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【第一部完結】剣より重い計算式(ロジック) ~異端の査定員エマ・ルミナスの監査報告~  作者: 二進
第4章:不渡りの王国

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第92話:現場の泥と、計算の勝利

 王都の地下3層。

 かつて王族の隠し財物庫として使われ、長らく歴史の表舞台から忘れ去られていた広大な地下空間は、今や灼熱のボイラー室と化していた。


 はるか頭上の地上階で、元・宰相ギルフォードが引き起こした『命の搾取回路(旧・魔導炉)』の暴走。その暴力的な余波は、何10メートルもの分厚い岩盤を隔てたこの地下深くにまで、容赦のない熱気と重苦しい地鳴りとなって押し寄せている。

 大気が焼け焦げ、ただ呼吸をするだけで肺の粘膜が焼かれるような過酷な環境。


 その地獄の釜の底のような空間で、王立保険ギルドの主任査定員であるセラフィナは、スレート・グレーの制服の上着を脱ぎ捨ててシャツ1枚になり、大量の汗にまみれながら鉄製の巨大なシャベルを振るい続けていた。


「……はい、これで150箱目ッ!!」


 セラの裂帛の気合いと共に、ガシャン、ガシャンという重厚な金属音が響き渡る。

 彼女が目の前の巨大な石造りの炉へと絶え間なく投げ入れているのは、ギルドの財務担当であるビアンカが秘密裏に手配し、この地下空間に運び込んでいた最高純度の魔力石の山だ。


 旧システムが、無知な国民の「命」を不当に搾取して動いていたのに対し、新しいシステムは正当な対価を支払って得た「資源」を燃料とする。魔法による不確かな奇跡など一切介在しない、極めて物理的で、泥臭く、しかし誰の命も奪うことのない真っ当な労働。

 セラは飛び散る火花と熱風に顔を歪めながらも、1秒間に3個という驚異的なペースで、正確に魔力石を充填し続けていた。


「教授! 物理的な燃料の充填はこれで最後よ! そっちの回路接続はどうなっているの!?」


 セラがシャベルを床に突き立て、荒い息を吐きながら背後を振り返る。

 そこには、新魔導炉の巨大な制御盤に張り付き、狂ったような速度で計器の調整を行っているバルカ教授の姿があった。


「急かすなと言っておろうが! 最適化数式の最終書き込みには、1つの計算ミスも許されんのだ! ここを間違えれば、アリアが上で抑え込んでいる熱量ごと、王都の防壁は完全に瓦解するぞ!」


 バルカ教授もまた、普段の飄々とした態度は完全に消え失せ、老体に鞭打って極限の集中力を発揮していた。彼の指先が、制御盤に刻まれた複雑な術式基盤の上を滑り、エマから提供された「損失ゼロの計算式」を、物理的な回路へと定着させていく。

 

 アリアが地上で稼いでくれている、180秒という極小の猶予時間。

 その1秒たりとも無駄にしないよう、現場の実務家たちは自らの作業を限界の速度で処理していた。


「……よし、数式の定着を確認! 魔力石からのエネルギー抽出を開始する!」


 バルカ教授が制御盤の最も巨大なレバーを、両手で力強く押し込んだ。

 直後、セラが魔力石を放り込んだ石造りの炉の奥底から、ゴォォォォン……という、大地の底鳴りのような重厚な起動音が響き渡る。


 旧・魔導炉が放っていた、血のように赤黒く不吉な炎ではない。

 新魔導炉の隙間から溢れ出したのは、極めて純度が高く、安定した『青白い光』だった。それは計算し尽くされた燃焼効率の証であり、一切の不純物を含まない、真っ当なインフラの鼓動そのものだ。


「……美しいわね。悪趣味な元・宰相の炎とは大違いだわ」

「当然だ。私の最適化理論と、君たちの持ち込んだ資本が融合した、究極の芸術品だからな。……アイドリング状態、極めて安定している。いつでも地上の回路をこちらへ引き継げるぞ!」


 天才の「理論」と、ギルドの「実務」が完全に噛み合った瞬間だった。


『――こちらエマ。地下の状況を報告してください』


 まるでその瞬間を見計らっていたかのように、セラの腰に下げた黒い通信機から、エマの冷徹な声が響く。


「こちらセラ。予定通り、納品完了よ。新しい魔導炉、完璧な波長で脈打ってるわ。……まったく、この極限の筋力労働と超過勤務分は、絶対にあいつの個人資産から毟り取ってやるんだから。いつでもいけるわ、エマ」


 セラの言葉に、通信の向こう側からは、凄まじい熱波のノイズと、大理石が砕けるような不穏な音が微かに聞こえていた。アリアが命懸けで設定した限界の猶予時間が、今まさに訪れようとしているのだ。


『確認しました。……所要時間、178.5秒。予定工期である180秒に対し、1.5秒の猶予を残しての完全納品です。見事な実務能力ですね、セラ主任、バルカ教授』


 大議事堂の熱波の只中。

 安全な石柱の台座の上に立つエマは、通信機を持ったまま、もう片方の手で銀時計の秒針を見つめていた。

 彼女の銀縁眼鏡の奥の瞳は、階下で這いつくばるギルフォードを見下ろしながら、極めて冷酷に勝利の計算を弾き出していく。


「馬鹿な……何を、通信機などで何をごちゃごちゃと……! 私のシステムは絶対だ! この熱量から逃れられる者などいない!」


 ギルフォードが、溶け出した大理石の上で、見苦しくわめき散らす。彼が20年もの長きにわたり心血を注いできた絶対的な搾取の仕組みは、今やただの制御不能な暴力へと成り果てていた。

 エマは銀時計の蓋をパチンと閉じ、それをゆっくりと懐へ仕舞い込んだ。


「ギルフォード元・宰相。貴方は先ほど、自らを否定すればこの国は3日で帝国の火の海になると言いましたね。それは大きな誤りです」


 エマの声は、議場の喧騒と暴走する炎の音を完全に切り裂き、ギルフォードの鼓膜へと正確に届いた。


「貴方が20年間かけて築き上げた、他人の命を燃料とする非効率なシステム。その維持のために投じられた天文学的な隠匿資産。……そのすべてを、私は既に新魔導炉への切り替えコスト、およびバルカ教授の研究費として計上し、執行済みです」


「な、に……?」


「貴方が20年かけて私腹を肥やすために集めたカネが、巡り巡って、貴方のシステムを完全に代替するためのインフラ投資へと変換されたのです。新システムへの移行コストは、貴方の資産によって全額支払い済み。……つまり、国家が新たに負担する初期費用は完全に0です」


 それは、エマたちが辺境から王都へ潜り込み、泥臭い実務と情報の裏をかきながら進めてきた『事業再生計画』の全貌だった。

 エマが隠された数字を暴き、ビアンカが不当な資本を奪い、バルカ教授が正しい技術を形にし、セラが物理的に構築する。そしてアリアが、そのための時間を正確に稼ぎ出した。


「これ以上ない、完璧な決算です。……これより、致命的な欠陥を起こした旧システムを完全に切り離し、新システムへの通信経路の切り替えを行います」


 エマは通信機のスイッチを切ると、それを懐に仕舞い、大議事堂のはるか頭上――分厚い熱波が渦巻く天井の暗がりへと視線を上げた。

 そこには、暴走が始まった直後、赤熱する床を避けて柱を駆け上がり、十分な位置エネルギーを確保して待機しているギルドの番犬が、静かに牙を研いでいる。


「……ヴォルフ。貴方の仕事の時間です。180秒間、正確に力を溜めた成果を見せてください」


「――応よ。待ちくたびれて、欠伸が出るところだったぜ」


 頭上のはるか高みから降ってきた、獣のような低い声。

 次の瞬間、分厚い鋼が鞘から抜き放たれる、極めて暴力的な金属音が響き渡った。


元・査定員エマの業務日誌:用語解説


【物理的な燃料充填】

セラ主任が地下で行っていた、魔力石を手作業で炉に投入する労働です。魔法という見えざる力に依存するのではなく、正当に取引された「資源」と、自らの「筋力」という実体のある資本を投下することで、システムの稼働に確固たる裏付けを持たせています。


【178.5秒の納品】

アリアが算定した180秒という極限の猶予に対し、現場のセラ主任とバルカ教授が1.5秒の余裕を残してタスクを完了させた結果です。このわずかな余裕が、最終工程である「旧システムの切断」を行うための、最も重要な接続時間となります。


【初期費用の完全回収】

ギルフォードが20年間かけて蓄積した巨額の隠匿資産を、すべて新システムの構築費用として強制的に転用した結果、稼働した瞬間にすべてのコストが支払い済みとなっている状態です。破綻者の資産で健全なインフラを構築する、最も無駄のない事業再生モデルと言えます。



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