までこさんと今日降る雪の(2/2)
そんなこんなで約束の25日となった今日、までこさんをギャフンと言わせるかどうかの――いえ、新年に二人きりの部活デートを出来るかどうかのプレゼンテーションが始まろうとしていました。
プレゼンテーターは万葉初心者のアトソンくん。聴衆はまでこさん、ちよりさん、よしのさんです。
「さて、どんな手で来るものか期待しているよ」
「きっとこんな風に
〈笹が葉の さやぐ霜夜に 七重着る 衣に増せる 子ろが肌はも〉
のような相聞歌を持ち出して妙な屁理屈こねてくるに決まってますわ」
ホワンホワンホワ~~ン
想像の中のいやらしい目でよだれを垂らしたアトソンくん:「『笹の葉っぱがザワザワする霜が降りるような寒い夜には、たくさん着る服にもまして愛しい貴女の肌を思い出す』といいます。ぐへへへ、ヨーコさんも真冬の寒さの中俺とあったまりましょ~~~っ」
ホワンホワンホワ~~ン
「千代莉さん、いくらアトソン君でもそんなことは……稀に言うこともあるね」
「あらあら、彼がそんな難しい歌を持ち出してくるわけないじゃない?」
「言われてみればその通りですわね」
さて、そんな何かやらかしてくれそうな期待と警戒の視線の中、アトソンくんが口を開きます。
「フィールドワークをしましょう!!」
「――ほぅ?」
意外な第一声にまでこさんが少し目を見開きます。
「談山神社、川原寺、橘寺、飛鳥寺、飛鳥坐神社、山田寺跡――あとはもちろん春日大社や橿原神宮。万葉集に縁のある寺や神社を参拝するんです。多分全部一度は行ったことあると思うんすけど……お正月にいっぺんに行くってのはしたことないんじゃないかと思って! ゴージャスでしょ?」
フィールドワークは日頃の活動の中でも特にまでこさんが大切にしてきたことでした。
和歌に触れ、和歌を体感することで和歌を身近に感じる。それがまでこさんの万葉集との寄り添い方なのです。
「ふふふっ……確かに、したことはないね。そんなに一度に回れるかな?」
までこさんがおかしそうに笑うのを見て、今度はアトソンくんが目を丸くします。
普段は凛とした表情やすました微笑みしか見せたことのないまでこさんのレアな表情です。控えめに言って可愛すぎです。
これはもしかしてイケるんじゃ? という気持ちがムクムクと湧いてきます。
「それで具体的には、万葉縁の神社仏閣を巡ったり、初詣に行ったり、おみくじ引いたり――……」
「全部同じじゃないですの! 他にやることはないんですの!?」
「ちょっ、いいところで茶々入れんなって! ええっとだから、あの~」
ちよりさんの横槍にしどろもどろになりながら必死に頭の中の僅かばかりの知識を掻き集めます。その時アトソンくんの中にそれが天啓のように閃いたのです。
「ホラ、新年の歌であるじゃないっすか!
〈新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事〉
おめでたい新年を体感して楽しんで、今年も良い年になるようにとお願いする――それが俺のフィールドワークなんすよ!」
「まぁ。万葉集最後の一首、大伴家持の新年を言祝ぐ歌ですわ。有名な歌ですけど……よく貴方がそれを知っていましたわね」
「ふっふっふ。俺だっていつまでも素人じゃあないんすよ!」
勝ち誇ったように胸を張るアトソンくんでしたが、本当は昨日勉強しようと万葉集の本を開いて、けれどあまりうまくいかずにパラパラめくっていった最後のページに載っていたのを偶然覚えていただけなのでした。
苦し紛れではあるものの上手い返しが出来たと内心浮かれるアトソンくんでしたが、その歌を聞いた途端、までこさんの目にこれまでにない光が宿りました。
「なるほど確かにフィールドワークとは体感してこそ。君の言い分はよく理解した。そこまで言うなら元日の朝、もしこの地に雪が積もるならば君と初詣巡りをしようじゃないか」
「……ん?」
「『おめでたい新春に降り積もる今日のこの雪のように、たくさんの良いことが重なりますように』――この歌を体感するとなれば雪は欠かせぬものであろうよ」
「い、いや、今のはその言葉のあやと言いますか、何もそこまでキッチリすることもないんじゃないかなーと」
「アトソン君。君は今の歌をただ言い繕うためだけに引き合いに出したのかな?」
「い、いやぁ……」
いつになく力の強いまなざしがアトソンくんをまっすぐに見つめます。その視線が自分を非難しているように感じられ、アトソンくんはたまらずに勢いよく立ち上がりました。
「わかりました! 一月一日に少しでも雪が積もってれば初詣デートしてくれるって事っすよね!? 絶対に雪を降らせてみせますよ! だから約束ですよ!? 俺ちょっと、雪降らせる方法調べてくるっす!!」
そう言って部室を後にするアトソンくん。
「あらあら、までこったら厳しいのね。阿藤君との初詣デートがそんなに嫌だったのかしら?」
「そういう訳ではないよ。そう、ただ……――この歌には、少しばかり思い入れがあるものでね……」
◇
今は昔の、年初め。
少女は病院の母の元へと駆けつける。
飛び込んだ病室で体を起こしていた母は、別れた時よりいくらか血色のよい顔で少女を出迎えた。
「明けましておめでとうございます、お母さん」
「明けましておめでとう、葉子」
「お父さんからお手紙がとどいていたの」
「ありがとう。一緒に読もっか」
赤と青の縁取りの封筒を開けば、綴られたるは母と少女を気遣う言葉と、和歌が一首。
〈新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事〉
「なんて書いてあるの?」
尋ねる少女の頬を少しひんやりとして柔らかな手で撫でた母が、温かな笑みを目尻に浮かべる。
「それはね――……『おめでたい新春に降り積もる今日のこの雪のように、たくさんの良いことが重なりますように。葉子にたくさんの良いことが訪れますように』って書いてあるのよ」
「雪のように?」
「そうよ、新年に降る雪はとてもおめでたいものだと言われているの。お祖母さんちの方はすごい雪だったでしょう? きっと葉子にもすっごくすっごく良いことがたくさん起きるわ」
そうして少女は気がついた。
雪はひらひらと花弁のように舞い落ちて、少女に小さな幸福を降り注いでいたのだと。
雪が静かなのにうるさく思えたのは、少女のことを応援していたのだと。
父も、母も、祖父母も、みんな少女の幸せを思っていてくれたのだ。
「あのね、もう、良いことがあったよ」
「あら、なあに?」
だから少女は母に寄り添い、そっと耳打ちをした。
「……怖いものが、ひとつなくなったの」
◇
20xx/12/25 19:04
差出人:阿藤尊
本文:約束ですよ!初詣デートしてくださいよ!
20xx/12/25 19:10
差出人:万里野葉子
本文:逢引ではなく部活動のはずだね
20xx/12/25 19:11
差出人:阿藤尊
本文:二人っきりなんだから部活デートなんです!普段も二人っきりだけど今回は私服デートなんです!
◇
20xx/12/30 13:24
差出人:阿藤尊
本文:雪ってどうやったら降るんでしょうね!?テルテルボーズにお願いしました!
20xx/12/30 14:01
差出人:万里野葉子
本文:照る照る坊主では晴れてしまうのじゃないかな。
20xx/12/30 14:01
差出人:阿藤尊
本文:水で凍らせて家の表に逆さ吊りしました!これで絶対に雪降りますよ!!
20xx/12/30 14:28
差出人:万里野葉子
本文:首チョンパか逆さ氷漬けか二つに一つとは、ただならぬ仕打ちだね。
◇
20xx/12/31 23:50
差出人:阿藤尊
本文:起きてますか?電話大丈夫ですか?
行く年を送る鐘の音がどこからともなく耳に届く窓辺から目を離すと、いつの間にか携帯端末にメールが届いていたようです。開いてみるとここ数日でおなじみとなった名前がそこにありました。
返信をすると、すぐさま着信が入ります。着信の主は言わずもがな、アトソンくんです。
「もしもし?」
『あっ、こんばんは! 今大丈夫でしたか?』
「うん。部屋の熱に当てられて少し涼みに出ていたところだよ」
『そうでしたか。…………へへ……降りましたね、雪』
アトソンくんの言うとおり、までこさんが見上げる空からはちらちらと雪が舞い落ちてきていたのでした。奈良では12月~1月にかけて雪が降る日は年に一度あるか無いかだというのに、夜も更けた頃から今の時間まで降りやむことはなく、ついに新年を迎えようとしています。
「本当に、君の執念には負けたよ。約束どおり共に初詣巡りに行こうか」
『うぉぉぉ、よっしゃぁぁぁ……ッ!』
電話口の向こうから声を抑えつつも押さえきれない喜びの気合が伝わってきます。
「やれやれ、そんなに楽しみにしていたのかね?」
『それもありますけど――あっ待ってください、間もなく新年ですよ』
自分の部屋に飾ってある時計を見やれば、もう十数秒で年が明けるところです。
二人はしばしの間声を潜め、その瞬間を待ちました。
居間から漏れ出すテレビの音からワッと歓声があがり、俄かに活気づきます。
「新年明けましておめでとうございます」
『明けましておめでとうございます、ヨーコさん』
と、電話口のアトソンくんが再び嬉しそうにへへっと笑います。
『電話出てもらえて良かったっす。ヨーコさんに一番に挨拶したかったし、ヨーコさんの一番になりたかったんすよ。どっちも叶って新年早々良いこと尽くめっすね、あっははは』
「おや、欲張りなことだね。ならば今の君の状況はまさにあの歌の通りというわけだね」
『あ。でも俺、この歌見た時、なんかヨーコさんの顔が浮かんだんですよ。良いことがヨーコさんの上にいっぱい降り積もればいいなーって。それでこの歌を覚えてられたんすよね』
〈新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事〉
新年に吉事を願うこの歌を、もしも大切な人に贈ったならば、それは――……
それは、相手を思いやる言葉。
そのありようを喜ばしいと言祝ぐ気持ち。
かつて新年に、同じような言葉を贈られ祝福されたことを思い出します。
それは冷たいけれどとても温かな優しい記憶で、までこさんが万葉和歌の世界を知るきっかけになった大切な思い出でした。
「やれやれ、今回ばかりは、完敗だね」
『え、何がっすか?』
「こちらの話さ。ともあれ、今年も賑やかな良い年になりそうだね」
『はい! 今年も末永くよろしくお願いします!』
◇
〈あらたしき としのはじめの はつはるの きょうふるゆきの いやしけよごと〉
『おめでたい新春に降り積もる今日のこの雪のように、
たくさんの良いことが積もり、幾重にも重なりますように。
この一年が貴方にとって良い年でありますように。』
◇おしまい◇
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