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剣より重い計算式(ロジック) ~異端の査定員エマ・ルミナスの監査報告~  作者: 二進
第1章:辺境の死神と『奈落』の番犬

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第19話:閉ざされた過去の帳簿と、抜け道の共犯者

 シュタール支部長オズワルドが、領主館の財務局と国家憲兵隊によって連行されてから数時間が経過した。


 絶対的な主を失ったギルドの一階執務フロアは、慌ただしく飛び交う怒号と、処理しきれない書類の山にパニックに陥る事務官たちによって、完全な機能不全を引き起こしていた。


 しかし、その喧騒から遠く離れた地下三階の特別資料保管室の前は、カビの匂いと冷たい静寂に包まれていた。


「……術式拒否。上位の閲覧階梯(ランク)による、完全な魔導封印です」


 薄暗い廊下。分厚い鋼鉄の扉に刻まれた複雑な魔法陣の前で、エマ・ルミナスは不機嫌そうに銀縁眼鏡の位置を押し上げた。


 彼女の口元には、極度に疲労した脳へ強制的に糖分と熱量を供給するための、常人の致死量に近い砂糖を練り込んだ分厚い板チョコレートが咥えられている。


「なんだ、お前のその異常なトレース・アイを使っても開けられねえのか?」


 扉の横で壁に寄りかかっていたヴォルフが、腕を組みながら問いかけた。


「物理的な鍵穴ではなく、純粋な『魔力波長の認証』だからです。


 オズワルドが連行される直前、自らの保身のために『過去十年間の特別監査記録』を、支部長クラスの魔力印(サイン)にしか反応しないよう術式を書き換えたようです。強引に破壊しようとすれば、中の書類ごと燃える仕掛けになっています」


「往生際が悪いタヌキ親父だぜ。……で、どうするんだ? この扉の奥に、お前の親父さんをハメた『黒幕』の証拠が眠ってるんだろう?」


 ヴォルフの言葉に、エマはチョコレートを無造作に噛み砕き、静かに頷いた。


「ええ。今回押収した勇者パーティ『アヴァロン』の裏帳簿と、六年前の五〇万ゴールド不正横領の濡れ衣。この二つの数式を繋ぐ決定的な変数が、この深層書庫の中に必ず眠っています。


 ですが、末端の査定員に過ぎない私の権限では、この魔法陣を迂回することは不可能です」


 万策尽きたかと思われた、その時だった。


「――まったく、上がうるさくてお茶も飲めやしないわ」


 カツ、カツ、と。

 余裕のあるヒールの音を響かせながら、冷たい石造りの階段を下りてきたのは、エマの先輩査定員、セラだった。


 彼女はいつものようにスレート・グレーのジャケットを肩に羽織り、胸元のリボンを緩めたまま、退屈そうに銀色の爪を眺めている。


「セラ先輩。……今の貴方の行動は、ギルドの就業規則第18条『地下施設への無断立ち入り』に抵触します」


「いまさらお堅いこと言わないの。上はオズワルドの残した負債の処理で、蜂の巣をつついたような大騒ぎよ。私一人くらいサボってても誰も気づかないわ」


 セラはクスクスと笑いながら歩み寄り、エマとヴォルフの前に立った。

 そして、胸元から鈍い銀色に光る一つの古い印章を取り出し、指先で器用にクルクルと回してみせる。


「扉、開かないんでしょ?……私の特級印章(マスターキー)、使ってみる?」


「……それは、古参の特級査定員にのみ与えられる上位権限ですね。なぜ、それを私に?」


 警戒するエマに対し、セラは肩をすくめた。

 その瞳の奥にだけ、普段の余裕のある態度とは違う、少しだけ実嘲気味な色が混じる。


「……六年前。私、まだギルドに入りたての可愛らしい新人だったのよね。ある日、ルミナス卿の監査記録に、不自然な数字の書き換えが行われている痕跡を見つけたの」


「……!」


「誰かが意図的に架空の保険金をでっち上げて、ルミナス卿の口座に振り込んだように偽装していた。


 ……でもね、その偽装の手口があまりにも鮮やかで、背後にオズワルドや『王都の巨大な権力』が絡んでるって、すぐにわかっちゃったのよ」


 セラは回していた印章をピタリと止め、鋼鉄の扉を見つめた。


「私は若かったし、自分の首が飛んで、明日からの生活を失うのが怖かった。だから、見なかったことにしたの。


 ……賢い生き方でしょ? おかげで今まで、こうして波風立てずにお給料をもらえてる。でも、貴女のその可愛くないくらい真っ直ぐな数字を見てたら、どうにもお酒が不味くなってね。……貸しにしておくわ、エマ」


 セラは軽くウインクをして、銀色の印章を差し出した。


 エマは眼鏡のブリッジを中指で静かに押し上げ、差し出された「上位権限」を見つめた。


「セラ先輩。……過去の怯えを今更掘り返し、感傷に浸るという行為は、現在の計算速度を著しく低下させる『無駄な変数』です。


 私は貴方の謝罪や涙で、過去の数式が書き換わるとは一ミリも思っていません」


「あら、相変わらず手厳しいわね」


「ですが」


 エマは、セラの手から銀色の印章をスッと抜き取った。


「この印章――いえ、セラ先輩の魔力波長(サイン)


 私の目的を達成するための強力な『抜け道(バックドア)』として、最大限に有効活用させていただきます。貴方の後悔という『負債』は、この強制監査の結果をもって相殺としましょう」


 エマなりの、不器用で最大限の許し。

 それに気づいたヴォルフが、背後で「相変わらず可愛げのねえ言い回しだ」と呆れたように鼻を鳴らす。


 セラもまた、毒気を抜かれたようにふっと吹き出し、肩を揺らして笑った。


「本当に、可愛げのない後輩。……さあ、番犬くんも手伝って、派手にこじ開けてやりなさい。監査の時間でしょ?」


「ええ。計算を開始します」


 エマは鋼鉄の扉の魔法陣の中央に、セラの印章を押し当てた。

 そして、灰青色の瞳を限界まで細める。


魔導式解析眼(トレース・アイ)、最大出力」


 エマの瞳が、かつてないほどの眩い青白い光を放つ。

 扉を覆う複雑な魔法陣の構造が、一つの巨大な数式としてエマの脳内に浮かび上がった。


 オズワルドが施した強固な封印。

 しかし、セラの魔力印(サイン)迂回路(ルート)として組み込むことで、エマは魔法陣の変数を次々と書き換え、魔導認証の壁を無効化していく。


 ガコンッ、と。重厚な鋼鉄の扉が、呆気ないほど簡単に開いた。

 中に広がっていたのは、壁一面を埋め尽くす過去数十年分の膨大な紙の帳簿と、埃を被った決算書類の山だった。


「……見つけます」


 エマは迷うことなく書庫の奥へと進み、6年前の記録が収められた棚から、分厚い革張りの帳簿を次々と引きずり出した。


 パラパラと尋常ではない速度でページをめくり、数字の羅列を網膜に焼き付けていく。

 今回押収した勇者の裏帳簿の金額と、過去のギルドの不自然な支出。


 二つの莫大な数字の濁流が、エマの脳内で火花を散らして結びついていく。


 数分後。紙の束の海の中から、エマは一つの完璧な「方程式」を導き出した。


「……この『偽装討伐と不正請求』によって巨万の富を生み出す集金機構(システム)は、オズワルドが考案したものではありません。


 今からちょうど六年前、王都の勇者パーティ『アヴァロン』が結成された時期に、彼らの莫大な活動資金を調達するために中央で生み出された、洗練された『錬金術』です」


 エマは脳内を焼き尽くしそうな演算の負荷に耐えながら、口から血が滲むほど唇を噛み締め、冷酷に真実を読み上げる。


「父上は、中央の帳簿からこの不自然な資金の動きに気づいてしまった。


 だから彼らは、自分たちの集金機構を守るために、同じ手口を逆用して父上に横領の罪を着せ、社会的に抹殺したのです」


「……その、イカれた錬金術を作り上げた『黒幕』の名前は帳簿にあるのか?」


 ヴォルフの低い問いかけに、エマは帳簿をパタンと閉じ、青白い視界を解いた。


 振り返った彼女の瞳には、かつてないほどの暗く、巨大な怒りの炎が、絶対零度の数字となって渦巻いていた。


「ええ。変数が、すべて繋がりました。……勇者パーティ『アヴァロン』の筆頭出資者であり、王国王室財務卿。アーサー・ヴァレンタイン公爵です」


 辺境の街シュタールでの監査は終わった。

 異端の査定員と、野良犬の騎士。


 そして、自らの過去を清算し「共犯者」となった先輩査定員の眼差しは、すべての諸悪の根源が待つ『王都』へと真っ直ぐに向けられていた。



■ 査定員エマの業務日誌:今回の用語解説


閲覧階梯(ランク)

ギルド内の機密情報にアクセスするための資格です。今回はセラの特級印章(マスターキー)を借用しましたが、本来は厳格な管理下にあります。


魔力印(サイン)

魔力を込めた署名であり、筆跡の代わりとなるものです。書き手の固有の魔力波長が記録されるため、偽造は極めて困難です。


抜け道(バックドア)

正規の認証を回避して深層へアクセスするための非公式な経路です。今回はセラの承認権限を「共犯者(迂回路)」として利用することで、オズワルドの封印を突破しました。


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