機質な声で宣告した。


「ですから、私は『理事会というシステムそのもの』を共犯者に仕立て上げました。


 彼らが過去10年、裏口座から受け取っていた不当利益(賄賂)の全額。それに、ギルド約款第102条に基づく特別違約金を乗せたものです。


 ……明日、彼らにこれを見せ、二つの選択肢を与えます。


 グレイソンと共に国家反逆の罪を被って一族もろとも自己破産するか。それとも――」


「……トカゲの尻尾切りをして、グレイソン一人に全責任を押し付けて、自分たちだけ生き残るか、だな」


 背後でヴォルフが、低く獰猛な笑い声を上げた。

 彼は立ち上がり、エマの背後に影のように寄り添う。その圧倒的な威圧感が、軟禁室の空気を物理的に押し潰した。


「悪党ってのは、自分自身の財布と命が一番可愛いからな。


 ……だが、お嬢様。その紙切れ一枚で、あの狸どもが大人しく降伏する保証はあるのか? 連中が結託して、お前を消した後に証拠を燃やす方を選ぶかもしれないぜ?」


「最強の変数が、一つあります」


 エマは立ち上がり、エレナの目を真っ直ぐに見据えた。


「……財務卿(ざいむきょう)です」


 その単語が出た瞬間、エレナの肩が目に見えて跳ねた。

 王国の金庫番であり、一切の無能と不透明を許さない冷酷な怪獣モンスター


「理事たちがこのままグレイソンを庇い、これほどの帳簿の汚泥を世間に晒せば……完璧主義の財務卿は、保身に走った理事たちを『組織の不純物』と判断し、容赦なく切り捨てるでしょう。


 彼らが一番恐れているのは、私やヴォルフの暴力ではありません。その背後に落ちる、財務卿の冷たく、巨大な影です」


 エレナは、絶望と畏怖が入り混じった顔で後ずさった。

 一介の辺境の査定員が、国家の最高権力者の「正論」すらも自分の盤面のコマとして利用し、本部の上層部を恐喝しようとしているのだ。


「……狂ってるわ、エマ。貴女、本当に……」


「狂ってなどいません。私はいつだって、1ゴールドの誤差も許さないだけです。


 ……行きましょう、ヴォルフ。夜明けと共に、《《清算の時間》》です」


 エマは書類の束を鞄に詰め込むと、ふらつく足取りをヴォルフの腕に支えられながら、しかし断固たる意志を持って、決戦の地となる中央講堂へと歩みを進めた。


 その背中を追うヴォルフの影が、死神の鎌のように長く、鋭く伸びていた。



■ 査定員エマの業務日誌:今回の用語解説


連帯保証債務れんたいほしょうさいむ

複数の債務者が、同一の債務に対して全責任を負うという、悪夢のような契約形式です。理事会という「泥舟」に全員を乗せることで、誰か一人が逃げようとすれば全員が沈む状況を作り出しました。彼らが「自分だけは助かりたい」と願う利己心こそが、組織を崩壊させる最大のエネルギーとなります。


財務卿(ざいむきょう)

王国の全予算を管理し、1ゴールドの不明金すらも反逆罪として扱う冷徹な最高権力者です。彼にとって、ギルドの不正そのものよりも「計算が合わなくなること」や「無能な身内を庇ってシステムに損失を出すこと」の方が重罪です。グレイソンの後ろ盾であった「国家の威光」を、そのままグレイソンを叩き潰すための処刑台として利用させていただきます。


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