推しの結婚を祝えないのはオタク失格でしょうか?
こんにちは
最後まで読んでくださると嬉しいです
推しは私の生きる意味
推しのために毎日働いて、自分を磨いて、時間を費やす、これからもそんな毎日は変わらない
そう思っていた…
朝目覚めるとスマホには何件もの通知が表示されていた
その通知に目を通すと「加賀美伶」と自分の推しの名前が目に入る、すぐにその通知をタップして何の知らせかと胸を高鳴らさると「ご報告」の三文字と長文の画像が表示された、サーっと血の気が引く
震える指で画像をタップし、目を通す
私は手に力が入らなくなりスマホを顔面に真っ逆様に落としてしまった
ジンジンとおでこが痛むのと同時にこれが夢ではない事を確認した
私の推し、加賀美伶は結婚した。
彼は私じゃない誰かを愛している
その事実を突き付けられると自然と目から感情が溢れた、「嫌だ」一番初めに出た言葉はそれだった
私はオタク失格だ
推しの結婚はめでたい事、それを喜ぶのがオタクの定め私はそう思っていたから推しの結婚で悲しんだり担降りする人の気が知れなかった
だって推しの幸せはオタクの幸せだから
オタクはそれを受け入れないといけない
なのに実際自分が経験してみると受け入れられない物だ
それはきっと心のどこがで「私が推しに選ばれる可能性」を信じていたから、推しは私の事を知りもしないのに私が一方的に好きになって推しと勝手に疑似恋愛をしていたから、どうしても裏切られたように感じてしまう、本当は推しと結婚できる確率なんて1%もないのに私は心のどこかで信じていた
推しが結婚発表してから数時間が経った
SNSはまだ騒ついていてオタ友から心配の連絡が来ている、でも今の私はとてもスマホを見れる状態ではなかった
SNSを開いたら推しの結婚を祝わなければいけない
思ってもない「おめでとう」を発さなければならない
同担や他担の推しへの祝福の言葉を見なければならない
それが苦痛でしかない
こんな事SNSで呟いたらきっと私は顔も知らない人達に袋叩きにされるんだろう
「お前がどう思おうが推しの結婚はめでたいんだよ」
こう言われるに違いない
分かってる、私が何を思ってもしょうがないし結婚もめでたい事だって
でも悲しいもんは悲しい、受け入れられない物は受け入れられない
こう思うのはそんなに悪い事なのだろうか
やっと気持ちが落ち着いてSNSを開く
思った通り推しは沢山の人に祝福されていた
私もほぼ無心で推しへの祝福の言葉を投稿した
想いのこもってない言葉なんか意味がないかもしれないけど他担まで祝福しているのに自分だけ推しを祝福しないのはなんだか癪だ
数分もしないうちに私の投稿に数件のいいねが付いた
通知欄をスクロールをするとFFの中に見覚えのあるアイコンが目に付いた
加賀美伶だ、
推しにはじめていいねをしてもらった
沢山泣いて乾き切った目からまた涙が溢れた
本当に君は私を泣かせるプロだ
「おめでとう」
心からの祝福が口から溢れた
ここまで読んでくださりありがとうございます。
この話は私の実体験も交えて書いたので少しでも共感してくれる方がいたら嬉しいです
同じように推しの結婚が受け入れられないオタクは無理に祝わなくてもオタク失格なんかじゃないので沢山悲しんで沢山泣いてください
それだけ推しが好きだった証拠ですよ