05
「大変っす。リリー様が誘拐されました」
お茶会の席に、執事姿のリンリンが飛び込んでくる。
モリシア伯爵令嬢は優雅に答える。
「まあ、大変」
「ですが、私達にできることは何もありません。非力な私達がやることは、リリーの夫であるダイファン様を信じて祈るだけです」
リンリンは感動して目を潤ませる。
「わかりました。それじゃあ、ココ様とミロ様との約束はキャンセルしてきます」
「駄目です」
リンリンの首根っこを掴んで止めるモリシア伯爵令嬢。
「どうしてですか?リリー様のためにお祈りするなら、ココ様とミロ様とのお出かけはキャンセルしないと」
「キャンセルはしません」
「もしかして、お出かけしたいんですか?」
「そんなことはありません」
二人が言い合いをしている間に、スワンリ伯爵令嬢はリンリンの髪を梳かし、ミッシェル伯爵令嬢はリンリンの服を着せ替え、ヨールデリ伯爵令嬢はリンリンの口の中にお菓子を放り込む。
「わかりました。正直に言います。今日のお出かけは非常に楽しみにしていたんです。だから、キャンセルはしません」
「リリー様より大事なことなんっすか?」
「リリーは大丈夫です。そんなことより、今日のお出かけは、前々から楽しみにしていた場所なんです。あまりにも楽しみにしすぎて眠れなくなり、寝不足気味です」
「モリシアお嬢様ほどの上流階級の人が、それほどまで行きたいところとは、どこっすか?」
「メイド喫茶です」
「はい?」
「平民の間で流行っているのですよ。給仕係がメイドの格好をしているそうなんですよ」
リンリンは、お茶会の給仕をしているメイド達を見回してから、もう一度言う。
「はい?」
「入店すると、お帰りなさいませお嬢様と言ってくれるそうなんです」
リンリンは、その場にいるメイドの中で最年長のメイドに助けを求める視線を送る。
こっちに話を振ってくるんじゃあねえぞと、最年長のメイドは笑顔で無言の圧を返す。
「ここに本物のメイドがいるのに、偽物のメイドに会いにいくんっすか?」
「メイドに本物も偽物もありません」
「いや、完全に偽物っすよ」
「私をどうするつもりですか?」
辺境領のとある倉庫。
誘拐されたリリーが、拘束されていた。狭い部屋の中には、武装した男たちがリリーを取り囲んでいた。
いかにも山賊の親分だという見た目の男が、刃物をちらつかせて言った。
「おとなしそうな感じなのに、気の強ええねえちゃんだな。もちろん、身代金をいただくって寸法よ」
「いえ、しゃべる権限がないあなたではなくて、この場で一番偉い人に尋ねているんです」
屈強な男の背後から、杖をついた初老の男が現れる。
「なかなか賢いお嬢さんじゃな」
「ですから、あなたでもなくて、右から三人目のマスクをしている人。あなたがここで一番偉い人ですよね」
部屋の中が一気に緊迫した空気になる。
雇われ兵隊の一人に紛れていたマスクの男が、リリーの前に出る。
「何故、わかった?」
「ここにいる全員が、あなたのいる方を見ないからです。そんなことより、私をどうするつもりですか?」
「君を人質にして、ダイファン様には引退してもらう。あの人はこの領地を治めるには未熟すぎる」
「その後釜があなたですか?」
「そうだ」
「止めた方がいいんじゃないですか」
「この地をおさめるのは、私には無理だと言いたいのか?」
「あなたはこの辺境領とは、どんな場所だと認識してますか?」
「この辺境領は、魔物侵攻を阻む最前線であり、仲が悪い隣国との国境地帯だ。王国にとって最重要の地のはずなのに、中央は我々をないがしろにし、支援すらしない。私がこの地のトップに立ったら、中央に現実を思い知らせてやる」
「その認識なら、やっぱり止めた方がいいんじゃないですか」
「なぜだ!」
「まず、その小娘相手に感情的になる態度。あなたの部下や政敵が目撃したら、問答無用でなめられることになります。この狭い辺境領で、致命的です。それと、中央がこの辺境領地を軽んじているとの認識。それは間違いです。この辺境地は、中央にとって本当に優先度が低いのです。さらに、あなたは中央相手に政治駆け引きをふっかけるつもりなのに、私の顔すらわかってない」
「おまえは追放された聖女だろう」
「そんなことでは、とてもやっていけませんよ。アルテンド鉱山」
マスクをした男の目が見開かれる。
口の中で悲鳴を上げ、後ずさる。
「おまえは、いえ、あなた様は王国の最終兵器」
「わかっていただけましたか」
「な、なんで、あなた様がここに?」
「私のことより、あなたのことです。あなたにはいくつかの選択肢があります。たとえば、私を殺して隠蔽を図る」
「しません!できません!」
「この場合。中央はどんな手を使っても犯人を探し出します。もちろん、あなたが犯人なのは確実に判明します。あなたは縛り首になります。運がよければ縛り首で済むという意味です」
両足を震わせるマスクの男。
「別の選択肢は、自殺を図ることです。しかし、あなたが裏で隣国か魔物に通じている可能性を考慮して、蘇生魔法がかけられるでしょう。蘇生魔法など腐ったままの身体にむりやり意識を復活させるだけのシロモノですが、中央にとっては拷問できる痛みの感覚と喋る口があるあなたの断片さえ残ればそれでいい」
もはや立っていられず、床に膝をつくマスクの男。
「あなたが生き残るただひとつの選択肢は、私に媚びへつらうことです。そうすれば誘拐はなかったことに私のきまぐれでするかもしれません。と言うわけで、この拘束を解いてくださいますか、ダイファン様の叔父様」
リリーは、まだマスクで顔を隠したままの男に微笑む。
「一緒にこの地を守っていこう」
反ダイファン派の叔父が悔い改め、辺境領主ダイファンの手を取りました。
「どうして、急に」
「君の妻に説得されたのだよ。私は愚かだった」
「リリーがそんなことを」
この地に嫁いでから、リリーは持ち前の前向きさで、みなに話しかけ続けました。
当初は白い目で見られていたリリーも、徐々に受け入れられていきました。
そして、リリーの人柄は、すさんだ心の持ち主に笑顔を与え、反目しあう人たちを仲直りさせていったのでした。
その誠実な心によって、リリーは辺境領のみなをひとつにしていったのでした。