2 異常者と凡人と
──眩しい。
ビルの入口で花音は立ち止まった。自身を容赦なく照らす夕陽に目を細める。ずっと暗い場所にいたせいか、やけに明るく感じた。
花音に続いて出てきた隊長が呟く。
「夕陽……。そうか、もう夕方だったのか。それほど時間が経っていたとは」
疲労に満ちた声音だった。その肩は灯也に支えられている。
「そうですね、隊長。私達が出発したのは朝だったから……一日中、ずっと戦ってたんだ」
花音の言葉が夕暮れに溶ける。
命が助かったのにも関わらず、二人の表情は暗い。
しかしそれも当然だった。
花音たちは助かった。生きている。だが、それだけだ。
退魔師としての自信も、他の隊員の命も失ってしまった。
それを考えれば、自分達だけ生き残ったことを無邪気に喜ぶことは出来なかった。
重苦しい沈黙が落ちる。
その中で、灯也が何かに気づいたように「あ」と声を上げた。
「ごめん、まだ言ってなかったっけ」
彼は少し申し訳なさそうに続けた。
みんな生きてるよ──と。
◇
「灯也くん、ほんっとうにありがとう! 天才だよ! 命の恩人だよ!」
「うん、わかった。わかったから落ち着いて花音さん」
一時間後。花音は協会の医務室で、灯也の手を握りしめてブンブンと振っていた。
「ご、ごめん。感謝の気持ちだけじゃ足りないよね。お金とか払った方がいいかな?」
「うん、そういうことじゃないよ花音さん。お金はちゃんと協会から貰うから大丈夫だよ」
「そっか……そうだよね」
灯也にあっさりと断られた花音は、意気消沈したように黙り込んだ。
その場を沈黙が支配する。時計の針がカチカチと動く音だけが鳴り響いていた。
そして、丁度その針が三周したころ。
灯也が見計らったように口を開いた。
「落ち着いた?」
「う、うん。ごめん。みんなが生きてたのが嬉しすぎて、なんか変なテンションになっちゃった」
「あはは、いいよ」
朗らかに笑う灯也に、花音は先ほどまでの自分を思い出して顔を赤くする。
みんな生きている──灯也が一時間前に言ったことは本当だった。
どうやら彼は、他の隊員を助けながら花音たちの元にたどり着いたらしい。
あの後、ビルに駆けつけた増援部隊がみんなを運び出す光景を、花音は信じられない気持ちで見つめていた。
救出された隊員たちは全員無傷とは言えない状態だった。
当たり前だ。どんなに優秀な回帰師にも限界はある。
命が助かったとはいえ、腕がなくなった者がいる。退魔師を続けられなくなった者もいる。
だけど。
全員、確かに生きていた。温かかった。鼓動があった。
たった一人の少年のおかげで──花音はみんなとまた会えた。
「ねぇ、灯也くん」
「なに?」
「お金……は払わないけど。でも、それくらい感謝してるのは本当だよ」
花音は言葉を紡いだ。
未だ熱が残る頬を感じながら。
灯也の目を真っ直ぐに見つめて。
「灯也くん。私達を助けてくれて、本当にありがとう」
「────」
灯也の橙色の瞳が大きく見開かれる。彼は「ああ……うん、まぁ……」と呟いた後、ぎこちなく視線をそらした。
「ごめん。私、また変なこと言っちゃったかな?」
「いや! 変じゃないよ。ただ……こんなに真っ直ぐ感謝されたのは久しぶりだなと思って」
そう言って、彼は照れたように笑った。
その笑顔はやっぱり普通の少年のように見えた。花音のクラスにもいそうな、少し大人びた男の子。
「隊長さんにも同じこと言われたよ」
「そうなの?」
「うん。『本当にありがとう』って。『うちの娘と会ってみないか』とも言われたけど」
「あはは……」
当の隊長はこの部屋にはいない。医務室でみんなと一緒に治療を受けた後、病室へと移動した。灯也の治療で一命を取り留めた──どころか元気だったが、念のため入院することになったのだ。
その後も他愛のない話が続く。
医務室で流れる時間はあまりにも穏やかだった。
だから花音は忘れていた。
彼が、奇跡の代償に何を支払っているのかを。
ごぽり。
「え?」
まるで排水溝から水が逆流するような音。
突如聞こえた異音に、花音は反射的に顔を上げた。正体はすぐにわかった。
灯也が、口を抑えている。彼の手からは赤い雫がぽたぽたと流れ落ち、袖口を濡らしていた。
──吐血。
それを理解した瞬間、花音の顔から血の気が引いた。
「と、灯也くん大丈夫!? どうしたの? まさかさっきの戦いの反動で……!」
駆け寄る花音を、灯也が手で制す。
そしてなんでもないと言うように軽く手を振った。
「……ああ、大丈夫。ちょっと治しきれてなかっただけだから」
よくあることだから。
「大丈夫なわけねぇだろ。テメェふざけてんのか」
瞬間、刃のような声が響いた。その声の主はもちろん花音──ではない。
唯一埋まっていたベッドから、一つの影が起き上がった。その人物はカーテンを開け、こちらへと近づいてくる。
「よぉ異常者。お前、まだ退魔師やってたのか」
現れたのは黒髪黒目の少年だった。灯也と同じくらいの年齢に見える。
しかし、受ける印象は正反対だった。灯也が優しそうな少年ならば、こちらは人を寄せ付けない雰囲気を纏っている。
「……ああ。なんだ景だったのか。また医務室でサボってたの?」
「サボりじゃねぇ、休憩だ。クソみたいに任務回されて疲れてんだよ」
「そう。でも今日、一級の合同訓練だって聞いたけど」
「あんな集まり行く意味ねぇ」
「またそんなこと言って……あの人泣くぞ」
景、と呼ばれた少年は灯也と知り合いのようだった。しかもかなり親しい間柄の。
だが、花音がわかったのはそれだけだった。二人の会話内容についていけない。
「んな事はどうでもいいんだよ。お前……その血はなんだ?」
「なんだって……俺の戦い方は知ってるだろ。ただ治し損ねてただけだよ」
「違うな。いつものお前ならそんなミスしねぇ」
景という少年の、漆黒の目が灯也を見据えた。
「お前、今日何回目だ?」
「何が?」
「……テメェ、朝も別の救援に行ってたよな。昼飯の時もいなかった。テメェは今日何回──人を助けに行った?」
灯也はしばらく黙った後、観念したように口を開いた。
「まだ三回目だよ」
その言葉に息を呑む。
灯也の言葉が本当なら、彼は一日中休んでいないことになる。
朝も昼も夜も、花音のような退魔師を助けながら。自分の身を削って。
景が灯也の胸ぐらを掴む。
「死にてぇのか?」
「そんなこと思ってないって」
「端から見たらそうなんだよ。テメェみたいな奴がいるから世間のカスどもが『退魔師は死にたがりが多い』なんて抜かす。あんな曲芸、普通なら一回だって持たないんだよ」
花音には、胸ぐらを掴むその手がかすかに震えているように見えた。
「死ぬぞ、お前。そう遠くない内に」
「死なないよ」
今度は灯也が見据える番だった。
穏やかではっきりとした声。まるで一時間前、戦おうとする隊長を止めた時のような声音。
「俺は死なない。……いつも死ぬのはみんなの方だ」
しかし、瞳にあの時のような強い意思はない。橙色の瞳には、悲しみとも怒りとも判別がつかない光が宿っている。
寂しそう、だと思った。
だから花音は何かを言わなきゃいけない気がして、咄嗟に口を開く。
「灯也く──」
だがその瞬間、花音の声を一つの音が遮った。
不快なハウリング音。スピーカーからだ。
続いて女性の焦っているような声が流れる。
「《……発生。緊急事態発生。瘴鬼が足立区に出現との情報あり。四級以上の退魔師は至急現場に出撃せよ。繰り返す、四級以上の退魔師は足立区に──》」
それは、瘴鬼の出現を知らせる放送だった。
「四級以上は出撃だってさ、景」
「…………」
「行かなきゃ。もういいだろ、離せよ」
「チッ……勝手にしろ。死ぬなら俺がいない場所で死ね」
乱雑に吐き捨てられた言葉。
それに比例するような手つきで、景は灯也の服を離し去っていく。
一月某日。
退魔師にとっての冬は、未だ終わりが見えない。




