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2011年3月11日(金)

 その日も、何の変哲もない、ありふれた一日となる…はずだった。


 食品会社に勤務する私は、いつも通りに出勤。午後から品質管理室にて、保存試験品の検品を行っていた。

 まもなく15時休憩に入ろうかという14:45頃(その後の公式報道では14:46頃)、かすかな振動を感じた。どうやら地震のようだ。

 しばらく前にニュージーランドで大地震があったばかりだし、最近国内でも小規模な地震が頻発していたので、さほど気にはならず、そのまま仕事を続けていた。

 しかし、今回は揺れがなかなか収まらない。それどころか、だんだん揺れが大きくなってくるような気がしてきた。

 「そこ危ないから、コッチ来てなよ」

 先輩のSさんが声をかけてきた。私はL字型の部屋の角にあたる部分のところに椅子を置いて作業をしていた。書類ファイルを入れた戸棚と、作業台に乗せた足つきの金属棚に挟まれた位置で、確かに危険な気がする。

 立ち上がった途端、揺れはさらに大きくなった。これは、ちょっとヤバそうだ。

私とSさんは、思わず品質管理室から廊下に出た。見ると、隣の事務室から総務部の人間も飛び出してきている。

 揺れはさらに大きくなる。一人は事務所のドアにずっと掴まっていた。

 ふと気付くと、品質管理室と事務室との間にある防火扉が所定位置から外れ、今にも閉まろうとしている。それを見た我々は、事務室側の方へと退避した。

 品質管理室の方を振り返ると、ちょうど棚の上に並べてあったファイルが崩れ落ち、床に散乱する瞬間が見えた。

 揺れはさらに1分近くも続いたように思えた。ようやく収まった時、事務所の床には文房具の類がいくつか落ち、パソコンのディスプレイは傾いて机から落ちかけていた。

 現場を写す防犯カメラのモニターの前に皆が集まっていた。そちらに目をやると、製造工場内の映像が映っている。周囲にいくつか置いてあるバケットに汲み溜められた水が、激しく揺れているのが分かった。

 総務部長がすぐに内線電話の受話器を取り、一斉放送をかけた。地震があったようだが、落ち着いて行動するように…などと呼びかけていた。

 防火扉は完全に閉じていて、非常警報の電子音が鳴り響いていた。扉に手をかけたがロックされてはいなかった。私は扉を開け、品質管理室の様子を見に行った。

 私がそれまで作業をしていた、まさにその位置に、後ろの金属棚が落ちて倒れていた。あのままそこでぼんやりしていたならば、頭上に直撃していたかも知れない。

 落ちた棚で塞がれた部屋の奥を見やると、遠心分離機の上が何やら黒っぽい液体で汚れていることに気付いた。同時に、分析検査を行っている途中で、ドラフト内で検体と薬品が加熱中だったことを思い出した。

 ということは、あの液体は硫酸だ。後で掃除が面倒くさそうだ。

 社員食堂に設置されたTVで、皆がニュースを見ていた。震源は太平洋の岩手県沖らしい。沿岸の広い地域で津波警報…いや、大津波警報が出ているようだった。

 過去の地震で、津波警報や津波注意報が出ているのは何度か見たことがあったが、大津波警報を見たのはこれが初めてだった。(ちなみに「津波警報」は「高いところで2m程度」の予測の場合に発表され、「大津波警報」は「高いところで3m以上」の場合に発表されるとのこと)

 NHKでは津波注意報を黄線、津波警報を赤線で表示しているが、大津波警報は赤線の上にさらに白線を重ねたものであることをそこで知った。震源地付近は軒並み大津波警報になっている。

 実家のある茨城県にも、津波警報が出ていた。私は不安になり、ロッカーから携帯電話を出して実家にかけてみたが、つながらない。

 続いて品質管理室に戻り、会社の固定電話からかけてみるが、やはりつながらない。

 妹の携帯電話、父の携帯電話に順にかけてみるものの「現在、大変混み合っています」というガイダンスが流れるばかり。やはり、みな考えることは同じらしい。

 ちょうど15時休憩の時間にさしかかったこともあり、現場の連中も上に上がってきていた。どうやら、社内に怪我人はいないようだ。

 むしろ、我が品質管理室が最も被害が大きかったらしい。棚と一緒に電子天秤が落ちて破損していることが判明した。30万円の代物らしいが、致し方がない。

 休憩時間は終了したものの、なかなか仕事が手につかない。つい、パソコンのインターネットをつないでニュースサイトを見てしまう。ついでに、記念(?)とばかりに散乱した品質管理室の様子を携帯電話のカメラに収めたりしてみる。

 Sさんは隣で何度も家に電話をかけ、どうやら通話に成功したらしい。ご家族は、どうやら全員ご無事とのこと。

 「そっちもつながるまでかけてごらん」と言われたが、幾度かけてもつながらないので私は諦めてしまった。

 倒れた戸棚を乗り越え、部屋の奥でこぼれた薬品の掃除を始めることにした。薬品の入ったフラスコがドラフトの加熱装置から外れて落下していたが、ちょうどその下にあったゴミ袋の上に落ちていたので割れてはいなかった。しかし、加熱された濃硫酸がゴミ袋を焦がして溶かし、フラスコの表面にべっとりと貼りついていた。

 それらを片付け、こぼれた濃硫酸をふきとる。手袋をするのを忘れていて、手がピリピリしてきた。そんな基本的なことを忘れてしまうほど、思った以上に動転しているのかも知れない。そんなことを考えながら、急いで手を洗った。

 どうやら既に、沿岸部には津波の到達があったようだ。実家は大丈夫なのだろうか。

 その時、デスクに置きっぱなしにしていた携帯電話にメールが入ってきた。妹からだった。

 「大丈夫??メールは繋がるので返信お願いします!!」

 どうやら、妹は無事らしい。一安心だ。家にいるのだろうか。

 とりあえず、さっき撮ったばかりの写真を添付して、メールの返信をした。ついでに、家族が無事かどうかの確認もしてみる。

 しかし、妹もやはり仕事中で家にはいなかったようだ。返ってきたメールでは、勤務先の店内がかなり散らかっていること、他のスタッフと共に屋外に避難中であること、そして実家の安否はいまだ不明であることが報告されていた。

 ただ、妹の勤務先は実家よりいくらか海よりなので、ここが津波の被害がないならば、実家に影響はないように思われた。とりあえず、家族は全員無事である、と判断することにした。

 そうこうしているうちに、退社時刻になってしまった。本当はまだまだ仕事が残っており、当初は本日は残業する予定でいたのだが、その日はとても仕事になる気がしなかった。

 何度か余震も起きていたし、社員寮の自分の部屋がどうなっているかも気になるところだ。

 会社からも、出来る限り早く帰宅するように通達があった。というわけで、その日は早々に定時退社することにした。


 帰寮して部屋の様子を見たが、もともと散らかっている部屋なのでさほどの変化は感じられなかった。しかしよく見てみると、棚の上に置いてあったUFOキャッチャー景品の縫いぐるみや、香水瓶の容器などが床に落ちていることに気付いた。さらに、TVの前に置いてあったボトルキャップのフィギュアも倒れていた。

 TVを点けると、どの番組もすべて地震速報になっていた。岩手・宮城などの沿岸地域に津波が到達し、かなりの被害が出ているらしい。

 また、都市部では電車が軒並みストップし、多数の帰宅困難者が出ているらしかった。ニュース中継を見ると、バス停やタクシー乗り場に長蛇の列ができている。当日の帰宅を諦め、勤務先に宿泊する人もいるらしい。

 SNSや仲間同士で作成した掲示板を見ると、都市部に勤務している友人の何人かが「自宅まであと25km」などとつぶやきながら徒歩で帰宅している様子が見て取れた。

 その時、妹から報告メールが来た。

 「営業中止になって今帰宅したよ。

 家族はみんな無事でした。

 家もめちゃくちゃだにょ~」

 家族全員無事と改めて聞いて、ようやく安心した。

 妹のメールにはいつも通りに、デコメ絵文字が散りばめられていた。そもそも、語尾に「にょ~」とか付いているあたり、これだけ見ると実はかなり余裕があるのではないか…?などと思えてしまう。

 余計なことは考えず、とにかく無事で何よりと思うことにした。

 携帯電話からもう一度、自宅にかけてみる。相変わらずつながらなかったが、妹の携帯電話には2~3回目くらいでようやくつながり、家族と通話ができた。家は屋根瓦が落ちたりモノが散乱したりしている上、電気・水道・ガス全てがストップしているようだが、怪我等はどうやらないようだ。むしろ逆に、こちらも同じように酷いと思われて心配された。停電中とのことで、自宅電話が不通な理由がようやく判明した。

 その後、仙台在住の友人F、海沿いからから1~2km程度の場所に家がある友人Kの無事を確認。また、社員寮の先輩OさんとFさんのご実家がそれぞれ福島の相馬市・南相馬市だったが、こちらのご家族も無事だったようだ。


 その後は深夜になるまでTVの地震報道に釘付けだった。地震のマグニチュードは当初7.9と報道されていたが、後に8.4、その後さらに8.8と改正された。国内では過去最大、世界規模で見てもトップクラスらしい。最大の震度は宮城県栗原市の震度7だったが、TVで中継されるのはほとんどが津波の発生している沿岸地域だった。我らが伊勢崎市は震度5弱とのことだったが、体感的にはもっと強く感じた。

 ちなみに、隣の前橋市は5強、少し離れた桐生市で県内最強の6弱を記録している。

 余震が何度か発生していて不安だったので、その晩は灯りとTVを点けたまま寝ることにした。夜中に何度も、余震と緊急地震速報の警告音で起こされた。


 長い一日だった。

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