第2話:3歳の神童、パソコン通信で伝説になる
有馬記念の奇跡から、3年が経過した。 藤城家は、あの時の当選金をもとに都内の高級マンションへ引っ越していた。
父・健一は、俺が適当に(いや、確信を持って)指差した銘柄を買い、言われるがままに売るだけで、今や「サラリーマン投資家」として業界の端くれで名前が知られる存在になっていた。 もっとも、その指示を出しているのが、今まさに三輪車でリビングを爆走している3歳の息子だとは、夢にも思っていないだろうが。
(……そろそろ、親父を通すのは限界だな)
俺は三輪車を止め、リビングの隅に鎮座する「最新兵器」を見上げた。 父に強請って買わせた、NECの最高級パソコン『PC-9801』だ。 今の時代、本体と周辺機器を合わせれば100万円は下らない。3歳児の玩具にしては度が過ぎているが、俺がこれまで稼がせた金額に比べれば端金だ。
「蓮、またパソコンか? 本当に不思議な子だなぁ。普通の子はウルトラマンで遊ぶもんだぞ」
呆れ顔の母・恵美子が、おやつにリンゴを差し出してきた。 俺は「あー、パソコン、たのしい」と幼児特有のたどたどしい口調で返しつつ、心の中では冷徹にキーボードを叩く準備をしていた。
母が目を離した隙に、俺の指が高速で動く。 コマンドを打ち込み、モデムを起動。電話回線を通じて『パソコン通信』の世界へダイブする。 2025年の爆速回線に慣れた俺には、1200bpsという通信速度は発狂しそうなほど遅いが、今はこれが「世界」と繋がる唯一の窓だ。
(さて……仕込みを始めるか)
俺がアクセスしたのは、匿名投資家たちが集まる掲示板だ。 ハンドルネームは『REN』。 俺はそこで、1990年初頭から始まる「バブル崩壊」へのカウントダウンに向けた種まきを開始した。
『日経平均は3万8000円が限界だ。ここからは、土地を担保にした融資が絞られる。総量規制――大蔵省が動き出すぞ』
俺がそう書き込むと、掲示板は即座に荒れた。 『何を言ってるんだこの素人は。土地神話は不滅だぞ』 『景気に水を差すような嘘を吐くな。来年には4万円を超えるって証券会社の連中も言ってる』
画面の向こうにいる「プロ」を自称する大人たちの嘲笑。 俺は鼻で笑い、小さな指で返信を打つ。
『信じるか信じないかは自由だ。だが、高値で掴まされたくなければ、今のうちに利確してキャッシュを手厚くしておくことだな。崩壊の後は、現金を持っている奴が王様だ』
3歳児が書いたとは思えない、冷徹な分析。 俺は予言を投下し終えると、通信を切断した。 今はまだ「狂人の戯言」扱いだろう。だが、数ヶ月後、俺の言った通りに市場が血の海に染まった時、この掲示板にいた連中は『REN』という名を神のように崇めることになる。
(次は、実体のある『力』だ……)
俺には計画があった。 1990年代に訪れるIT革命。その波を日本に引き寄せるには、俺の手足となる組織が必要だ。 そして、その「手足」を探す絶好の場所が、来週から通うことになっている『聖マリアンナ幼稚園』にある。
そこは、政財界の重鎮の子息が集まる、日本一のセレブ幼稚園だ。 後に日本の経済を支えることになる財閥の令嬢や、ITベンチャーの旗手となるはずの天才たちが、今はまだ泥遊びをしている。
(冴島財閥……まずは、あそこの娘を確保するか)
冴島凛。 前世の歴史では、バブル崩壊後の強引な経営再建に失敗し、一族諸共没落していった悲劇の令嬢。 だが、彼女の持つ人脈と、冴島ブランドの信用力は、俺の野望には不可欠だ。
数日後。入園当日。 仕立ての良いスーツ(もちろん特注の幼児サイズだ)に身を包んだ俺は、幼稚園の正門をくぐった。 周囲には、お抱えの運転手が運転する高級外車が並び、着飾った保護者たちが挨拶を交わしている。
その中で、一際目を引く少女がいた。 白のワンピースに、手入れの行き届いた黒髪。 周囲の子供たちを寄せ付けない冷たい瞳をした少女――彼女こそが、冴島凛だった。
「あら、君……見ない顔ね。どこかの中小企業の息子かしら?」
取り巻きを連れた一人の少年が、俺の前に立ち塞がった。 どこかの不動産王の息子だろうか。子供らしい、残酷で稚拙な選民思想。
俺は時計を見た。 あと5分で、日経平均の午前の取引が終了する。
「どいてくれ。君みたいな『もうすぐ破産する家』の子供と遊んでいる暇はないんだ」
「は、はあ!? 何を言ってるんだお前!」
少年の顔が赤くなる。 俺は無視して、静かに凛の方へと歩み寄った。 彼女は、突然現れた俺を不審そうに見つめている。
「冴島凛さん。君のお父様に伝えておいてくれ。『西京銀行の融資を引き上げろ。代わりに、僕が冴島財閥を買い取ってあげる』とね」
幼稚園の砂場で交わされるには、あまりにも不釣り合いな宣戦布告。 3歳の神童と、没落する運命にある令嬢。 二人の出会いが、歴史を、そして日本の未来を大きく狂わせ始めた。




