2011年3月13日(日)
天気の良い日曜日だったが、さすがにどこへも出かける気になれない。起きてすぐにTVとパソコンの前に座り、地震関連のニュースを見ていた。
地震そのものの被害より、その後の津波の被害の方が大きかったらしい。TVの報道はそのほとんどが、津波の被害を受けた沿岸地域を中継している。死者や行方不明者も、津波によるものが圧倒的に多いようだ。
それまでの私は、津波に関する知識がほとんどなかった。決して軽視していた訳ではないのだが、「けっこう恐ろしいものらしい」という漠然とした認識しか持ち合わせていなかった。
しかし今回、はっきりと感じた。
…津波は、本当に恐ろしい。
TVで中継していた、住宅街があったというその場所は、戦争でもあったのではないかと思われるような瓦礫の山だけが映し出されていた。住宅街の面影は、何ひとつ残っていない。
発生から沿岸部到達までの信じられない速さ。防潮堤を軽々と乗り越え、あらゆるものをお構いなしに呑みこんで破壊するその威力。さらには戻って行く引き潮の強さ。
正直な話、これほどまでのものかと何度もTVの前で目を見はった。
例えるならば、パワーとスピードを兼ね備えたモンスター、といったところだろうか。
その後、前日の時点で唯一連絡がとれていなかった、八戸在住の友人Kから無事にメールが届いた。どうやら一部の被災地では、携帯電話が圏外になっていたらしい。これでとりあえず、被災地近郊の友人・知人は全員無事であることが確認できた。
SNSをチェックすると「デマ情報のメールが出回っているので注意」というニュースがあった。それで昨日のチェーンメールのことを思い出し、友人たちに注意を喚起しようと考え、それを題材にSNSで文章を公開した。全体公開にしたので、不特定多数の足跡がついた。知らない人から何件か「いいね」を付けられていた。
チェーンメールを送ってきたAの足跡がその後一日、いくつも付いていた。どうやらはっきりと、アレがデマ情報であったことを理解してくれたようだ。若干、Aへの当てつけのような文になってしまっていたことは申し訳ないが、この非常時に免じて何卒勘弁して頂きたい。
午後に、茨城に住む妹から報告メールが来た。最寄りのスーパーに母親と行き、開店前から1時間半並んで食料を確保したらしい。「ひとり10点限りの制限付きで2人で20点購入できた。だから心配するな」という意味の内容だった。
私が昨日、帰省するしないと騒いだせいで、どうやらかえって家族に気を遣わせてしまったらしい。ちょっと反省した。
福島の原発が停止しているので、東日本は電力不足気味のようだ。連日TVで諸報告を行い、すっかり顔を見慣れた枝野官房長官(当時)が、節電を呼び掛けていた。
東京電力では「計画停電」なるものを実施するつもりらしい。
これは要するに、一部の地域を一定時間、順番に意図的に停電させることにより、電力不足を回避する…という作戦のようだ。明日からでも実施するとかいう話だった。
ずいぶんと急な話のように思えた。福島の原発が機能停止しただけでこの体たらくだ。他の発電方法に比較して、いかに原子力発電が大きなウェイトを占めているのかが良く分かる。
と、いうわけで、自分の部屋の節電の余地を探してみた。普段から節電は心がけているつもりなので、待機電力はラジカセのコンセントくらいしか抜くものがなかった。
ヤカンのお湯を保温するホットプレートの使用もしばらく控えることにした。さらに、節電になるのか疑問だが、携帯電話やゲーム機の充電機も、使用時以外は抜いておくことにしよう。
いつもの日曜日なら某TV番組を見る為に夜更かししているのだが、その日は予定時刻になっても番組は始まらず震災情報が流されていた。今回は中止になったのだと思い、諦めてベッドに潜りこんだ。(後日知ったのだが、時間を変更して放送されたらしい)
普段使っている電気毛布もしばらく使用しないことに決めたので、布団は冷たかった。
寒い。
…でも、被災地はたぶん…もっと寒い。