リュウツー
リュウツーがね、死んだのと彼女が言った。
「──リュウツーが? どうして?」
柏木大介は、彼女の言葉を聞くなり、驚いた表情を隠せなかった。
一緒に暮らしていた時はあんなにも元気だったのに。
──あのリュウツーが
しばらく無言が続いた。
病院の静かな空間で、「死」を語る。
それは、非常に背徳的な雰囲気を醸し出し、禁忌な話題でもあるが、幸いにして彼女が入院している病室は個室だった。
外から入る静かな風が、カーテンを揺らす。
春先の穏やかな日差しがより室内を明るくする。
「ごめんなさい。窓、締めてほしいの。私、花粉症だし」
ああ、そうだね。柏は、そう呟くと窓を閉める。柏木の後ろ姿に彼女は続ける。
「ママって、自分が花粉症じゃないから、ちっともわかってくれないのよ」諦めたような、それでも母子間に宿る深い愛情を感じるように、ゆっくりと話す。
窓を締め終わると、「ありがと」と呟く。
「薬ダメだもんな…」
柏木も花粉症だった。
しかし、彼はアレジオン錠を服薬し、あの日本人の生産性を下げる花粉という悪魔に抗っていたが、彼女はそうもいかなかった。
彼女はいま、薬が飲めない──妊婦だった。
そう。ここは、産婦人科。
新たなる生命が誕生する。病院でももっとも奇跡が生まれる場所。
彼女は──柏木の視点でいうと、妻になる──里帰り出産のために、帰郷し、今この病院にいる。
せっかく、この子ももう少しでリュウツーに会えたのに…
彼女はお腹をさすりながら、残念そうにつぶやく。
リュウツー──それは、彼女と柏木が結婚をし、その節目として買い始めた黄色いインコだった。
二人が結婚する前、彼女は一人暮らしを送る中で、青いインコを拾い、大切育て、時を共にしていたが、料理中の不慮の事故でそのインコを亡くしてしまう。
『ちゃんと面倒を見ることができないから』そういってペットをかうことをしなかったがかうことをしなかったが、二人で暮らし続けるならと、飼い始めた。
「前飼っていた子は、リュウでしょ。2代目だから、リュウツー」と彼女が名付けた。
柏木の頭の中では、版権ギリギリではないかという懸念があったが、その時はそんなに反対する理由もなく、「そうだね、リュウツーにしよう」と合意した。
しかし、今にして思えば、かなりのネーミングセンスだ。
それを踏まえ先日の家族会議で話し合われた「子供の名前は私が決めたい」という彼女の申し出に、両親・義両親総出で反対したのは、記憶に新しい。
そのリュウツーは、柏木と彼女の生活に解け込んでいて、おはよー、いってらっしゃい、アイシテルなど言葉を覚えていて、かけがえのない存在だった。
帰りの遅い柏木だけでは面倒が見切れないこともあり、里帰り出産の際、彼女と共に帰郷し、いまは彼女の家に預けられていたはずだ。
ママがね──と、彼女は続ける。
その表情はやはり、言葉を探すような複雑だった。
「リュウツー、かわいいねって、すっかり気に入っていてね。私より気に入っちゃったみたい。かわいいねって」
いろいろ言葉をおぼえさせようって、おばーちゃんって言ってごらんって、一生懸命だったのと、お腹をさすりながら言う。
「だから安心してた。ママなら、私が入院している間も、ちゃんと面倒みてくれるんだろうって」
餌のあげ方や量、間違って飛んでいかないように、風切り羽をきること、前回失敗してしまった料理中には籠から出さないことなど、実体験を交えてしっかりと伝えたつもりだったの。
柏木は、ベッドの横にある椅子に座り、彼女の話を聞く。
「ママがね、リュウツーの籠の掃除をしようとしたんだって。でも、籠から出しちゃいけないって言われてたでしょ。だから、最初は箒でね、掃除してたんだって」
──でも
量が多かったから、掃除機で吸おうって思って、ノズルを籠の中に…
「スイッチを入れたら、その音にびっくりしちゃって、慌てたリュウツーがズボッって」
「ズボって?」
柏木はそのオノマトペに驚いた。
「吸い込まれちゃったの」
「マジか…」
柏木は言葉を探したが、見つけることができないでいた。
「ごみを吸い取ろうと思ったのに、リュウツーが吸い込まれて、掃除機に命を吸い込まれたって、ママが──」
彼女はティッシュで鼻をかむ。
──いくら前回が料理ネタだったとしても、この場において何をうまいこと言っているんだろうと柏木は思った。
「もう、鳥は飼わない方がいいかもな」柏木はつぶやくと、彼女は「そうね」と答える。
「さよなら、リュウツー」
柏木は、もう二度と会えないインコを思い、静かに窓の外の空を見上げた。
そこには、大量の花粉でできた花粉光環と、そして自由に飛ぶ鳥の姿があった。
奇妙なタイトルにも関わらず、わざわざ開き、読んでいただきありがとうございます。
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