2011年3月16日(水)
この日は計画停電が12:20~の予定だったので、職場では一部の部署が1時間の早出となった。我々品質管理室も、早出組となった。
実際には12:50頃から停電が始まった。停電中は現場が全く機能しないので、某役員による衛生講習会が開催されることになった。自由参加とのことだったが、上層部に対する機嫌取りなのか、部長は執拗に出席するように勧めてきた。しかし、私は電気を使わない仕事がいくつかあったので参加を見送った。
正直なところ、早出をした上に退屈な講義を聞いていては、睡魔に襲われかねないというのも不参加理由のひとつだった。うっかり居眠りでもしてお叱りを受けるくらいなら、参加しなかったことで嫌味を言われる方がマシだ。
と、いう訳で検体の細菌検査をしていたのだが、検体を量りとる段階になってはじめて、故障中の電子はかりを使用していたことを思い出した。仕方なく、何となく複雑そうに見えてそれまで使用を敬遠していたアナログ天秤を初めて使用した。思ったほど操作は難しくなかった。震災がきっかけで、新たなスキルが身に付いた、と考えることにする。
停電はその後、15:50頃まで続いた。
退社後にニュースをチェックしていたところ、被災した先述のお笑いコンビが震災の義援金を募る口座を開設したことを知った。節電以外に自分にできることといえば、募金くらいしかない。明日あたり、ここに募金することにしよう。
そう言えば地震の影響で、伊勢崎市と隣の玉村町をむすぶ橋が通行止になっているらしい。なんでも、橋を支えるパーツのひとつが破損して欠落しているとか。
この橋が使えないとなると、相当な距離を迂回しないと伊勢崎~玉村間を移動できないことになる。完全復旧は少し先になるとのことで、玉村や高崎方面から来ている連中はさぞや大変なことだろう。
この状況にも慣れてきたので、久しぶりに外に遊びに出てみることにした。車に乗り、外の街を走ってみる。
たまに利用するスーパーマーケットの前を通りかかった。節電に協力中らしく、外の照明がいくらか落とされている。また、赤青緑の三色のロゴマークのうち、青だけに電気が通っていた。これは節電なのか他二色が故障中なのか、良く分からないが。
そういえば、「物資が品薄」というニュースを聞いてから買い物に行っていないことに気付いた。本当にモノがないのか見てみたくなり、特に用はないのだが立ち寄ってみることにした。
ハッキリ言おう、単なる冷やかしだ。
店内に入ると、内部の照明もいくらか落とされていて薄暗く感じた。
まず目に入ったのが、パン売り場。確かに、種類が少ない。菓子パンはいくらか残っていたが、食パンやロールパンなど応用のききそうなモノは完全に売り切れている。
次に、米売り場を覗く。高額ないわゆるブランド米が一つ二つ残っている程度で、手頃な物は全て品切れ。「おひとり様ひとつでお願い致します」という貼り紙だけが、空っぽの棚の前にぶらさがっていた。
インスタントラーメン売場も軒並み品切れ。300円以上するような高級品や春雨スープの類は辛うじて残っていたが、棚はほぼ空っぽ。しかし不思議なことに、ペヤング焼きそばだけは通常並みに在庫があった。よく分からない。
(注:後から知ったのだが、ぺヤングは地元である伊勢崎市内に工場があり、在庫確保が比較的容易であったらしい)
また飲料売り場では、ミネラルウォーターの棚がほぼ空で、お茶類がだいぶ品薄になっていた。
何度も言うが、伊勢崎市は水道を含めてライフラインは全て無事だし、断水などの予定もない。必死に水を購入する心理が全く理解できない。
缶詰売り場と冷凍食品売り場に至っては、完全に品切れ状態で何ひとつ残っていなかった。今後、長期の停電にでもなれば、缶詰はともかく冷凍食品は意味をなさなくなるのだが、購入した連中はそのあたりは考えているのだろうか?甚だ疑問だ。
そして、乾電池もサイズを問わず全てが売り切れていた。
考えてみれば、スーパーの商品棚が完全に空っぽの状態というのはなかなか見る機会がない。珍しいモノを見た、という感覚で私は(何も買わずに)店を後にした。
その後、近くにあるゲームセンターに到着。店舗の外にあるネオンサインは通常通りに点灯していた。こちらは特に、節電は意識していないのだろうか。
車を駐めて店舗の入口に目をやると、内部が暗い。臨時休業だろうか。
しかし、近づいてみると自動ドアは普通に開いた。どうやら店内は節電中らしい。メダルコーナーもほとんど照明が落ちていて、まるで閉店間際のようだった。営業時間に変更があるかも知れないと思い、傍のスタッフをつかまえ確認。
営業時間は通常通りの予定だが、東京電力の動向次第では…との返事だった。確かに計画停電の予定は不明確で、あちこちで混乱が生じているようだ。当の東電自身が混乱しているようだが。
メダルゲームやオンライン麻雀などで、しばしひとりで遊んでから帰宅した。街の中を見て回った限り、どうやら群馬県もいろいろと間接的に地震の被害を受けているらしいことが判明した。
さしずめ、ここは「準被災地」といったところだろうか。