第12話:英雄の仮面と、支部長の算術
シュタール支部の重厚な両開き扉を押し開けると、数秒前までざわめいていた1階の執務フロアが、まるで潮が引くように静まり返った。
「……随分と、熱烈に歓迎されているみたいだな」
ヴォルフが背中の漆黒の大剣を揺らし、肩に担いでいた30キロの木箱を床にドンッと下ろしながら、皮肉げに呟く。
数十人の事務官や査定員たちが、一斉にエマたちから目を逸らし、不自然なほど熱心に手元の書類へ向かってペンを走らせていた。
それは先日、中央から来たエリート監査官を情け容赦なく「清算」した《《死神》》に対する、純粋な恐怖と警戒の表れだった。
「歓迎ではなく、隔離ですね。……まあ、不要な雑音がない方が静かで仕事が捗るので、私としては一向に構いませんが」
エマ・ルミナスは泥で汚れたスレート・グレーの革靴のつま先を気にしながら、ひどく重い足取りでフロアの隅にある自分のデスクへと向かう。
未開の森での慣れない肉体労働により、彼女の体力はすでに底を突きかけていた。
デスクにたどり着くなり、引き出しから銀紙に包まれた高カロリーのチョコレートを取り出し、無表情のまま口に放り込む。
「おかえり、エマ。……またずいぶんと物騒で重たそうな荷物を持ち帰ってきたわね」
エマのデスクの隣に腰掛けていた先輩のセラが、呆れたような、けれどどこか面白がるような笑みを浮かべて出迎えた。
「ただいま戻りました、セラ先輩。……箱の中身はただの紙切れですが、私1人で運ぼうとすれば、100パーセントの確率で労働災害が発生し、ギルドを相手取って訴訟を起こすことになる《《危険な重量物》》です」
「そう。オズワルド支部長、今朝からずっと機嫌が悪いわよ。嵐の前の静けさってやつね。……で、そっちは本当の嵐みたいだけど」
セラが窓の外を顎でしゃくった。
静まり返ったギルド支部の中とは対照的に、外の大通りからは、窓ガラスがビリビリと震えるほどの割れるような歓声と拍手が聞こえてくる。
「何かの、お祭りですか? 現在時刻は平日の午後ですが、この街の労働生産性が心配になります」
「『紅蓮の翼』の凱旋パレードよ。王都の勇者パーティ『アヴァロン』の直系を名乗ってる、今このシュタール街で1番勢いのある若手冒険者たち。
……昨夜、北の森の近くの開拓村を、凶悪な魔獣の群れから救ったんですって。支部長も直々にパレードの許可を出したらしいわ」
エマの指先が、銀縁眼鏡の弦に触れてピクリと止まった。
「北の森、ですか」
エマはゆっくりと窓辺へ歩み寄り、通りを見下ろした。
傷だらけの真新しい鎧を纏いながらも、沿道に向けて誇らしげに手を振る若い冒険者たち。
彼らに色鮮やかな花束を投げ、涙を流して感謝する民衆。
それはまさに、絵に描いたような「英雄」の姿だった。
(……英雄。響きだけは美しい言葉です。ですが、あまりにも変数が噛み合いすぎている)
エマは静かに息を吸い、眼鏡の奥で告げた。
「魔導式解析眼、起動」
歓声に沸く世界からスッと色彩が抜け落ち、すべてが青白い魔力の波長とワイヤーフレームへと変換される。
彼女の視線は、若き英雄たちが纏う武具の表面にこびりついた、微かな「汚れ」を的に捉えていた。
それは激戦を物語る土や血の汚れではない。
先ほど北の森でエマ自身が強制終了させた、あの粗悪な発信機が放っていた不快な波長と、周波数が完璧に一致する《《魔力残滓》》だった。
「……なるほど。そういうことですか」
エマの呟きは、氷のように冷たかった。すべての方程式が、最悪の答えを導き出していく。
* * *
外の歓声が落ち着き始めた頃。
支部の執務室に、『紅蓮の翼』のリーダーを名乗る青年がズカズカと足音を荒げて入ってきた。
わざとらしく泥と血の匂いを漂わせた彼は、一直線にエマのデスクの前で足を止めた。
「あんたが、最近この支部で幅を利かせているっていう《《死神》》の査定員だな?」
「エマ・ルミナスです。私の時給は安くありませんので、用件を手短に」
エマは座ったまま、顔も上げずに万年筆を動かし続けていた。
その傲慢ともとれる態度に青年は眉をひそめたが、乱暴に数枚の書類をデスクに叩きつけた。
「俺たちが昨夜救った『アルス村』の損害補償と、特別防衛報酬の請求書だ。本来なら査定に数日かかる手続きだろうが、被害を受けて今すぐ金が必要な村人たちのためにも、特例で先行承認センコウショウニンのサインをもらいたい。
……命懸けで戦った英雄への敬意として、そのくらいの融通は利くよな?」
善良な目的と民意を盾にした、極めて悪質な要求。
エマはようやく手を止め、デスクに投げ出された書類を引き寄せた。
討伐時刻は昨夜の22時ちょうど。場所は、北の森に隣接する開拓村。
被害額は建物の修繕費を含めて、およそ3,000ゴールド。
エマは書類の束をたった2秒で見切り、青年の胸元へスッと突き返した。
「受理できません。1度、正規の窓口へ提出し直してください」
「……は? お前、俺たちが命懸けで村を救ったのがわからないのか! 今すぐ金が必要な村人たちが――」
「ではお尋ねしますが、村を襲った魔獣は、本当に《《自然災害》》でしたか?」
エマの冷ややかな声が、青年の怒号をピシャリと遮った。
「な、何を言っている……」
「この討伐報告の時刻。そして魔獣の発生経路。これらが、北の森で違法な魔獣誘引装置が稼働していた時間帯と、分単位で完璧に一致しています」
青年の顔から、サッと血の気が引いた。
エマは手元に置かれた分厚い裏帳簿――先ほど森から押収してきた木箱の中身――を指先でトントンと叩きながら、残酷な事実を言語化していく。
「貴方たちのスポンサーは、古い魔導具を改造して森の奥に魔獣を呼び寄せ、頃合いを見て村へ放った。
そして、偶然近くに居合わせた貴方たち『英雄』がそれを華麗に退治する。
……英雄の剣が振るわれる前に、裏口から都合よく《《在庫》》が用意されていた。
1つの嘘で、村からの感謝とギルドからの3,000ゴールドを同時に掠め取る。違いますか?」
「ふ、ふざけるなッ! 俺たちを犯罪者扱いする気か! 証拠もないくせに!」
図星を突かれて激昂した青年が、腰の剣に手をかけようとした瞬間だった。
「……査定員殿の机に、これ以上近づくな」
エマの背後に立っていたヴォルフが、音もなく半歩だけ前に出た。
剣は抜いていない。ただ、琥珀色の瞳で青年を真っ直ぐに見下ろしただけだ。
しかし、最下層の『奈落』で無数の死線を潜り抜けてきた本物の殺気にあてられ、青年はヒュッと喉を鳴らして呼吸を忘れ、数歩後ずさった。
魔獣相手に剣を振るうのとは次元が違う、純粋な対人戦闘における《《死》》の予感。
それが青年の偽物の勇気を完全にへし折っていた。
「暴力で解決しようとするのは、論理的思考を放棄した三流の証拠ですよ」
エマが冷たく言い放ち、再び書類に不承認の赤い判を押そうとした、その時。
「――そこまでにしたまえ、エマ君」
執務室の最奥、重厚なマホガニーの扉が開き、よく響くバリトンの声が落ちた。
プラチナブロンドを撫でつけ、片眼鏡の奥でサファイアブルーの瞳を細めた男。
シュタール支部長、オズワルドが静かな足取りで現れた。
「支部長……」
「エマ。彼らは自ら傷つきながらも村を救った、愛すべき英雄だ。
……机上の冷たい数字だけを見て、少しばかり失礼が過ぎるのではないかな?」
オズワルドの顔には、大人の余裕を感じさせる柔和な笑みが張り付いていた。
しかしその瞳の奥には、自らの完璧な支配を脅かすエマという「異物」をいよいよ排除しようとする、絶対的な権力者の暗い光が宿っている。
盤上の勝負は、ついに支部長オズワルドとの直接対決へと移行しようとしていた。
■ 査定員エマの業務日誌:今回の用語解説
【魔力残滓】
魔導具を使用した際、物理的な汚れとは別に残留する固有の魔力波長です。今回の「英雄」たちが纏っていた波長は、私が北の森で破壊した発信機の周波数と完全に一致しました。確率は《《ゼロ》》ではありませんが、これを偶然と呼ぶには計算式が汚すぎます。
【特別防衛報酬】
魔獣等の脅威から市民を守った際に支払われる特別手当です。市民感情を煽りやすいため、今回のような自作自演の温床となります。感情を抜きにした「数字」で精査すれば、ただの不当利得に過ぎません。




