第3話 夜襲
アイーシャの侍女の悲鳴でカシムは起こされた。
人気の無い柱廊を走り抜けて駆けつけると、護衛は絶命しており、部屋へ急ぎ足を踏み入れると、アイーシャの寝台は血で染まっていた。
剣を構えているアイーシャの側に、叔父のアフマドが首を斬られて息絶えていた。
「アイーシャ様、お怪我は!?」
「大事ない、······すまないな、夜中に起こして」
アイーシャは血まみれの寝台からアフマドの巨躯を蹴り落として床に転がした。
「何をおっしゃるのです、さあ姫様は別室へ」
カシムは急いで湯浴みのしたくをするように侍女に命じた。
「ここは私どもが片付けますゆえ、お早く」
カシムはアフマドの目が見開いたままの顔に近くにあった布を掴んで被せた。
狼藉者とはいえ、腐っても王族、これでも王弟殿下だからだ。
返り血を浴びた夜着を侍女に脱がされ、顔にまで飛び散った血を拭られているアイーシャは、まだ剣を握りしめていた。
「叔父上はわたしが月のものが来ているのを知らなかったようだな。わたしを孕ませることは失敗したようだ、多分」
アイーシャは椅子に座ると脱力してガシャリと剣を落とした。
「叔父に寝込みを襲われるとは······、わたしの純潔は王族にとってはどうでもいいらしいな······」
彼らはわたしを孕ませ、わたしの伴侶となり自分が王位さえ掴めればそれでいいのだ。
自分の伴侶と我が子の純潔には異様に拘るくせに、権力のためなら、他の女達や姪の純潔や貞操へは微塵も配慮しない······下衆だ。
「······わたしは人を殺してしまった。しかも自分の血族を」
「致し方ありません、正当防衛です」
カシムは蒼白な顔で答えた。
「念のため、避妊の薬湯を頼む。内密にな」
アイーシャが侍女にそう命じると、カシムは瞠目しアイーシャの身に起きた事態を理解すると両の手を固く握りしめた。
薬湯を飲み干すと湯浴みを済ませて、別室の寝台に潜り込んだ。
鎮静作用を促す柔らかな香が焚かれ、アイーシャの好きなジャスミンの白い花が寝台の傍に飾られていた。
カシムを残して侍女らを下がらせた。
アイーシャは深い溜め息を吐いてからカシムに懇願した。
「······カシム、わたしがもし暴君になったら、その時はあなたがわたしを殺してくれないか」
アイーシャの悲愴な相貌にカシムは言葉を失った。
揺れる銀の瞳をただ見つめることしかできなかった。
「おやすみ、カシム、良い夢を」
アイーシャはカシムの頬に口づけると、すぐさま枕に顔を埋めて背を向けた。
翌朝、宮中ではアフマドの死に騒然となったが、王位争いのライバルが減ってホッとしたのか、王妃や兄達は平然としていた。
「あんな男女を襲おうとするなんて馬鹿だな」
「返り討ちに合うのがわからないなんて」
故アフマドは散々こき下ろされた。
アイーシャがアフマドに凌辱されたことは伏せられている。
カシムは昨夜の侍女に高額な口止め料を渡し後宮から既に去らせたていた。
アフマドの妻子は蟄居させられた。
母はアイーシャの身を案じたが、兄ムラートに母の身辺警護を強化するようにアイーシャは要請した。
「これは過保護過ぎるぞ」
アイーシャはカシムに苦言を呈した。
夜襲を受けた翌日から、カシムが同室の長椅子で寝泊まりしているからだ。
「カシム、あなたのせいではないからな」
「いえ、こんなことになるならば、いっそ私が······!」
「···いっそ?」
ハッとしたカシムは、それ以上は口をつぐんだ。
「それから、わたしは妻を娶ろうと思う」
「 左様···ですか」
「カシムはどんな娘が好きなの?」
「私ですか?!」
カシムはしどろもどろで返答できなかった。
「ふふふ。昔あなたが言ったよね。妻にならずに妻を持てばいいって」
「は、はあ···確かに」
「なんだか、その通りになりそうだなって」
アイーシャは長い金髪を短く切り揃えた。恐らく兄達よりも短髪だ。
髭も剃らずにいるので、うっすらと髭面になりつつある。
「あなたは綺麗だね。あなたの方がよほど姫様みたいだ」
「······私がですか?」
「子どもの頃からずっとそう思って見惚れていたよ」
「そのようなことは······」
カシムは決まりが悪そうに、ミント茶を喉へ流し込んだ。
「少なくとも、わたしよりは面妖ではない」
「姫様はわざとですよね?」
「これはわたしなりの戦略、武装なんだ」
「······わかっております」
「うん、ありがとう。カシムならわかってくれると思っていたよ。これからもよろしくね」
アイーシャはカシムに全幅の信頼を寄せていることを示す、なんのてらいもない、心からの笑みを返した。
昔からこの笑顔に弱いカシムだった。
23時48分 誤字訂正しました。