男爵令嬢と二人でイチャイチャしている婚約者に釘を刺したら、物理的に釘が刺さった!?
「はいアイヴァン様、あーん♡」
「あーん♡」
――!
王宮の裏庭にある東屋。
そこで今日も男爵令嬢のエリカ嬢とケーキの食べさせ合いっこをしている、私の婚約者のアイヴァン王太子殿下を見掛けた。
あの人はまた、性懲りもなく……!
途端、まるで鉛を飲み込んだみたいに、胃の辺りがズグンと重くなる。
クッ……、本当に、何度釘を刺しても、一向に態度を改める様子がないんだから……!
ゆくゆくは国を背負う身でありながら、婚約者である私以外の女性と二人で逢瀬を重ねるなど、王太子としての自覚があまりにも足りなすぎる。
『ククク、よぉルイーズ。今日もイイ感じに、魂が濁ってるじゃねぇか』
「っ!」
その時だった。
頭の中に直接、嫌味ったらしい男の声が響いた。
「……またあなたなのベルゼ。いい加減私に付き纏うのはやめてちょうだい。何度誘われようと、私は悪魔なんかに魂を売る気はないわよ」
この声の主は、自称悪魔のベルゼ。
アイヴァン殿下がエリカ嬢と二人で会うようになった辺りから、私の頭の中にたびたびベルゼからの声が届くようになった。
姿は見えず声だけが聞こえることからも、人外な存在であることは確かだろう。
だが、当然私は悪魔なんかの誘惑に耳を貸すつもりはない。
悪魔の甘言に騙された人間は、不幸になると相場は決まっているのだから。
『ククク、まあそうつれないこと言うなよルイーズ。俺様はあくまで、お前を助けてやろうとしてるんだぜ。悪魔だけにな』
「フン、そんな笑えないジョークしか言えない悪魔に、私の心を救えるわけがないでしょう」
アイヴァン殿下とエリカ嬢を見るたび感じる、この鎖で締め付けられているかのような胸の痛みが、あなたなんかに癒せるものですか。
『いやいや、俺様なら今から賛美歌を一曲歌い終わるまでの間に、お前の胸を締め付けてる鎖を解放してやれるぜ、ルイーズ』
「――!」
なっ……!
い、いえ、耳を傾けてはダメよルイーズ。
これが悪魔の手口なんだから。
私は絶対に、騙されはしないわ……!
「フ、フン、悪魔の分際で賛美歌とは。今のジョークはなかなか面白かったわよ」
『ククク、そりゃどーも。でもお前を助けてやるってのはジョークじゃねぇぜ。――悪魔は約束は守るからな』
「……」
確かに悪魔というのは、契約という絶対的なルールに縛られている存在だという話は聞いたことがある。
だから人間に何かしらの契約を持ち掛ける際は、噓をつくことはない、と。
「……でも」
『ククク、まだ踏ん切りがつかないか。じゃあこうしようじゃねぇか。今からお前に俺様から一つ、力を授けてやる』
「力?」
『ああ、俺様が人間に渡せる範囲じゃ最高級のヤバいやつだ。それでお前が満足した場合だけ、契約成立。俺様からの願いを一つだけ聞いてもらう。どうだ、悪い話じゃねぇだろう?』
「…………」
嗚呼、頭の中でベルゼからの甘い言葉が反響してボーっとしてくる……。
これが悪魔からの誘惑……。
ふふふ、でも――。
「いいわ、その話乗りましょう」
『ククク、そうこなくっちゃ』
「でも、あくまで私が満足した場合だけよ。そこは約束してちょうだいね」
『ああ、悪魔は噓はつかない。その点は信用してくれていいぜ』
「よろしい」
これでどんな結果になれ、「満足しなかった」と言ってしまえば私の安全は保証される。
悪魔と違って人間である私は、『噓をつく』という最大の武器を持っているのだから。
『じゃあ早速俺様の力を貸してやろう。その名も【戒めの釘】だ』
「【戒めの釘】?」
『ああ、今のお前の気分を晴らすのに最適な力だぜ、ルイーズ。ホラ、早速いつもみたいに、婚約者のお坊ちゃんに釘を刺しに行けよ。今日こそはお前からのありがたーい忠告に、耳を傾けてくれるかもしれねぇぜ』
「……フン」
特に身体に変化があった感じはしないけど、まあ、失敗したところで私にデメリットはないし、言う通りにしてみるか。
私はツカツカと二人に近付き、上からアイヴァン殿下を見下ろす。
「ん? ……ああ、なんだルイーズか。僕は今、エリカと大事な話をしている最中なんだ。邪魔しないでくれないか? まったく、相変わらずマナーのなっていない女だな」
「そうですよー、ルイーズ様。そんなんじゃ、未来の王太子妃は務まりませんよー」
「ハハハ! エリカの言う通りだな! やっぱ王太子妃には、エリカになってもらうしかないな!」
「もう、アイヴァン様ったらー」
――!!
この期に及んでそんな戯言を……!
――この瞬間、私の中で何かがプツンと切れた。
「――アイヴァン殿下、私は何度も申し上げましたよね? いい加減そろそろ、王太子としての自覚を持ってください!」
「「――!?」」
ん?
その時だった。
二人が青天の霹靂みたいな顔をしながら私の右肩辺りをガン見したので右を向くと、そこには人間の腕くらいはある、禍々しい釘が宙に浮かんでいたのである。
何これ!?
「ぐがぁッッ!?!?」
「アイヴァン様ッッ!?!?」
なっ……!?
その釘は物凄いスピードで、アイヴァン殿下の心臓に突き刺さった。
そ、そんなッ!?
「うぎゃあああああッッ!!!! 痛い痛い痛いッッ!!!! 痛いよおおおおおッッ!!!!」
「アイヴァン様ァ!!」
のたうち回って絶叫するアイヴァン殿下。
あ、ああ、私、こんなつもりじゃ……。
『ククク、どうだルイーズ、【戒めの釘】の力はなかなかのもんだろう? お前が誰かに釘を刺したら、物理的にも釘が刺さる仕組みになってるのさ。なかなか悪魔的にジョークが効いてて、笑えるだろ?』
「ベルゼ!? わ、私はこんな力、望んでないわ! 今すぐこの力を消してッ!」
『まあまあ落ち着けってルイーズ。安心しろ、この釘はただの思念体。お坊ちゃんの身体には傷一つ付いちゃいねぇさ。よく見てみろ、血の一滴すら出ちゃいねぇだろ?』
「――! た、確かに」
「痛い痛いよおおおおおおッッ!!!! だ、誰か、誰か助げでええええええッッ!!!!」
じゃあなんで殿下は、こんなに苦しんでるの?
『だが感じる痛みは本物だ。なんせ俺様謹製の、特別な釘だからな。お前が解除しない限り、永遠にお坊ちゃんがこの激痛から解放されることはない』
「……へえ」
それはなかなかに、便利な力じゃない。
ふふふ、確かにベルゼが自信を持って進呈してきただけあるわ。
「さ、さっきから何をブツブツ独り言を言ってるのよこの化け物女ッ!! は、早くアイヴァン様を解放しなさいよッ!!」
ああ、ベルゼの声は私にしか聞こえないんだったわね。
それにしても、言うに事を欠いて化け物女とは。
私からしたら、下級貴族令嬢の身でありながら、一国の王太子を寝取ろうとしてるあなたのほうが、よっぽど化け物に見えるけどね。
さて、と、これはこの世間知らずのお嬢さんにも、釘を刺しておく必要があるわね。
私はギロリと、エリカ嬢を見下ろす。
「ヒッ……!?」
途端、蛇に睨まれた蛙みたいな顔になるエリカ嬢。
ふふふ、今更もう遅いわよ。
「あなたのほうこそ、ご自分が恥ずかしくはございませんの? 婚約者がいる殿方に色目を使うなど、貴族令嬢として最もみっともない行為でしてよ」
「イ、イヤアアアアアアッッ!!!!」
先程同様【戒めの釘】が私の右肩辺りに出現し、それがエリカ嬢の腹部に突き刺さった。
「ごべばぁッッ!?!?」
うわぁ、痛そう。
まあでも、この手の人種は、これくらいしないと反省しないでしょうしね。
「ギャアアアアアアアアッッ!!!! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬッッ!!!! マジ死んじゃうううううッッ!!!!」
『ククク、大丈夫大丈夫。【戒めの釘】で死ぬことは絶対にねぇ。むしろ死は救済だからよぉ。そんな容易く楽になれるとは思わねぇこった。まあ、お嬢ちゃんに俺様の声は聞こえてねぇだろうがなぁ』
そうね。
この世には、死ぬより辛いことなんて、いくらでもあるものね。
『さて、と、どうだいルイーズ、満足はしていただけたかな?』
「……ええ、大満足よ、ベルゼ」
こんな清々しい気分、生まれて初めてだわ。
いつの間にか、私の胸を締め付けていた鎖は、綺麗サッパリなくなっていた。
『ククク、クククククク! そいつは重畳。じゃあ次は約束通り、俺様の願いを聞いてもらうぜ』
「ええ、いいわよ」
最早この人生に未練はない。
魂でも何でも、好きなだけくれてやるわよ。
「――よし、契約成立だ」
「っ!?」
その時だった。
何もない空間がビシッと裂けたかと思うと、その歪から漆黒の衣装に身を包んだ、背の高い男性が現れた。
煌めくような銀髪に、血のように紅い瞳。
そしてその顔は、まるで悪魔みたいに美しかった……。
こ、この声は、ベルゼ……!?
「ククク、どうしたルイーズ? やっと会えた俺様の姿に、一目惚れしちまったか?」
「――!」
ああ、この嫌味ったらしい言い回し。
間違いなくベルゼだ。
……でも何故だろう、胸の鼓動がいつになく早まっている。
クッ、今から殺される相手に、私は何を……!
「フ、フン、いいからさっさと、魂を持っていきなさいよ!」
「魂? ああ、ククク、いやいや、俺様は別にお前の魂を欲してるわけじゃねぇよ」
「え?」
そうなの?
じゃあ、いったい何を……。
「まあでも、ある意味魂を欲してると言えないこともねぇのかな」
「??」
なんなのさっきから??
ベルゼらしくないわね!
「――俺様が欲しいのは、お前自身さ、ルイーズ」
「――!!」
ベルゼは私の手を取って、その甲に甘いキスを落とした。
んんんんんんんん????
「ずっとお前のことを見てきた。お前を俺様のものにしてぇと、ずっと思ってたんだ」
「ベ、ベルゼ!?」
燃えるような熱の籠った紅い瞳で見つめられ、私の心臓は限界まで高鳴る。
あわわわわわ……!?
「だが、無理矢理横から掠め取るのは趣味じゃねぇ。だからこうしてお坊ちゃんが他の女に浮気するまで、ひたすら待ってたってわけよ。このお坊ちゃんなら、いつかやらかすと思ってたからなぁ」
ベルゼは依然のたうち回っているアイヴァン殿下を、ゴミを見るような目で見下ろす。
「き、貴様の仕業だったのかこの化け物めッ!! 早くこの釘を僕から抜かんかああああッッ!!!」
「そうよッッ!! 早くしなさいよおおおおッッ!!!」
「ククク、二人はそう言ってるが、どうするルイーズ?」
やれやれ……。
ここまでされて、まだ反省の色すら見えないとはね。
「いい加減になさいお二人共。そろそろ私も本気で怒りますよ」
「ちょ、ちょまッ!?」
「ヒェッ!?」
二本の【戒めの釘】が出現し、それが一本ずつ、二人の脳天に突き刺さった。
「ギャッハアアアアアアアアアアアッッ!!!!!!」
「ギョッパアアアアアアアアアアアッッ!!!!!!」
これでよし、と。
「ククク、やるねぇ。それでこそ、俺様が惚れた女だ」
「っ!」
もう、恥ずかし気もなくそんなことを言っちゃうあたり、本物の悪魔だわ、この男。
……でも。
「そんな男に惚れた私も、悪魔なのかもしれないわね」
「ククク、そうかもな」
心地良い絶叫が響き渡る中で、私とベルゼは誓いのキスを交わしたのだった。
拙作、『塩対応の結婚相手の本音らしきものを、従者さんがスケッチブックで暴露してきます』が、一迅社アイリス編集部様主催の「アイリスIF2大賞」で審査員特別賞を受賞いたしました。
2023年10月3日にアイリスNEO様より発売した、『ノベルアンソロジー◆訳あり婚編 訳あり婚なのに愛されモードに突入しました』に収録されております。
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