第 3 話 始まりの 騒動
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時刻は少し、遡る。
ラグド大陸の西部。
イルフェラム国の首都イルファにある王城内には、平素となんら変わりのない日常があった。
使用人たちは己の仕事をこなし、騎士たち以下軍人も警備や鍛錬に励み、役職を持つ者たちはそれぞれの職務に追われていた。
現在23歳となる王太子であるリクサムも、王より任されている色々な決済をこなしていた。
「太子、そろそろお時間になります」
王太子直属の騎士であり側近でもあるダレスが、時刻板を見てリクサムに声をかける。
彼は書きものをしていた手を止め、時刻板を見た。
「もうそんな時刻か」
立ち上がり軽く首元を整え、リクサムは執務室を出る。
向かった先は謁見の間である。
父王と共に王座に座り、手順に従って諸侯や臣たちからの申し立てを受けてゆく。
ひと通り貴族階級が終わったあとは庶民の拝謁である。
通常、庶民からの申し立ては村ならば村長、町ならば町長からそれぞれ領主へと伝わり、内容を吟味裁定されて必要な話だけが王都へと持ち込まれる。
その後、場内で会議が行われ認可が下りれば諸事情に応じて物資や人材が必要な場所へと向かう。
なので普通、庶民は王族には縁がない。
ただ、王族や貴族と懇意になりたい、顔や名を見知ってもらいたいと願っている者は少なくない。
庶民謁見とは、問題が解消されたのち「何々をしていただきありがとうございました」という礼に伴って贈り物を持ってくるという儀礼的なものである。
その役を貰う為に幾ら位かかるのかは知らないが、懇意にしている領主や貴族に金銭などを積み、間を取ってもらう事はままある事。
前もって知らされている書面から見るに、本日の庶民謁見は三件らしい。
一件目二件目と何事もなく儀礼拝謁が終わり、最後の一件となった。
「ゴノウィク川への架橋工事、リクサム王太子様の御配慮により無事に完了致しましてございます。ナルマ村、トネイ村双方よりこの度の工事について有り難く御礼を申し上げ奉ります。高貴なる御方々にはお目汚しではございますが、これなるお礼の品、お納めいただければ幸せにございます」
リクサムの前方へ置いてある台の上に簡素な箱が置かれる。
後はその奉納物の中身を従者が読み上げ、拝謁者が締めの口上を述べるだけとなった、その時。
箱の上方の空間に、突如赤い魔法陣が浮かび上がる。
赤の魔法陣は攻撃性のあるもの。
しかも陣の文字配列は即時攻撃を意味するもので、さらに太子と向き合うように形成されていた。
気づいたリクサム以下、騎士や近衛の者たちが一斉に防壁陣を張ろうとするが、何分この近距離では間に合おう筈もない。
陣が発動し、死をも覚悟した時。
赤色だった陣が突如紫に変じ、それとほぼ同時に陣の前に人間らしきものが湧いて出た。
正面に相対したリクサムと、その人物が見つめ合う。
新たなる敵か!? と、身構えた者たちの視線が次の瞬間、魔法陣に釘づけになる。
宙に浮いた状態のその人物の背で、赤の魔法陣が発動した状態のまま止まっているのだ。
いや、正確には止まっている訳ではない。
発動はしているし、攻撃はすでに成されている最中だ。
その攻撃を、浮いた人物の背側に浮かぶ青い魔法陣が……喰っていた。
光り輝いている青い魔法陣から獣のような顎がせり出していて攻撃を全て喰らっていた。
そして赤の魔法陣から生み出された攻撃が終わり、その陣が消える刹那。
赤の魔法陣は凍った。
少なくとも皆の目にはそう映った。
そして陣の赤色が白色へ……変じる。
次の瞬間、白へ変わった陣へ、青の魔法陣から出ていた顎から凄まじい勢いで攻撃が成されていた。
先ほど呑みこんだ攻撃の倍以上の勢いのそれは、白い陣に全て吸収され陣ごと消滅する。
同時に床に足をつけたその人物は開いていた目蓋を閉じ、青の魔法陣から出ていた顎は陣の内へ潜る様に消え、青の陣は床へと倒れ込む人物を包み込むように拡がり消えてゆく。
それは時間にして僅か十数秒の出来事。
けれど、現場を騒然とさせるには十分なものでもあった。
当然の成り行きで、まずは品物を持ってきた拝謁者が拘束され、連行されていった。
魔法陣の発生の元となった箱は、現場保持の為その場ごと封印される。
問題は床に倒れている人物の方である。
気を失っているらしいその人物の様相は首を傾げざるを得なかった。
もこもことした膨らみを持ち、見た事のない輝きを放つ黒の上着。
下部は濃い藍色をした足首まであるパンツと、紐の付いている履物。
どれも見た事のない服飾である。
頭部を見やれば、短く刈り揃えられた髪が、これまた闇夜の様な黒。
黒髪は特に珍しいわけではないが、問題はその瞳の色にあった。
その人物は王座の方を向いていたので実際にそれを目にしたのは王と太子、あとは傍に控えていた騎士兼側近の二人だけなのだが、彼ら四名は……というよりこの人員でまず発言権のあるのは王と太子だけなので騎士二人がまず口をつぐんでしまった。
「どう……思われますか、父上」
口を先に開いたのはリクサムの方だった。
「幻でなければ、そなたの見たものと同じものを儂も見ている……が、まずは確認であろう?」
王はそう言い王座から立ち、伏している不審人物の元へと赴こうとする。
慌てて止める近従たち。
「陛下! この者は現在、護りの光に包まれております。不用意に触れない方が!」
「む、まことか」
現王陛下は視る方の魔術の力が弱い為、そこまでは確認できておらず、自分よりその能力の高いリクサムの方を見やれば、リクサムも頷いている。
「確かに。薄くではありますが、青の光に包まれたままです。本人の意識も承諾もない今、不用意に触れればどのような攻撃があるか判りません」
皆、先ほどの攻撃力を目の当たりにしているだけに、ぞくりと身体を震わせる。
王は「ふむ」と、その人物を見つめ。少しの間思案した後、発令する。
「文官と神官はすぐに、こちらの神殿から聖天神殿に連絡。中央で変異はないか確認を」
「畏まりました」
「正体不明のこの者は、近衛以下で手を触れずに術を使っての移送を」
「はっ!」
「移送先は牢塔の中層階。手枷足枷はなし、丁寧な扱いを」
「はっ!」
慌ただしく各々が職務に走る。
万が一を考えたのか、術で宙に浮かせている不審者を一分隊が取り囲むようにして運び出された。
王と太子も、まだ危険物の可能性の残る箱から離れるように謁見の間から出、別の部屋へと移る。
「枷もつけずに窓のある牢で大丈夫でしょうか?」
リクサムが王へと問う。
「護りの光は危害に反応する。丁寧に扱えば問題はなかろう」
「確かに。それより問題は先ほどの一連の現象と、あの者の正体だな」
辺りに居た官達が退室していった事で、ようやく王の側近であるルドルフが口をはさんだ。
他の官が居る時はわりと身分に沿った対応をしているが、元々王の乳兄弟でもあるルドルフは王より[言動対等]の許可を得ている為、こういった場面ではすっかりタメ口になる事が多々ある。
「まずは現象。箱から魔力が発せられていたが、こういった贈答品は前もって調べているのに仕掛けられていた術を発見できなかったとすれば、時限発動式なものだったんだろうという事。そして攻撃陣は太子へ正確に向いていた。すなわち狙いは太子一人に絞られていたという事」
現場を思い出しながらルドルフは的確に状況を判じる。
「普通、赤い陣は攻撃、青い陣は守り。赤い陣の後で青い陣が出た事で色が重なり紫に見えていたのは判る。だが、攻撃を喰うような陣とか、青の陣のままそれを吐き出すように攻撃が出来るとか……初めて見たぜ? おまけに一度組みあがっている赤の陣を一瞬で転送用の白の陣に変化させるとか、有り得ねーよな」
王もリクサムも大きく頷く。
「で、その一連の技をやってのけたのが、多分あの不審人物なんだろうけど。別の考えとしては、誰かがあの人物に技をひっ付けてこの場に転送したというもの。ただ、転送時に有る筈の白の陣はあの時点でどこにも現われてない。赤の陣のまん前に出て来てるんだ。オレ達が見落とす筈もない。となると、あの人物が現出した原因はただひとつに絞られる」
同じ考えのダレスも頷き、口を開く。
「あれは、召喚以外にあり得ない」
ダレスはリクサムに問う。
「今回のあの現象で、あの人物が行った事は、太子の盾となって攻撃を防ぎきったという事になりますが……太子、成人の儀の際に同時に行った召喚の儀は[盾]でございましたよね?」
リクサムは当惑したように言葉を返す。
「確かに俺が召喚の儀で願い奉ったのは[盾]だが。ああいうのはアレだ……普通の道具としての盾の事だぞ?」
この世界は唯一神である聖天、リ・ラ・リリゥの創られた世界だと云われている。
その御姿は人間には見る事が出来ないが、力ある存在としてそれを感じ取ることのできる神官や巫子たちによってその意思を受け取る事が可能である。
神は万能であるが故、その神の加護を受けたいと請い願うのは、昔から今日まで変わらない。
それが昔から行われている召喚の儀というものである。
神から授かったという様々な物、それらの中には武器や防具というものも多々あり、それには伝説もあるが、現物が残っているものもある。
ただ現物が残っていても、召喚者の居ないそれは神の力を発してはいない。
召喚された品は通常、一人にひと品で一世代限り。
すなわち本人しか使えず、本人が死去した場合は物品は残っていても、物品に付加されている神の能力が消えるのだという事。
神に対して誓願をし、望む品を請い願う。
誓願の内容、本人の資質。
この二つが伴い、神の琴線に触れる事が出来たならば召喚される品々。
その為、召喚の儀は行われても即時何かが召喚されるとは限らない。
召喚後、時をおかず召喚物が現れる事は稀で、良くてひと月。
召喚されるまで数年かかるものも普通にある。
勿論、神の琴線に触れる事がかなわず召喚が成されないものも多々ある。
それでも人は請い願う。
神の力を己の力、己の希望とする為に。
そして。
召喚物が召喚者のすぐ傍に現われるというものではない故に、召喚の儀を行うとその記録が神殿に残る形となる。
何処で召喚の儀が行われようと、神の摂理と云われる現象で聖天神殿の中にある一枚の壁に記録されてゆく。
記録されるのは召喚の儀を行った年代日時、行った者の名や住んでいる場所。
そういった情報が壁に克明に記されるのである。
そしてそれは記録されて後、何処かへ消える。
次にその情報が現れるのは召喚物が神の地よりこの地に降り立った時。
先に記録されている召喚した者の名や住処、そして召喚物の形態や色などが壁に光り輝いて浮かび上がるのである。
壁を管理している神官たちは壁の文字をすぐさま記録し、召喚物の持ち主に連絡をする。
そして召喚者本人が召喚物を出現した場所まで拝受しに向かうのである。
ちなみに。
召喚物は通常本人しか触れる事が出来ないので盗まれるという危険はないが、召喚者の方にも仕事や家庭内の事情等色々あるので、出来るだけ早くに拝受できる様、召喚者が住処を出、召喚物を拝受し帰宅するまでの費用は神殿持ちとなっている。
現われた不審人物が自身の望んだ[盾]ではないかと問われ少し困惑したが、リクサムはすぐに否定を述べた。
「有り得ないと断言できるのは俺自身、あの人物に対して共感も共震もなかったからだ。召喚者と召喚物は引き合うものの筈、だがあの時そういったものは一切無かった。それに……」
リクサムが一度言葉を切り、大きく息を吐いてかぶりを振った。
「あれは、本当に……人間なのか? あのような瞳の色は初めて見たぞ?」
返答に困るダレス。
そんな中、王が厳かに口を開く。
「リクサムよ」
「はい」
「あの者が何者にせよ、あの者によってそなたの生命が救われた事は紛う事なき真実である」
「はい」
「自国の民、自国の臣であれば王族の生命を守るは義であり誇りでもあろう。が、そうでなかった場合は大恩を感じるだけでは済まされぬ事、承知しておるか?」
「王家の誇りにかけて、自身の出来うる限りの加護を、あの者に……ですね?」
「うむ」
満足気に頷く王。
「あの者については我らだけで判断してよい事柄ではない。まずは明日にでも来るであろう聖天神殿からの使いの神官を待とう。全てはそれから判じればよい」
王の言葉にリクサムも側近二人も賛同の礼をとる。
話し合いも一区切りしたので、王もリクサムもそれぞれの居所に戻ろうとした矢先、扉の外から伝令が入る。
「急ぎ申し上げます! 聖天神殿より、大神官様お越しでございます!」
先ほどの謁見の間は使用できない状態なので、現在王達の居る部屋へ大神官を案内するように伝える。
と、さほど間をおかずに大神官が入室してきた。
どうやら本気で急いできたらしい。
細身だが頑健なその肩が呼吸に伴い激しく上下している。
「大丈夫ですかな? 大神官どの。さ、こちらにてお座りに」
椅子を勧める王の言葉に従い、大神官が腰を下ろす。
大神官は傍らのテーブルにあった水を口にし、大きく息をつくとすぐに居住まいを正した。
「前触れもなく突然の訪問を許されたい」
「神殿へ連絡したのはこちらでございますれば。ですが、大神官どのがお越しになるとは……」
大神官の言葉に王は笑みを浮かべ、ゆっくりと応じる。
「何か危急な事がらでございますかな?」
大神官たるもの通常は余程の事がない限り聖天神殿からは離れないものだ。
今回のような内容とて、確認だけなら神官クラスが来るのだろうと考えていただけに驚きである。
先程のあの者は、実は危険人物であったのだろうかと、各人そう思案してしまう。
大神官は静かに言う。
「危急となるかどうかはまだ判らぬ。が、まずは性急に確認を成したい」
「……確認とは、何を?」
「イルフェラム国王どのの前に現出したという、かの者の、存在とその姿を」
大神官の厳命で、異例ながら牢塔内へ入るのは先程部屋に居た人員……王と王太子、そして二人の側近のみとなった。
中層階にあるわりと広めの牢内、その石の寝床にその者は横たわっていた。
「………………」
絶句するしかない光景だった。
牢内にひしめく光、光、光。
魔術視力の少ない王ですら視える、それほどまでに濃い光。
それらはこの世界では聖霊と呼ばれる意思あるものたち。
これほど多くの聖霊は大神官でも初めて視るものだった。
眠っているのか、その者の瞳は閉ざされている。
見つめる大神官の喉が、緊張ぎみに鳴った。
「お目覚め下さいませんか」
小さいが、凛とした声音が大神官の喉から出る。
すると、光が大神官の元へ幾体かふわふわと寄ってきた。
目の前に止まり、明滅する光に大神官は声をかける。
「聖天神殿大神官、モノティア・レグルが申し奉る。どうか、お目覚めを許されますよう」
僅かな間。
明滅していた光が大神官の前から牢内へと戻り、他の光がその明滅に合わせて激しく明滅動作する。
そしてぴたり、と、明滅が止まる。
動いていた光の動作も停止し、その中から一体だけ光が静かに寝床の上の人物の顔の前に向かう。
目蓋の上をくすぐる様に、くるくるくるくると動く光。
「…………ん……ぅ」
目覚めたのか身じろぎをし、手を顔の前にあてる。
ゆっくりとその手が顔から外される。
けれど顔はまだ牢の外には向いてなく、大神官は再び声をかけた。
「お目覚めでございますか?」
一瞬びくりと身体を震わせ、その人物はようやくその顔を大神官の方へと向けた。
「……はい?」
少しだけ首を傾げ返答がかえってきた。
ふるふると大神官の体が震えている。
「……大神官?」
如何なされた? という王の言葉は続けられなかった。
大神官がその冷たい床に膝をつき、両手をつき、頭を下げる。
頭を下げているその先は牢内の人物。
何事かと思う間もなく、大神官の声が厳かに響く。
「大神官モノティア・レグル、聖天リ・ラ・リリゥ様の御心である[神の一枝]……聖天神殿にて確かに御護り申し上げ奉ります」
「「「「 !!!! 」」」」
大神官の告げた内容に驚愕する王達。
彼らのそんな様子を、ひとりまだ何もわかっていない金色の瞳が見つめていた。