AI小説「ベクタの魔法」
アーラン村の外れ、風の通り道に立つ一本の大樹。
枝葉は空に伸び、幹は太く裂け、根は地の奥深くに絡みついている。
時の大樹――それはただの自然の造形ではない。神話の残響を宿し、未来を映す鏡として語られる、女神アリステラの遺産。
今もその木は、夕暮れの光に照らされながら、静かに息づいている。
メルノは、その前に立っていた。
風が頬を撫でる。空の色は、燃えるような朱。
彼の心は、決して穏やかではなかった。
継承の時が迫っている。
アーラン村に古くから伝わる秘術、《ベクタの魔法》。
それを託されるのが、自分だという事実に、未だ体の奥が軋んでいた。
強大すぎる力。制御を誤れば時さえ歪めるという魔法。
そんなものを託されることが、本当に「守ること」につながるのか。自問に、明確な答えは出せずにいる。
「……またここにいたの?、メルノ」
後ろから届いた声は、どこか呆れたようで、けれど心配を隠せていなかった。
振り返れば、そこにマヒルがいた。
肩まで伸びた髪が風に揺れ、薄い外套の裾がかすかに翻る。
子どもの頃から変わらない、しっかり者のまなざし。けれど今日は、それが少し翳って見えた。
「村では皆お前のことを探してる。……明日が継承の日なんだから。隠れてる場合じゃないでしょ」
「逃げてるわけじゃない」
メルノはゆっくりと視線を戻し、大樹を見上げた。
その枝の先に、何か答えがあるような気がしていた。
「ただ……どうしても、ここで確かめたかったんだ」
「未来を見せるって話? 伝説を本気で信じてるの?」
「伝説は語る者によって形を変える。でも、嘘ばかりじゃない。少なくとも……女神アリステラが何かを残したのは、本当だろう。だったら、俺はそれを見たい。自分の目で確かめたいんだ。これから先にあるものを」
マヒルは口を閉ざし、少しだけうつむいた。
彼の性格をよく知っている。理屈では止められない頑固さと、誰よりも強い責任感。
けれど、それゆえに危ういとも思う。
自分ひとりで全てを背負おうとするから、傷つく。だから――放っておけなかった。
「……私は、恐ろしい」
マヒルの言葉は、ぽつりと漏れた祈りのようだった。
彼女の中では、ずっと渦巻いていた感情。心の奥底で形を成さず、言葉にできなかった不安。
「ベクタの魔法は、誰も扱えなかった。だから封じられたんだよ? その力を継いで、もしお前が……お前が壊れてしまったら」
言い終えたとき、マヒルの目に小さな揺らぎがあった。
感情が表に出ることは少ない彼女だからこそ、その一言が重く響いた。
メルノはゆっくりと目を伏せ、拳を握った。
自分が継ごうとしているものが、どれほど危険かは分かっている。
だが同時に、それを放り出すこともできなかった。
「……だから、逃げたいという気持ちもある」
小さな声。それでも、その想いはまっすぐだった。
「未来を、世界を、たとえどんな運命が待っていたとしても、俺は選びたい。この手で選んだ結果なら、きっと受け止められるから」
風が吹いた。
その瞬間、大樹の根元から、淡い光が立ち上がる。
ふたりは、ただその光景が大きな幻想として見えている。
それは幻想のようで、しかし確かな存在感を持っていた。
光は空中に浮かび、ゆるやかに形を変え始める。
ひとつ、またひとつ、記憶の断片のような光景が浮かび上がる。
——子ども時代のふたり。
無邪気に走り回り、笑い合い、大樹の根元に小さな宝物を埋めていた日の光景。
——未来。
燃え落ちるアーラン村。
ひとり立つメルノ。
その掌に宿る光と、背負うべき罪。
「……これが、未来?」
マヒルの言葉が不安に感じる。
メルノは、足を一歩、前に踏み出した。
逃げることはできない。見てしまったからには。
「運命回避の処方箋はないから、このまま行くね」
彼の拳が、静かに震えていた。
それは恐れでも迷いでもなく、覚悟の輪郭だった。
「運命が定まってるっていうなら、それを壊してみせる。未来を変えるために、俺はこの力を使う」
そのとき。
マヒルが、そっと彼の手を取った。
ひんやりとして、けれど確かに体温のある手。
「……あたしも一緒に見るよ」
目を逸らさず、彼女は言った。
時の大樹の葉が揺れ、音もなく天を仰いだ。
それは、ふたりの誓いに応えるように、優しく、ゆるやかに光を放つ。
この大樹が映したのは、破滅の未来。
だが——その未来は、まだ書き換えられていない。