第11話:物理的監査の執行と、暴走魔力の方程式
静寂に包まれていた北の森の盆地は、鼓膜を破るような轟音と共に終わりの時を迎えた。
「な、なんだッ!?」
「敵襲だ! 結界が破られたぞ!」
野営地の入り口を塞ぐ太い丸太の防壁が、まるで《《飴細工のように》》内側へと弾け飛ぶ。
もうもうと舞い上がる土埃の中から、黒いロングコートを翻した大男――ヴォルフが悠然と姿を現した。
背の漆黒の大剣は、鞘に収まったままだ。
己の蹴り1つで、30人がかりで作った強固なバリケードを完全に粉砕したのである。
「……随分と脆い門だな。建築基準法違反なんじゃないか?」
慌てて武器を構え、怒号を上げる傭兵たち。
しかし彼らが動くより早く、ヴォルフは地を蹴った。
大剣の分厚い鞘ごと振るわれた暴力的な一撃が、最前列の男たちの肋骨を的確にヒビ割れさせ、戦闘能力だけをごっそりと奪っていく。
彼が担っているのは騎士としての討伐ではなく、査定員に同行する「執行者」としての《《事務的な制圧》》だ。
「おいおい、そんなものか? ギルドの金をちょろまかしてるんだ、もう少しマシな飯を食っておけよ」
呆れたように挑発するヴォルフの背後から、硬い靴音が近づいてきた。
「……ヴォルフ。あまり彼らをいじめないでください。骨折の治療費までこちらの経費に回されたら、目も当てられません」
土煙が晴れた入り口から、プラチナブロンドを揺らす少女が歩み出てきた。
エマ・ルミナスは泥を跳ね上げないよう慎重に進み、銀の懐中時計をパチンと開く。
「……現在時刻、午前6時14分。突入から制圧開始までのタイムラグ、約2.5秒。悪くない数字です」
「な、なんだお前は! ギルドの制服……まさか、査定員だと!?」
ひときわ巨大なテントから、顔に傷のある傭兵団のリーダーが現れた。
禍々しい赤い光を放つ魔剣を握っている。
「いかにも。王立保険ギルド、シュタール支部所属のエマ・ルミナスです」
エマは銀縁眼鏡を中指で押し上げ、冷徹な灰青色の瞳で彼を射抜いた。
「これより、規約第14条に基づく『物理的監査』を執行します。
貴方たちが使用しているその不快な魔導具は、ギルドの未償却資産です。直ちに稼働を停止しなさい」
「ふざけるなッ! 女子供が偉そうに帳簿のルールを――」
「ルールを破っているのは、明確に貴方たちの方です」
エマは黒革の手帳を開き、淡々と数字を読み上げる。
「この発信機で意図的に魔獣を呼び寄せた偽装防衛。
月間の不当利益はおよそ800ゴールド。
ですが、罰金と『重過失による危険誘発罪』の賠償金を加算すれば、しめて12,000ゴールド。
貴方たちの命をすべて闇市場で売り払っても足りない負債額です。
つまり、この瞬間、貴様らはすでに《《破産》》しているのです」
「……ッ! 舐めるな!」
逆上したリーダーが魔剣を引き抜き、一直線に斬りかかる。
だが、刃はエマの鼻先でピタリと止まった。
横から入り込んだヴォルフが、左腕のガントレットだけで渾身の刃を鷲掴みにしたのだ。
「……査定の邪魔だ。計算が終わるまで少し黙ってろ」
ヴォルフが腕を捻り上げると魔剣がへし折れ、強烈な前蹴りが男を完全に沈めた。
* * *
「……制圧完了だ」
ヴォルフがため息をつく背後で、エマは不快な魔力を垂れ流す旧式魔導具の前で足を止めた。
「魔導式解析眼、起動」
灰青色の瞳が青白く発光する。
視界がワイヤーフレームに書き換えられ、無数の変数が滝のように流れていく。
「……酷い有様ですね。安全装置の回路を物理的に切断し、わざと魔力漏れを起こしている。素人の手仕事です」
「おいエマ、触るな! 王都の魔導技師が組んだ絶対防壁の鍵がかかってるはずだ。素人が触れば爆発するぞ!」
ヴォルフが警告するが、エマは動じない。
「魔法を神聖視しすぎです、ヴォルフ」
エマの静かな声が響いた。
「魔法陣も魔力回路も、神秘の力などではありません。
所詮はただの《《エネルギーの変換式》》。
入力された魔力を結果に出力しているだけの、単純な計算式です」
エマは懐から、事務作業用の細い銀色のペーパーナイフを取り出した。
「方程式がどれほど複雑に見えても、根本の変数を1つ書き換えてしまえば、数式は容易に崩壊します。
……例えば、このバイパス経路をショートさせれば、出力は逆流し、強制的に沈黙するはずです」
躊躇なく、ペーパーナイフの先端を回路の隙間へと突き立てた。
「システム、強制終了」
バチィィィィンッ!!
眩い火花が散り、耳障りな駆動音が嘘のようにピタリと止まる。
「……計算通りです。これで発信機は無力化されました」
立ち上がった直後。
エマの足元がふらつき、糸の切れた人形のようにガクンと膝をつきそうになる。
「おっと。危ねえ」
すかさずヴォルフが手を伸ばし、崩れ落ちそうになった細い肩をそっと支えた。
「……ありがとうございます。
魔導式解析眼による精密演算で、脳のブドウ糖が完全に枯渇しました。足の筋肉に回すエネルギーが3パーセントも残っていません……」
「無理すんな。かっこよく決めた直後にへたり込むのは、お嬢様の専売特許だな」
ヴォルフに支えられながら、エマは野営地の隅に積まれた真新しい木箱へと歩み寄った。
指先が、側面に焼き印された『天秤と聖剣』――王都の勇者パーティの紋章をなぞる。
「これこそが、シュタール支部の暗部と王都の英雄たちを繋ぐ物理証拠。
……これさえあれば、オズワルド支部長も言い逃れはできません」
エマは万年筆を走らせ、完了のサインを手帳に刻み込んだ。
* * *
数10分後。
傭兵たちを地元の警備隊に引き渡す手はずを整え、2人は森の入り口へと戻ろうとしていた。
「さて、ヴォルフ。1つ業務命令があります。この木箱を、貴方が支部まで運んでください」
「……は? 軽く30キロはあるぞ。俺は護衛であって、荷物持ちじゃねえんだが」
「現在の私の残存体力で持ち上げれば、100パーセントの確率で筋肉が断裂します。
そうなれば、今夜の貴方の夕食代を支払う者がいなくなりますよ」
「俺の飯代を人質にすんな」
深くため息をつきつつ、ヴォルフはひょいと重たい木箱を肩に担ぎ上げた。
「ほら、さっさと歩け。街に戻って甘いものでも食わせねえと、お前本当に森の中でぶっ倒れそうだからな」
わざとらしく歩幅を狭めるヴォルフの不器用な優しさに、エマは小さく息を吐いた。
「……ええ。次は王都の高級菓子を、必ず経費で落とす予定ですから」
「たまには俺の奢りでもいいぜ? 安いクッキーしか買えねえけどな」
「……なら、遠慮なく1番高いイチゴのタルトを要求します」
「容赦ねえな、お前」
重い証拠品を担ぐ野良犬の騎士と、体力のない没落令嬢。
2人の背中が、木漏れ日の落ちる森を並んで帰っていく。
その歩みの先には、シュタール支部を支配するオズワルドとの決戦が待ち受けていた。
査定員エマの業務日誌:今回の用語解説
【物理的監査】
規約第14条に基づき、監査対象が非協力的な場合にのみ行われる「実力行使」です。今回はヴォルフが担当しました。彼は暴力の使い方が非常に効率的ですが、稀に相手の治療費という《《負債》》を増やしすぎる傾向があるのが難点です。
【絶対防壁】
王都の技師が誇る、物理的・魔導的な干渉を拒絶するための術式鍵です。……と、世間では神聖視されていますが、私から言わせれば、ただの「解き方の分かっている連立方程式」です。
【強制終了】
魔力回路に外部から致命的な変数を叩き込み、術式を物理的に崩壊させる行為です。高度な魔導具ほど、その精密さが仇となって一箇所の破綻が全体を沈黙させます。今の私の身体状況と同じですね。




