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黒い紅葉

作者: 三雲零霞

※この作品は、2024年12月の文学フリマ東京39にて頒布された筑波大学文芸部『樹林』に寄稿した作品を一部表記変更したものです。カクヨムにも投稿しています。




 今年も日本列島に秋がやってきた。


 ふと窓の外を見やれば、秋晴れの青空の下、暖色に染まった木々が穏やかなコントラストを作っている。──ある一本を除いては。


 と、不意に秋帆の視線が遮られた。秋帆の隣、いちばん窓際の席の主の視線が秋帆と交わる。彼女は「どうしたの?」と言うように少し首を傾げてみせた。同じ日本人の秋帆ですら羨むほどの真っ黒な長い髪が一房、肩からさらりと垂れる。


「──じゃあこのページの六行目から……水沢さん、読んでください」

「あ、はい!」


 教師の指名により、秋帆の視線は強制的に窓の方から剝がされた。




「もみじ、一緒にお昼食べよ!」

「うん。ちょっと待ってて、資料集置いてくる」


 黒髪の少女──久瀬もみじは窓際の席を立って、廊下側のロッカーのほうへ歩いて行った。すれ違いざまにフローラルな香りが秋帆の鼻腔をくすぐる。


 もみじがいない間に、秋帆は自分ともみじの机を向かい合わせにくっつける。先に椅子を引いて座ろうとしたちょうどその時、机の横に現れた男子がいた。


「よ、秋帆」

「……何の用」


 秋帆に馴れ馴れしく話しかけてきたのは、同じクラスの柿村涼太だ。ちなみに秋帆とは小学生の頃からの幼馴染でもある。


「あのさあ、今日の六、七限で、二年生でやる課題研究のテーマ決めがあるじゃん」

「いや、テーマ決めって言ったってまだなんとなく方向性を決めるだけでしょ」

「俺やりたいテーマがあるんだけど」

「話を聞きなさいって……」


 秋帆は何だか嫌な予感がした。


 涼太はおせっかいと好奇心旺盛を具現化したような存在で、身の回りのあれやこれやに後先考えず首を突っ込んで回る性質だ。おまけに自分の周囲の人たちも巻き込んでいくため、幼少期の秋帆は彼によく振り回されていた。


 そして、秋帆の嫌な予感は的中した。


「黒化した紅葉を赤に戻すプロジェクトを立ち上げたいんだけど、秋帆も一緒にやろうぜ!」



 紅葉の黒化──それは、秋帆たちが生まれるより十年ほど前に突如として日本列島を襲った現象であった。


 日本の秋の風物詩ともいえる紅葉。それがある年から突然、緑から赤に色づくのではなく、黒く染まるようになったのだ。原因は不明。遺伝子変異説、未知の病原体説から気候変動説、果ては陰謀説まで様々な仮説が現れては消え、現在も数多の学者たちがその原因を探っているが、未だ解明には至っていない。


 今では二十代以下の若者たちは赤い紅葉をほとんど知らない世代であり、かくいう秋帆も、秋の学校や公園に真っ黒な木が出現することに何の疑問も抱いていなかった。



「涼太まじで……面倒に巻き込むのはもう勘弁してくれない? 大体、大人たちが何十年もかかってまだ解決できてない問題をたかだか高校生の私たちがどうにかできるわけないでしょうが」

「そんなのやってみなきゃわからないだろ」

「そんなこと言って許されるの、小学生までだからね。いい加減大人になんなよ」

「じゃあ大人は大志を抱いちゃいけないのかよ」


 秋帆は言葉に詰まる。涼太はいきなりさらっと核心を突いたようなことを言うから侮れない奴なのだ。当の本人は「少年よ大志を抱け~、ってな、あれ、『少年』だったわ」などと能天気に有名なお雇い外国人の真似をしているが。


「何の話?」

「わ、もみじ、いたんだ」


 いつの間にか戻ってきていたもみじが、秋帆たちの背後に立っていた。


「なんか、涼太が課題研究で紅葉を赤に戻す活動をやりたいらしくて。私もやらないかって言われたんだけどめんどくさいから断ろうと──」

「それ、私も参加していい?」

「「え??」」


 驚いたのは秋帆だけではなかったようで、涼太も目を丸くしている。


「実は私のパパ、大学で教授をやってて、ちょうど紅葉の黒化の研究をしているの。だから役に立てると思うし、何より、パパの研究のお手伝いがしたくて」


 もみじは至って真面目な表情で言う。もみじは普段からクールでポーカーフェイスだけれど、この時ばかりはその奥に熱が見え隠れしていた。


 涼太もその圧にたじろいでいるようだ。「ああ」とも「おお」ともつかない変な声を発している。


「ええと、もみじが参加するなら私はいらない……よね?」


 そう言うと、涼太が助けを求めるように秋帆に目配せした。もみじと二人で作業するのがどうしても嫌らしい。そういえば、涼太はもみじのようなクールな女子が苦手なのだった。


「秋帆も、やりたいテーマがないなら一緒にやろう?」


 極めつけに、もみじからも誘われてしまった。

 秋帆ははぁ……と溜め息をついて、仕方なく首を縦に振ることになるのだった。






 始動から早くも一年が経った。秋は黒い紅葉を連れて再び巡ってくる。


 涼太の有り余る熱意と大志により、このプロジェクトは学校規模にまで拡大していた。


 もみじの提案どおり、秋帆たちはもみじの父とその研究室と協働してプロジェクトを推し進めていた。研究資金を集めるため、学校内外で募金活動なども行った。


 そしてこの夏、もみじの父が、黒化の原因は未知の病原体であったことを突き止めた。現在は学会に論文を送り、審査を待っている段階だ。


 もともともみじの父の研究は証明まであと一歩というところまで来ていたため、秋帆たちの力など本当に微々たるものであった。それでも、涼太が馬鹿みたいに喜んでいるのを見ていると、秋帆もなんとなく嬉しくなってくるような気がするのだった。


 そんな中でもみじだけは、思案に耽ることが多くなっていた。




 秋帆がもみじに呼び出されたのは、京都への修学旅行を目前に控えた十一月のある土曜日だった。


「もみじの方から遊びに誘ってくれるなんて珍しいじゃん。……やっぱ、何かあった?」


 お昼時のファミレスの喧騒は思ったよりも大きくなく、会話のBGMにするにはちょうど良かった。隣のファストフード店に入らなくて良かったなと思う。あっちのほうが三倍は騒がしそうだった。


「……秋帆は、紅葉が赤くなったら嬉しい?」

「……どういう意味?」


 もみじの台詞はまるで紅葉が黒いままであることを望んでいるかのようで、秋帆は返答に困った。


「私は、もちろん嬉しいんだけど、だけどね……何かが消えちゃうような気がして」


 もみじは、ドリンクバーの安っぽいコップの表面についた水滴を指先で弄びながら言った。


「私たちって、黒い紅葉しか知らないじゃない。紅葉は物心ついた時からずっと黒だった。それが当たり前だった。だけど、これから研究が進んで、そのうち紅葉の色を戻す薬ができて、日本中の紅葉が赤くなる。大人たちはみんなそれを望んでる。紅葉が本当は赤いって知ってるから。でも私たちにとっては……少なくとも私は、見慣れた黒い紅葉がなくなってしまうのが寂しいよ」


 もみじがコップをテーブルの上で滑らせると、結露した水が尾を引く。もみじの白い指先が水の跡を拭えば、跡はテーブルの天板から消え去った。


 秋帆は何も言えないでいる。


「私の名前……『もみじ』って、パパがつけてくれた名前なの。パパが紅葉を赤に戻す方法を探っていた情熱を反映してるんだって。でもこのまま紅葉が本当に赤に戻っちゃったら……なんていうか、私がわからなくなっちゃうような……私が私でなくなるような、そんな感じがするの」

「……」

「ごめん、私おかしなこと言ってるね」

「ううん。……ううん」


 いくつもの慰めの言葉が、秋帆の脳内を駆け巡った。そんなことないよ。大丈夫だよ。もみじと紅葉は直接関係ないんだからさ。けれどどれも目の前でうつむく黒髪の少女が求めている言葉ではない気がして、秋帆もまた視線を落とすのだった。


「……紅葉、これからどうなるんだろうね……」


 まだ十七歳の少女には、そんな中身のない言葉をその場繋ぎに溢すことしかできなかった。






 秋は赤い紅葉を連れて巡ってきた。


 この三年という時間は、どの日本人にとっても長いようで短かった。


 もみじの父の研究結果に基づき、黒化した紅葉を赤に戻す特効薬がおよそ一年で開発された。薬はすぐに日本中に流通し、今では街中のあちらこちらで赤い紅葉が見られるようになっている。


 秋帆は二年前まで通っていた高校を久しぶりに訪れていた。秋帆たちが関わった紅葉を赤に戻すプロジェクトについて、後輩たちに講演を行うよう依頼されたのだった。


「秋帆ー! 久しぶりだな!」


 涼太が手を振りながら近づいてきた。でかい図体をして未だに子供みたいだな、と秋帆は思う。


 涼太と会うのは、春休み以来半年ぶりだ。彼は県外の大学に進学したため、今は実家を出て一人暮らしをしている。実家から大学に通学している秋帆からしてみると、あれだけ子供っぽいと侮っていた涼太が自分より一足先に一人暮らしを始めたことで、なんとなく置いて行かれたような、悔しいような気持ちがするのだった。


「久瀬はまだ来てない?」

「うん。もみじに限って遅刻なんてしないと思うんだけど……」


 辺りを見回すが、それらしき黒髪は見当たらない。


 と、


「久しぶり、二人とも」


 秋帆たちのごく近くで聞き慣れた声がした。


「え……か、髪……」


 二人は言葉を失う。それもそのはず、もみじのトレードマークだった髪は明るい金色になっていたのだ。


「ふふ、二人ともびっくりしてる」


 もみじはいたずらっぽく笑う。目元にアイシャドウのラメが煌めいた。


「……にしても、ここ三年で紅葉みんな赤くなったよなあ」


 涼太が感慨深げに言う。確かに、オレンジや黄色や茶色の中に紛れた異様な黒を目にすることはもうほとんどなくなってしまった。


「なんかやっぱ、赤い紅葉って俺たちの世代には違和感あるよな」


 涼太の口から飛び出した台詞に秋帆は小さく息を呑む。三年前にもみじが言っていたことと重なる。


「生まれた時からずっと黒い紅葉を見て生きてきたからさ、今更戻ってもなんか違うなあ、って」

「今更気づいたの? そこまで覚悟の上でプロジェクト立ち上げたのかと思ってた」


 もみじが可笑しそうに言う。


「まさか。あの時の俺は今より全然ガキだったよ。大人が言うことがみんな正しいって思ってたんだろうな。それで、大人のものさしをあたかも自分のものみたいに思い込んで、自分で行動を起こした気になって調子乗ってた。いやぁ、マジでアホだよな、今考えると」


 涼太はわざとらしくおどけてみせる。


「もう本当にアホ。私たちまで巻き込んでおいて、今更後悔なんてやめてよね」

「いや勝手に参加してきたのは久瀬だろ」


 もみじが涼太の脇腹を小突く。プロジェクトを通して、涼太からもみじへの苦手意識はほぼなくなったようだった。


「でも……後先考えずに巻き込んだのは悪かったと思ってる」

「柿村……」


 まさか謝られるとは思っていなかったのか、もみじは押し黙る。


「別に謝ることないよ。だってそれなりに楽しかったもん」


 秋帆は、ほらシャキッとしな、と涼太の背を叩いた。そして徐にスマホの待ち受け画面を二人に見せる。


 そこには、修学旅行先の京都で黒い紅葉の前に立ち、笑顔でピースを決める三人が写っていた。




ここだけの話、物語のテーマ的に黒い紅葉じゃなくて青い紅葉とかにしておけばよかったな、とか思いました。

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