3 きっと初恋だった女の子
『ねぇ、トーヤ。知ってる?』
夢を見ていた。まだ何も知らない頃の夢だった。
『なにをー?』
声変わりの気配もないソプラノボイスで返す。夢の中の灯也は幼くて、目の前の少女も自分と同じように小さかった。
彼女は白いワンピースをはためかせて言った。
『あのね。今さらどれだけ頑張っても、みんなは生き返らないんだよ?』
息が詰まる。後頭部を鈍器で殴られたような衝撃が襲う。
周囲の景色が一変した。穏やかな草原から、炎に包まれた校舎へ。
肉が焦げるような匂いが漂う。彼女の、■■の体がぐちゃぐちゃに溶けていく。
『ああ、可哀想なトーヤ。いくら頑張ったって、トーヤが許される日なんてこないのにねぇ』
「──くん! 灯也くん!」
呼び掛けと共に身体を揺さぶられる。その動作に意識が浮上し、灯也は目を開けた。
「大丈夫?」
一人の少女が心配そうに覗き込んでくる。桜色の髪をポニーテールにまとめた、今の灯也と同じ年頃の少女。
彼女の名前は何だったか。灯也は脳内を漁って、そして思い出した。
「うん。ありがとう、花音さん」
花音。白鷺花音。数時間前に出会った少女は、確かそう名乗ったはずだ。ちゃんと覚えている。
真っ直ぐな、きっと自分とは違う日常を送る女の子。
「……本当に大丈夫?」
「うん。心配させてごめん。ちょっと疲れてるだけだから」
「そっか。ならいいんだけど……車に乗るなり、灯也くん気絶するみたいに寝ちゃったから。さっきはかなり魘されてたし」
「あはは。課題に追われる夢でも見てたのかも」
そう誤魔化して、灯也は花音を見た。いや、正確には自分を不安気に見つめる花音とそれを視界に収めた。
いる。変わりなく、今日も。
それは幼い少女だった。
それは白いワンピースを着ていた。
それは灯也にしか見えなかった。
『ねぇ、トーヤ。本当にいいの? この子を現場に連れてって。わたしみたいに死んじゃうかもよ?』
彼女はいた。最後に見た時と変わらない姿で、ふよふよと車内に浮かんでいる。
いつからこれが見えるようになったのか、灯也はもう思い出せない。
だが一つだけ確かなことがあった。それは彼女は成長しないという事だ。
灯也が年を重ね、中学生になり、そしてブレザーに袖を通す年齢になっても彼女はあの頃のままだった。
だから灯也は、自分だけが生き残ってしまった事実を毎日新鮮に突きつけられる。
「花音さん」
「うん。どうしたの?」
灯也の声に、武器の確認をしていた花音が顔を上げた。
躊躇わず■■と同じことを尋ねる。
「本当にいいの? このまま現場に向かっても。……出撃義務は、四級以上にしかないよ」
花音の視線を感じながら言葉を続ける。
「これから向かう場所は前線じゃないけど、当然命の危険はある。……いや、むしろ前線より人が少ない分、死ぬ確率は高いかもしれない。降りるなら、今のだよ」
この車の目的地は、瘴鬼が蔓延る前線ではない。
むしろその逆──後方にある、逃げ遅れた人々が集う避難所だ。負傷した退魔師もそこに運ばれる。
回帰師である灯也の、本来の戦場。
花音は目を伏せた。前髪で表情が見えなくなる。
一拍置いたのち、彼女は再び視線を灯也に向けた。
「確かに、ちょっとだけ……ううん。かなり怖いって気持ちはあるよ」
彼女は拳をグッと握った。
「でも、行くよ。もう見てるだけは嫌だから」
そう告げる彼女の瞳には、かすかに、しかし確かな意思の光が宿っていた。
灯也は知っている。この目をした退魔師は止められないと。
なぜなら、自分もそうであるから。
「……そっか」
今の花音は、数時間前に出会った時と何かが変わったように見えた。何がきっかけかはわからないが死ぬ姿は見たくないと思う。正直、本心ではもっと強く引き止めたい。
しかし花音が行くと決意したなら、自分にそれを阻む権利はない。灯也は脱力して背もたれに身を預けた。
『ふぅん。トーヤはまた見殺しにするんだねぇ』
うるさい。
彼女はそんなこと言わない。
◇
「あなたが火燈灯也さん、ですね。お待ちしておりました。私は雲治院晴。三級回帰師でございます」
車に乗ること数十分。避難所に到着した二人を出迎えたのは、一人の女性だった。
腰まで伸びた白髪を後ろにまとめている。年は二十代前半だろうか。
しかし彼女の丁寧な言葉遣いと穏やかな所作は、年齢に見合わない老練さを感じさせた。
晴の視線が灯也の隣へと向く。
「その方は?」
「ああ、彼女は……」
「は、初めまして。白鷺花音といいます。五級退魔師です」
「五級ですか」
花音の自己紹介に、晴は考え込むように顎に手を添えた。
「五級に出撃義務はないはずですが……なぜ、危険を冒してまでここに……」
問いかけていると言うよりは、呟くような声。
晴の目が再び灯也に向く。そしてまた、花音を見る。晴はしばらく二人を見比べていた。
「……なるほど。私、理解いたしました。白鷺さんは火燈さんの力になりたくて付いて来たという事ですね? つまり、火燈さんにほの字だと」
「違います!」
「はは……面白い冗談ですけど、それはないと思いますよ。花音さんとはさっき会ったばっかりだし、好かれる理由もない」
「………………。いや、別に全部間違いってわけじゃないけど……」
晴は二人のやり取りを一瞥した後、空気を変えるように咳払いをした。
「さて。冗談はここまでといたしまして──」
彼女はその白い指を伸ばし、室内へと入るよう促した。
「こちらへ。火燈さん、貴方に見ていただきたい負傷者がいるのです」
彼女に先導され、二人は建物の中へと足を踏み入れる。
ここは退魔師協会が保有しているビルの一つ──正式名称は、退魔師協会足立区第三支部。普段は退魔師たちの拠点として活躍しているが、非常時は一階が避難所として解放される。
奥へ奥へと進む中で、灯也は周囲の様子を観察していた。
不安そうに親に抱きつく子供。
誰かに電話している女子高生。
ため息を吐き、肩を落とす男性。
自分が守るべき人々。
──ここにいる誰一人、死なせたくない。
「こちらでございます。この扉の先に、貴方に治療していただきたい負傷者が。……少々刺激が強いので、お覚悟を」
知らず知らずの内に握っていた拳をほどき、灯也は扉に手を掛けた。
そして部屋の様子を目にした瞬間、思わず息を呑む。
それ──その人物は白かったのであろうベッドの上にいた。
白い隊服は見る影もなく赤く染まっている。
顔を見る限り男性であろう。叫ぶ気力もないのか、半開きになった口からは呻き声が漏れるだけ。目は虚空を見つめている。
彼には四肢がなかった。
右手左手右足左足。その全てが半ばで切断されている。
失った部分を思い出すように、時折痙攣していた。
「……なるほど。状態は?」
「四肢が欠損しているのと、一部の内臓に損傷がございます」
「どれくらい時間が?」
「ここに運び込まれてから、およそ三十分ほど経過しております。……出来る限り手を尽くしたのですが、私どもでは応急処置しか出来ず」
「四肢は回収しましたか?」
「ええ。それだけは幸いな事に、手足四本ともこちらにございます。それで、どうでしょう。……一本だけでも繋ぐ事は可能でしょうか?」
「……いいや」
「全て繋ぎます」




