後編
最終話です。
「わたくし達、婚約を解消しましょう」
身を切るほどの痛みを伴いながら、声を押し出してようやく告げたその言葉。
それなのにエル様は抑揚のない声でただ一言。
「なぜ?」
「なぜって……それをエル様が望んでおられるからですわっ……」
「私が望んだ?いつ?私はそれをキミに告げたか?」
「つ、告げられてはおりませんが、昨日の状況と先程ジョンストン伯爵にお聞きした内容で察したのですっ……」
「そうだな。話すタイミングがズレてしまったために、キミに不要な誤解を与えてしまった。だが、縁談の話が纏まるかどうか不確定な段階ではまだ話せる事が少なかったんだよ。それでもやはりキミには知っておいて貰うべきだと考えて、今日話そうと思っていたんだが……」
わたくしが一体なにを誤解すると言うのでしょう。
エル様ご自身も“縁談”と認められて、誤解も何もないと思うのですが。
わたくしはそれをエル様にぶつけました。
「もうそのお言葉だけで充分ですわっ、それだけでもう全てお察ししますから、だからもう何も言わないでくださいませっ……」
これ以上何も聞きたくはないわ。
ましてやエル様のお口からバネッサ様を選ぶとは絶対に聞きたくはありませんっ……!
わたくしは勢いよく立ち上がり、エル様に告げました。
「破談の手続きは父を通して行ってくださいませっ……。わたくしはもう二度とエル様の御前には姿を見せませんから、どうか遠慮なくバネッサ様とお幸せになってくださいませっ!」
わたくしは止めどなく溢れる涙を拭うこともせず、勢いに任せてエル様にそう告げました。
そしてそのまま立ち去るべく踵を返そうとした瞬間、エル様に手首を掴まれたのです。
「えっ?」
エル様にグイッと引き寄せられて、わたくしはまた彼の腕の中に逆戻りしました。
そしてどこかへと引き込まれる感覚がして……。
………次に足が着いた場所はエル様の私室でございました。
わたくしの侍女も護衛騎士も、エル様の側近も侍従も護衛騎士も全て置き去りにして、わたくし達二人だけでエル様の部屋へと転移魔法したのです。
エル様は高位魔術師に匹敵する高い魔力を持っておられますから。
だけど。
「……エル様、なぜ……?」
風前の灯火の婚約者同士といえど、未婚の男女が部屋に二人きりになるのは好ましい事ではありません。
それはエル様もご存知のはずなのになぜこのような強行な手段を出られたのか、わたくしには理解できませんでした。
エル様はわたくしを抱きしめたまま、俯いておられます。
わたくしの肩口に顔をお寄せになっているので、わたくしからは彼の顔を見ることが適わないのです。
「エル様……?」
わたくしがもう一度御名をお呼びしたら、ようやくエル様はお顔を上げてくださいました。
だけど彼の表情は、今までわたくしが見たこともないような、どこか昏くて重い……そんな顔をされていました。
そんなエル様が少し掠れた声でわたくしに言います。
「……誤解を与えた私が全て悪い。キミがいつだって私の気持ちを汲んで察しようとしてくれているのもわかっている。だけど、……今回ばかりは……私も平静ではいられないよオフィーリア」
「だってっ……」
「本当に私の幸せを願ってくれるのなら、もう二度と婚約解消なんて言葉は口にしてくれるな。そして二度と私に会わないような発言も……」
「だけど!わたくしとの婚約を解消しなければ、エル様はバネッサ様を妃に迎えることが出来ないのよっ?……はっ!」
キュピー…「ンと、勝手にお察しはさせないよオフィーリア。私はキミを正妃にしてバネッサ嬢を側妃として迎える、なんて考えてはいないのだから」
「まぁ!」
なんということでしょう!
お察しを先に察せられてしまいましたわ!
さすがはエル様!
でもでも、そうでなければおかしいもの。
わたくしと婚約解消をせずにバネッサ様に求婚だなんてっ……!
「ではどうするおつもりなのですっ?まさか伯爵家のご令嬢を愛妾になさるとでもっ?ですがジョンストン伯爵のお話ではエル様自らきちんと縁談を申し込まれたとっ……!」
「そうだ。陛下の名代で、私がジョンストン伯爵家にバネッサ嬢との婚約の打診をした」
「でしたらやっぱり!」
「でもそれは、弟のシンドリックとの縁談だ」
「…………え?」
エル様は今、なんとおっしゃったの?
ん?シンドリック様の縁……談?
わたくしは首を可動域ギリギリまで傾げてエル様にお訊きしました。
「シンドリック様と……バネッサ様の?」
エル様はわたくしのこめかみと顎の横に手を添えられ、わたくしのお首を真っ直ぐに戻しながら頷かれました。
「そうだよ」
そうだよ、って……。
わたくし、ちょっと頭が混乱して参りましたわ。
だって弟君のシンドリック様は十歳の坊やで、バネッサ様はわたくしより一つ年下の十七歳のはずですもの。
「以前、母上が主催された茶会に出席したバネッサ嬢をシンドリックが見初めたんだよ。その後、バネッサ嬢が行儀見習いとして母の側に侍るようになり、ますます夢中になったようだ。だが年齢的な釣り合いを鑑みて、家族で諦めるように本人を説得したんだが……」
「シンドリック様はご納得しなかったと」
「そうなんだ」
その後、エル様は説明してくださいました。
どれほど時間をかけて、道理を説いてお話しても、シンドリック様は頑として聞き入れなかったそうです。
それどころかシンドリック様は、一目惚れしたバネッサ様とでないと一生結婚などしないと宣言され、お部屋に閉じ篭ってしまわれたそうなのです。
あまつさえハンガーストライキまでされて。
こうなっては仕方がない。とりあえずシンドリック様が少しでも気が済むよう、形だけジョンストン伯爵家に打診をしてみようと、エル様は国王陛下と王妃様と決められたそうです。
まぁ常識的に考えて、いくら王家からの打診とはいえ十七になるご令嬢と十歳の坊やとの縁談など普通はありませんからね。
これが王族同士、国家間の関係に関わる事であれば話は別でしょうし、または男女逆のパターンであれば縁談が結ばれるケースもあります。
だけどシンドリック様の成長を待ってからの婚姻となると早くても八年後、バネッサ様は二十五歳になっておられます。
この国の貴族令嬢の結婚適齢期が十七歳から二十歳までなのを考えると、相当な行き遅れになってしまいますわ。
なので断られることを想定して、相手側のジョンストン伯爵にも断ってくれても全然構わない旨を添えて打診したのだそうです。
むしろバネッサ様ご本人が縁談を拒まれたのであれば、さすがのシンドリック様も諦めざるを得ないでしょうから。
ところが……
「ところが、バネッサ嬢が諸手を挙げて、二つ返事で縁談を受けたんだ」
「えぇっ?バネッサ様は喜ばれたのですかっ?」
エル様のおっしゃることには、バネッサ様は同い歳や年上より年下の男性がお好みなのだそうです。
その年の差は離れていれば離れているほど良き♡なのだとか。
バネッサ様は「合法、公認ショタ、嬉しみの極みですわ~」とエル様に縁談を受ける意志を直接、前のめり気味で伝えられたそうですわ。
それがわたくしが見た、庭園でのお二人だったとか……。
あの時お二人は共通の、シンドリック様のことで和気あいあいと会話をされていたそうなのです。
それで、弟君を慈しんでいらっしゃるエル様は柔らかな表情をされて、バネッサ様に至っては年下のシンドリック様に想いを馳せ、頬を薔薇色に染めておられたのね……。
な、なんということなのでしょう……。
「それじゃあ……それじゃあ、エル様はバネッサ様をお求めになったわけではないのですね?わたくしは……エル様の婚約者のままでいても構わないのですね……?」
「構うもなにも、私が求めるのはずっとオフィーリアだけだよ」
「ずっと?……でもそんなこと、今までひと言もおっしゃってはくださらなかったわ」
「それについては……ごめん。私が全面的に悪い。色々と察するオフィーリアのことだから私の気持ちもとうに察してくれているものとばかり思い込んでいた。でもそのくらい、私はこれまでキミを誰よりも特別に扱ってきたつもりだよ」
「た、たしかに、とても大切にしていただいて参りましたし、婚約者であるというだけで以前からわたくしの身の回りの物と遊興費は全て、エル様の個人資産で賄われていると聞き及んでおります……。わたくしはすでにエル様に養われているような状態だと、母が申しておりましたわ」
「うん。そうだね。……この際だから白状しておくよ。例えばオフィーリアが今着ているそのドレス。それも私が贈ったものだけど、じつはそのドレスの繊維には私の魔力が織り込まれているんだ」
「え、」
「キミに贈った衣服やハンカチや手袋、全て私の魔力が織り込まれている」
「え、」
「それだけではないよ。アクセサリーに用いた貴石の中には私の魔力を結晶化した物も使用しているし、その他の装飾品にも全て私の魔力が込められている」
「え、な、なぜですの?なぜそのような……」
「そうすれば、いつキミの身に何かイレギュラーな事が起きてもすぐに私に伝わる。恐怖や怒り、痛みや悲しみなどがね。オフィーリアが身に付けている私の魔力と繋がっているから」
「え、え、」
「仕方ないんだ。オフィーリアの父上であるロッテンフィールド公爵から婚儀を終えるまで娘に不埒なことをするなと釘を刺されていたから。でも初夜を迎えれば、物ではなく直接キミに魔力を注ぎ込んでマーキングをするよ」
「マ、マーキング……」
と、いうことは今は持ち物でエル様にマーキングをされているということなのですね……。
どうりで昔からわたくしが泣くと、直ぐにエル様が現れる理由ですわ……。
魔力を通して全てお見通しだったのですから。
次々と明かされる衝撃的な事実に、わたくしは只々呆然としてしまいます。
なんというか……はい、察するまでもございませんわね。
わたくし、エル様にとても愛されておりました。
それはもう、重~く押し潰されそうなくらい重い愛で文字通り包み込まれていますわ。
きっとわたくしが察せられなかっただけで、もうずっと以前から、わたくしはエル様にそうやって守られてきたのでしょう。
「……私が嫌いになった?」
「え?」
エル様らしくない、少し心許ない声でそう尋ねられ、わたくしは彼の方へと視線を向けました。
見ればエル様の瞳が不安気に揺れています。
きゅん。
王太子として、次期君主としていつも英姿颯爽としておられるエル様とは思えないその様子に、わたくしは不敬にもお可愛らしいとトキメキを感じてしまいましたわ。
こんなエル様を見るのはわたくしだけなのだと思うと、えも言われぬ多幸感に包まれます。
「ふふ」
お父様、ごめんあそばせ。
婚儀まで不埒な真似は許さないとエル様におっしゃったそうだけど、わたくしは言われていませんもの。
わたくしはエル様に一歩近付き、そして彼の頬にキスをしました。
キャーーッ♡
このキスがわたくしの答えですわ。
エル様は一瞬目を丸くしてわたくしを見つめていました。そしてすぐに眩しげに目を細めて……
「きゃっ……?」
わたくしをがっしりとホールドして、そして今度はエル様からキスをされました。
なんと、唇に。
その後の記憶はまったくございませんわ。
(まぁ~一日に二度もだなんて)
気が付けば屋敷に戻っておりましたの。
侍女の話では、王妃さまとのお茶会は中止にしてエル様が連れ帰ってくださったのだとか。
エル様はたまたま屋敷にいたお父様に威風堂々と謝っておられ、それをお父様は歯噛みをされて悔しがっておられたらしいのです。
はて?どうしたのかしら?
その日以来、エル様から贈られる品々に彼の魔力が仕込まれることはなくなりました。
もうその必要がなくなったのだとか、エル様はおっしゃっていましたわ。
そこでわたくしはまたお察ししました。
わたくしはすでに、エル様によりマーキング済みなのだと。
多分、初めてキスを交わしたあの時でしょうね。
今回様々な誤解が重なり、わたくしのお察しは的を外してしまいましたけれども、わたくしはこれからも察しに察し、お察ししまくってエル様をお支え続けて参る所存ですわ。
そしていずれは立派な王太子妃に、ゆくゆは立派な王妃となってみせます。
その時にはきっとわたくしは国母にもなっているでしょうし、ご成人あそばしたシンドリック様とご成婚されたバネッサ様と義姉妹になっていることでしょう。
だけど変わらないのはわたくしのエル様への愛情。
それだけは未来永劫死がふたりを分かっても変わらないと、
察するまでもなくわかりますもの。
◈─────────────────お終い◈
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