2011年3月19日(土)
この日は、私の職場では珍しい土曜出勤の日だった。計画停電は18:20~の予定なので、久々の通常出勤となった。後に、この停電は中止が決定した。
19時過ぎ頃、やや強い地震が起きた。体感判断では、伊勢崎市で震度3~4といったところだろうか。もはや、余震なのか別な地震なのか区別がつかない。
TVを点けて地震情報を見る。震源地が茨城県沖で、日立市が震度5強を記録していることを知った。実家付近も震度5弱だった。
本当にあの日以来、当たり前のように震度5を超える地震が頻発している。
津波の心配はなさそうだったが、いくらか心配になり実家に電話をしてみることにした。
しかし、「災害発生により、この方面の電話は大変つながりにくくなっております…」というガイダンスが流れるばかり。携帯電話の方にかけても、似たようなものだった。みな、考えることは同じらしい。
TVの情報を見る限りでは新たな災害は発生していないように思えたので、無理に連絡しようとはせずにしばらく待つことにした。
30分ほど経過した後、妹の携帯電話から着信があった。
「地震あったけど大丈夫?」と訊かれた。それは、こっちのセリフだ。
どうやら実家は、今回は特に被害がなかったらしい。安心ついでに、近況報告を聞く。
電気やガスは復旧しているが、水道だけはまだ止まっているらしい。給水車からもらう水の他に、ご近所の井戸水の家から水を分けてもらっているとのこと。
妹が給水車から水をもらいそのまま仕事に行くことがあるようだが、その際は車上荒らし避けにポリタンクに覆いをして隠すそうだ。
水狙いの車上荒らし…とは、この日本においては今後そうそう耳にする機会もないだろう。
妹はさらに、電話口でこう言った。
「被災地の人、家や家族をなくしてホントに辛いと思う。水道が復旧して一段落したら、私も募金しようと思ってるんだ」
断水している時点で、そちらも充分に被災地だと思うのだが。地震当日は電気やガスも止まっていたし、屋根瓦も落ちたようだし。
しかし妹曰く、
「自分は住む家も、家族も友達もみんな無事だった。それで充分だ。こんなことで被災者だなんて言っていられない」
とのこと。
ちょっと…いや、かなり意外だった。正直なところ、幼いころから気の強いあの妹から、このような言葉が出てくるとは思ってもみなかったのだ。
初めて、妹を尊敬した気がする。
励ましの電話をしようと思っていたはずなのに、気が付けば、元気を貰ったのは逆に私の方であった。
私が書き留めていた「震災体験日記」は、ここで終了しています。
自分でも中途半端だとは思いますが、この日以降は計画停電も実施されなくなり、ガソリンスタンド騒動やスーパー品薄騒動などもほどなく収束してほぼ日常生活に戻ってしまった為、特筆することがなくなった、というのが一番の理由です。
最後までお付き合い頂き、本当に感謝です。
被害の大きな地域の方には申し訳ないくらい、ここは「日常」に戻るのが早かったのです。
しかし、このわずか10日足らずの期間で、普段のこの「何気ない日常」がいかに大切なものであるのかを改めて痛感しました。
今回の震災で失ったものは、あまりにも大きいと思います。
しかし…。不謹慎を覚悟であえて言います。
得たものも、非常に多くありました。
こういう「不測の事態」だからこそ、人間の本当の姿が見えた気がしました。
正直な話、震災の前後で印象が変わった人が何人もいます。
良い意味でも、悪い意味でも。
有名人でも、身近な人でも。
最後に記載した我が妹も、その一人でした。
と、いうことは、そういう私も、誰かから見た印象が変わったりしているのだろうか。
誰かに幻滅されたりはしていないだろうか。
いずれにせよ、非常時においてこそ、平常心を保つ努力が必要なんだ、と改めて強く思いました。
とはいえ、もう二度とこんなSFパニック映画のような非日常体験はゴメンだな!
改めて、そう思いました。
願わくば、今後しばらくは泰平であらんことを。