第3話:砂場の支配者と、孤独な令嬢
「……いま、なんて言ったの?」
白のワンピースの裾を揺らし、冴島凛がこちらを振り返った。 その瞳には、3歳児とは思えないほどの知性と、それ以上に深い「孤独」の色が混じっている。 無理もない。後に「氷の令嬢」と呼ばれる彼女は、物心がつく前から帝王学を叩き込まれ、周囲の子供たちを「家格の違う有象無象」として遠ざけてきたのだから。
だが、俺の言葉は彼女の防壁を容易く貫いた。
「君の家を買い取る、と言ったんだ。もっとも、今すぐじゃない。君のお父様が、身の程知らずな拡大路線で首を括りそうになった時の話だよ」
「なっ、貴様! さっきから聞いていれば、冴島様に向かって失礼だろうが!」
間に入ってきたのは、先ほどの取り巻き少年――不動産大手『金剛不動産』の跡取り、金剛翔太だ。 バブルの恩恵を最も受けている成金一家の息子。前世の記憶では、彼の父親は数年後に数千億の負債を抱えて失踪している。
「失礼なのは、君の家の貸借対照表だよ、金剛君」
俺は冷めた視線で彼を射抜いた。
「え、えむ……? なんだ、その、バランス……?」
「わからないか。じゃあ、君にもわかるように言ってあげよう。君のパパが自慢しているあの真っ赤なスポーツカーも、この前買ったという港区のビルも、全部『銀行からの借り物』だ。それも、金利が上がれば一瞬で吹き飛ぶような、砂の城だよ」
「うるさい! パパは日本一のお金持ちなんだ! お前みたいな、どこの馬の骨ともしれない奴にバカにされる筋合いはない!」
顔を真っ赤にして掴みかかってこようとする翔太。 幼稚園の先生たちが慌てて駆け寄ってくるのが見える。 だが、俺は動じない。大人の論理を、子供の語彙に噛み砕いて突きつける。
「いいかい、金剛君。これからの日本で一番価値があるのは、ビルでも車でもない。……『キャッシュ(現金)』と『正確な未来予測』だ。それを持っていない君の家は、僕から見れば、明日の食べ物にも困るホームレスと変わらないんだよ」
「……っ!!」
翔太は、恐怖に顔を歪めた。 3歳の子供が発するはずのない、圧倒的な威圧感。 俺の背後に、数兆円を動かす伝説の投資家の影を見たのかもしれない。 彼は言葉を失い、情けない声を上げて泣き出し、先生の元へと逃げ帰っていった。
砂場に静寂が訪れる。 残されたのは、俺と、呆然と立ち尽くす凛だけだ。
「……あなた、名前は?」
凛が、一歩、俺に近づいた。
「藤城蓮。ただの『先が見える子供』だよ」
「蓮くん……。あなたは、私たちが没落すると本気で思っているの?」
「100パーセントだ。でも、安心していい。僕の言う通りにするなら、君だけは助けてあげる。……君のその『才能』には、投資する価値があると思っているからね」
彼女は驚いたように目を見開いた。 凛には、数字に対する異常なまでの直感がある。 前世では教育方針のミスで潰されたが、俺の元で育てば、世界屈指のCFO(最高財務責任者)になれる器だ。
「投資……。私を、買い取るってこと?」
「言い方が悪いな。共同経営者としての契約だよ。……そのための第一歩として、これを君に預けておく」
俺はポケットから、一枚の紙切れを取り出した。 そこには、俺がパソコン通信で使っている秘匿口座の番号と、明日買うべき「ある銘柄」の名前が書かれている。
「それは?」
「僕がこれから起こす『奇跡』の招待状だ。明日、この銘柄の株価を見ておくといい。……そうすれば、僕を信じる理由ができるはずだ」
凛は、怪訝そうな顔をしながらも、その紙を大切そうにワンピースのポケットに仕舞い込んだ。 その日の夜。 俺は再びPC-98の前に座っていた。 画面に流れるのは、匿名掲示板での罵詈雑言。 『REN』の予言を信じない愚か者たちの声だ。
(吠えていられるのも、あとわずかだぞ)
俺は、父・健一の口座に残っていた全資金を、ある一点に集中させた。 1989年、大納会。 日経平均が史上最高値を記録する、その瞬間の「売り」予約。
世の中が絶頂に酔いしれ、誰もが「日本は世界一だ」と叫ぶその裏で、俺はたった一人で、巨像が崩れ落ちる瞬間を待ち構えていた。
そして翌朝。 登園した俺の前に、凛が駆け寄ってきた。 その顔は、蒼白だった。
「蓮くん……! 昨日の、あの紙に書いてあった会社の株、本当にお昼休みにストップ高になったわ……。どうして? どうしてわかるの?」
「言っただろう。僕には『正解』が見えているんだ」
俺は、震える彼女の手を優しく握った。 小さな、温かい手だ。
「凛。僕についておいで。失われるはずの30年を、僕たちが『黄金の30年』に変えてあげる」
彼女の瞳に、初めて信頼の光が宿った。 最初のヒロイン、冴島凛の「確保」完了。 そして時代は、運命の1990年へと突入する。
バブル崩壊。 日本中の大人が絶望に打ちひしがれる中、3歳の少年は、史上空前の利益を叩き出すことになる。




