09
この日は雨が降っていた。
降水確率は50パーセントと言っていたが、日差しはどうやら届かなかったみたいだ。
9月になったとは言え、まだ夏の名残が残っている。
打ち合わせが始まる日の早朝、私は東京駅にいた。ゆかりちゃんの手帳を返さなければならない。全て読み終わった後、最後のページに記載されていた電話番号に連絡をした。そして、今から会うことになった。
土曜日とはいえ、駅はかなり混雑していた。八重洲の中央改札で待ち合わせとは言ったが、果たして会うことができるのだろうか。不安になっていると、また人とぶつかった。手に持っていたゆかりちゃんの手帳が落ちる。それを拾おうとしてしゃがむと、何度か人に蹴られてしまった。雨に濡れた人が駅構内を歩いているせいか、少しノートも濡れてしまった。
中までは染み込んでいなかったが、やはり申し訳ない気持ちでいっぱいになった。どうしようか、そう思っていると、携帯が振動した。ゆかりちゃんのお母さんからの電話だった。それに出ると、どこにいるのかと尋ねられた。改札の名前を答えると、しばらくしてから電話をしながら改札を降りる女性が見えた。彼女もまた、私の持っている赤いノートを見て、私だと確信したらしい。こちらに近づいて来た。
「あなたが、りこさん?」
「はい、前田りこです」
「あぁ、良かった!会えた会えた!さてと、ちょっと静かな場所に行こうか」
スーツ姿の彼女は、いかにも私の考えるOLのイメージと合致していた。東京の企業に勤めている、それだけでエリートのような、バリバリのキャリアウーマンに見えた。
ゆかりちゃんのお母さんに案内された場所は、地下にあるごはん屋だった。7時前と少し早い時間だからか、店内はあまり人がいなかった。
「好きなもん、頼んでくれていいしね!」
「えっ!いや、それは」
「いいからいいから!ゆかりが大分お世話になってたみたいやし!」
久しぶりに聞く名前に少し反応してしまった。「遠慮せんでいいから!ほら!」とさらに言われ、礼を言ってお言葉に甘えることにした。
一通り注文を終えると、忘れないうちにノートを返した。濡れたところは少しだけ湿ってはいるが、特に気にしていない様子だった。私宛の手紙は貰うことにした。
「・・・この子ね、この映画撮影のことはすっごい嬉しそうに話してくれたの。最初タイトル聞いた時何それって思ったけど、予告を見たら面白そうな内容って思ったわ。公開されたら、見に行くね」
「あっ、ありがとうございます」
「空くんと、ナナくん、だったかな。監督さんと一緒に、うちに来てくれたことがあってね。すっごい誠実そうな人だったわね。この人たちの動画ちょっとだけ見たことあって、騒がしい人だって思ってたから余計おばちゃんびっくりしちゃった!」
おそらく、映画を公開するか否かで、話し合っていた時の事だろう。空さんもそこでノートを受け取っているはずだ。
「・・・最初は、この映画、公開されるのはどちらかと言えば反対してたの」
ゆかりちゃんのお母さんはごめんね。と言いながら話を続けた。
「ネットでゆかりが色んなこと言われてたの知ってたから。ゆかりも、少しずつ元気が無くなっていって・・・でも気づくのが遅かったって思った。こんなことになって、やっぱり最初は、原因は映画なのかなって・・・思って」
当たり前のことだと思った。この映画がなければ娘は生きていたかもしれないと思うのが普通だ。もしゆかりちゃんがこの映画と出会わなければ、叩かれることだってきっとなかった。
「・・・この手帳、ゴミ箱に入ってたの。ゆかりの部屋はまだほとんど手をつけれてないけど、ある程度掃除したり、ゴミだけは流石に捨てないとって思ってたら・・・これを見つけて。『ママへ』って書かれた手紙も挟まってて、その中身を見てやっと、ゆかりの気持ちを知ることができた。りこちゃんにこれを渡したのは、おばちゃんの手紙の中に手帳ごと渡して欲しいって書いてあったの」
それで空さんを経由して、私の元に届いた。空さんやナナさん、監督と話す前に手紙を見て、映画を公開して欲しいと頼んだということだった。空さんが「快くOKしてくれた」と言っていたのも納得がいった。
「・・・ゆかりを、支えてくれて、ありがとうね」
「え、いえ!私の方こそ、ゆかり、さんに、たくさん救われてきました」
よく笑うようになったのは全てがどうでも良くなったから。そう話してはいたが、その笑顔に何度も助けられた事実は変わらない。
「初めてあったとき、すごく明るくって、ハキハキしてて、それが理由があったって気づけなくって・・・私、その時はお芝居と学校の部活の両方をしてたんですけど、『凄いです、応援してます』って背中押してくれて、それなのに私は、彼女に何もできていないです・・・」
「・・・それは違うよ。何となく、ゆかりがりこちゃんのことを好きやった理由が分かる気がする」
理由?そう尋ねようとすると、頼んでいた料理が運ばれてきた。どうしてもお米が食べたくて、定食にした。ゆかりちゃんのお母さんに「冷めないうちに食べ」と言われ、いただきますと手を合わせてからご飯を口に運んだ。
「りこちゃんは、京都からここに来てるんよね?」
「はい、京都出身なので」
「そっかぁ。懐かしいな。ゆかりも中学の最初の時までは大阪に居たんよ」
「え?」
全く知らなかった。確かに、ゆかりちゃんのお母さんはところどころ関西弁が混じっているなと思ってはいたが、ゆかりちゃん本人から方言を聞くことはなかったはずだ。
「芸能のお仕事をもっとしたいからって、おばちゃんの家族が東京に住んでたからそこに移ることになったの。ゆかり、学校で方言を使うと笑われるからって、無理矢理変えてたらしいの。それも、あの子がいなくなってから知ったんやけどね」
そういえば、撮影期間に一ノ瀬さんがゆかりちゃんの出身地について話していたことを思い出した。関西出身だと、ゆかりちゃん本人から聞いていたのだろうか。気のせい・・・そう流してしまったが、詳しく聞けば、彼女についてもっと知ることができたのかもしれない。しかし、今更後悔しても遅かった。
「・・・今日は、ありがとうございました。ご飯も、ご馳走様でした」
「いえいえ。今日は会えて嬉しかったわ。イベントも楽しみにしてるからね」
ゆかりちゃんのお母さんと別れ、駅の改札に再び入った。イベントのゲストも先日行われた生放送で発表され、私の出演も決定した。
ゆかりちゃんのご両親は、学校に対して、訴訟を起こすことを決意した。SNSも中傷した人を特定したいという話もしていたが、それはかなり厳しいらしい。第一にコメントは何らかの理由で削除され、今では悲しみの声でコメント欄は埋まってしまっている。
これらのことは最近のニュースで取り上げられていた。学校側と本格的に争う姿勢だということは、さっきも少しだけ話してくれた。ゆかりちゃんのノートがあること。彼女がトイレに手を突っ込んでいる写真。さらに、悪ふざけでネットに公開されたゆかりちゃんを罵るような動画が証拠として存在しているため、いじめと認定されるだろうと考えている。実際に壊された携帯も手元に残ったままらしい。
「・・・じゃ、相田ちゃんはネットだけじゃなくて、学校でのいじめもあって、苦しくなったってことなんだ」
「はい。映画もイベントも、楽しみにしてますって、言ってました」
「そっかぁ。だからご両親も俺らに対して何も言わなかったんだ」
ミーティングを行う部屋には1台のテレビがある。お昼休憩の時、他の出演者やスタッフさんがご飯を買いに行っている間、私と空さんはテレビを眺めていた。そこでやっている芸能ニュースでは、ゆかりちゃんの話題が流れていた。学校は、クラスで氏名無記入のアンケートを取り、その結果いじめはなかったと返答をした。そのアンケートの中身が開示されることはなかった。真っ向から食い違っているが、壊された携帯についてやいじめに加担した人の名前などがAさん、Bさんという形で報道されている。映画やイベントは楽しみにしているということも流れたためか、空さんたちに対する誹謗中傷はほとんどなくなっていた。
「こんだけ証拠あんのにいじめって認定されねーのな」
「・・・直接ゆかりちゃんを追い詰めたものではないって、何で他人が言い切れるんですかね」
「ほんとだよ。相田ちゃんにしか分かんないじゃん。どんな気持ちだったかなんて」
空さんは数ヶ月間眠れない日が続いていたと私に話してくれた。映画に出たことの誹謗中傷がゆかりちゃんや、さらに私まで追い詰めていたと考えていたらしい。しかし真実が少しだけ明らかになった今、イベントの成功に力を入れることが彼女のためになると、さらに集中的に企画やグッズなどを考え、ファンの方を喜ばせようと本格的に取り組んでいた。
「数時間後には認めると思うよ。こんだけ世間からバッシング受けたら、学校も立場ないじゃん」
後ろを見ると、ナナさんがいた。コンビニの袋を下げて、買ってきたものを取り出している。
「おっ唐揚げじゃん!サンキューナナさん!!」
「300円プラス税」
「嘘つけ!そんな値上げしてねーだろ」
「東京物価高いから(笑)」
「だとしても高すぎだわ(笑)」
空さんはナナさんからご飯を受け取り頬張った。私も朝に買ったおにぎりを食べることにした。テレビの話題は自殺者の数が増えていることなど、いつの間にか話題が変わっていた。
「りこ」
デザートのフルーツを食べていると、一ノ瀬さんから呼ばれた。
「絵、今どんな感じ?」
200枚あった絵のうち、半分は一ノ瀬さんとSEDOさんが協力してくれることになった。1人では到底完成に程遠く、間に合わないよりは良いと思い、頼むことにした。
「ようやく、3分の1はできました」
「お、そっか・・・いや、俺とSEDOさんで、もう結構作業進んでて、今月中に終わりそうなんだよ」
「え、もうそんなに出来たんですか」
「うん。だから、ちょっとだけ手伝おうと思ってさ。これからりこも忙しくなるだろうし、次の時にまた持ってきてくれたら俺らもやるから」
「・・・ありがとうございます」
夏休みも終わり、これからは進路実現に向けて本格的に勉強しなければならない。大学進学を目指しているため、打ち合わせ以外ではほとんど勉強漬けの日々を送っていた。目指しているところはまだはっきりとは決まっていないが、そろそろ考えなければならない。イベントで頭がいっぱいだったが、私自身のことにも目を向けなければならない。でも、何がしたいかまだはっきりしていなかった。
本番まであと半年。少しずつ、打ち合わせなど活動者と会う日々の終わりを意識し始めるようになった。今を大切にしたい。受験は面倒くさいけど、打ち合わせも、イベント本番も、来て欲しくない。終わって欲しくない。それしか今の私には考えられなかった。
それくらい、この時間が楽しかった。
「この2人は絶対付き合ってる」
「いや、右の人彼女いるんでしょ?」
「本命は絶対ここやって!!」
「まあ、仲は良いよね」
学校で休み時間になると、グループで集まって小テストの勉強を一緒に行うことが日課になっていた。私の席の周りに、数人の女子が集まる。
「もうこれはカップル」
「小説書けるよな」
しかし、次の時間はテストが無いにも関わらず、固まって駄弁っていた。ひとつの携帯に群がって話をしているが、話に全くついて行けなかった。
「りこちゃんはどう思う?」
「・・・何が?」
「この2人、距離近いと思わん?」
画面には2人の男性が動画内でアナログゲームを行なっていた。全く知らない人だが確かに距離は近く、普通に仲良しであることはよく分かった。
「まあ、近いとは思うけど」
「やんなぁ!!」
「もうみんな腐女子やん!」
「いや、私は違うで」
「ななこは本物や。二次創作大好きやん」
「いや、あれは!この2人のみ行けんねん。他は無理!」
「そういやななこ、昨日の新作見たで(笑)何しれっとR18書いてんの」
「えっもう見たん!?」
目の前にいる女子の1人、ななこはネット小説を書くことが趣味だと話してくれていた。私は見たことないが、機会があれば見ようと思ってずっと忘れていた。
「エロ漫画の見過ぎやで」
「そんな見てへんって!」
私を置き去りに、その後も会話が続いていた。次のロングのHRの時にこっそり見ようと、ななこの活動名だけ聞き出しておくことにした。
思わずえぇ・・・と言ってしまいそうになるくらい性描写がめちゃくちゃはっきりしていた。
その流れに持っていくための理由は最早後付けで、とりあえず登場人物2人を重ね合わせている感がすごかった。行為目的の読者は好きかもしれないが、無理矢理感が強いなというのが第一印象だった。媚薬なんてどこで手に入るねん。嫉妬したから酒飲ませて家に連れ込んだとか、リアルにあったら怖すぎるやろなど、思わず突っ込みをいれたくなった。
教師の目を気にしながら、他の作品なども目を通そうと画面をスライドさせる。他にも4作品近く書いていたらしい。カップリングは全て同じ人で、おそらく休み時間に見せてもらった2人だろう。関連作品の欄にも、この2人の二次創作はかなりあった。相当腐女子界では騒がれているらしい。
なんとなくスライドしていると、見覚えのある名前があった。
空さんと、ナナさんの文字。
まさかとは思ったが、流石に中を見て確認する勇気はなかった。余計なことは考えたくない。付き合っているとか、ありえない。かといって2人が他の女性と付き合っている、結婚しているなど、そういった情報はネットには何も無いのだが。
このような小説があることを、空さんたちは知っているのだろうか。知っていても、何となく読むことはない気はしている。人間関係も気まずくなってしまうだろうし、知ったところで話そうとはならないだろう。
気になりはしたが、これは後々時間が経って、大学生になって思い出した時にでも見るのが1番な気がした。