06
すぐに信じられるはずがなかった。あんなに明るくて、イベントにも積極的に企画していたのに、「どうして」の言葉でいっぱいだった。
その日の夜、SEDOさんから電話がかかってきた。大丈夫かと心配してかけてきてくれたのだろう。私の頭は状況が全く理解できておらず、何の話をしていたかは全く覚えていない。
ゆかりちゃんは仕事の打ち合わせに行く途中で電車にはねられてしまったと、後日事務所が説明しているのを、テレビを通して知ることができた。
あの人身事故が起きた路線と時間帯が重なっていた。
数人の目撃者がインタビューで「自ら飛び降りていた」と語っていたため、自殺と断定して話が進んでいた。番組に出演している人たちは「勿体無い」「まだ若いのに」と言葉を漏らしている。また、ゆかりちゃんと関わりのある人を呼んで、彼女がどういう人だったか振り返ったりもしていた。何が彼女をそうさせたのかという考察も行われていた。やがてネットの誹謗中傷ではないかという憶測が広がり、『メンヘラジオ the Movie』について取り上げているところも増えてきた。
彼女のSNSは、悲しみの声で溢れていた。
しかし対照的に、空さんやナナさんたち、監督や共演者それぞれのSNSのコメント欄は荒れていた。空さんたちのファンはコメント欄に悲しみの声を投稿していたが、今回の件でこの映画を知った人たちからは、「お前が彼女を殺した」「若い子の命が奪われた映画の主役するってどんな気持ち?」など心無いコメントが送られていた。私も新しいアカウントを作って、何か言葉を発さなければいけない気がした。しかし、何も言葉が浮かばなかった。何が彼女をそうさせたのか分からないからだ。止めることもできたのではないかとも考えた。
勉強も絵の制作も何とか続けてきた。200枚分を頑張らなければいけないため、余計に集中しなければならないのに、すぐにそれは途切れる。
「前田ちゃん、最近寝れてる?」
打ち合わせ1週間前の夜、SEDOさんから再び電話がかかってきた。しかし電話の先には彼だけでなく、空さんとナナさん、一ノ瀬さんもいた。久しぶりに聞いた声に、少しだけ声が震えそうになった。
「・・・睡眠時間は取れてます」
部活が無くなったのだから、寝る時間はいつでもあった。しかし、ここ最近は夜中に何度も目が覚めるようになった。時間は取れても、全く眠れていなかった。
「そっか・・・ごめんね、急に電話して」
「いえ、大丈夫です」
「前田ちゃんのこと、やっぱり気になってさ」
「・・・すみません、ありがとうございます」
「ううん!良いんだ!・・・それと、言っておかなきゃいけないこともあって」
SEDOさんはそういうと、空さんと電話を代わった。
「まず、最初に、映画のことなんだけど・・・」
ゆかりちゃんがいなくなった今、映画の公開がどうなるかについてテレビで議論していたことを思い出した。
「監督と、相田ちゃんのご両親がこれから話し合って、映画の公開をどうするか決める・・・という話でした。もしかしたら・・・なくなることもあるかもしれない、って話もあって・・・」
「そう、ですか」
何故か私は冷静でいられた。あの映画がなければ自分の意思を持って道を進むことも出来ていなかったし、もっとネガティブな人間でいたから、私にとって心から愛する作品だった。でも、公開がなくなることに嫌だと感情的にはなれなかった。この作品を見て、辛い思いをする人が実際にいることを、無意識のうちに理解していたからだろう。
「・・・映画さ、あんまり良く・・・思われてないらしくって」
「ご両親に・・・ですか?」
「うん・・・」
娘の姿を見られるほど、心が修復しきっていないのだろうと思った。
「・・・相田ちゃんね、この映画に出るって決まってから、ネットでの誹謗中傷がすごかったの」
「・・・!」
ゆかりちゃんのSNSが荒れていたことは知っていた。しかし、空さんの口からその言葉が出るとは思っていなかった。
「中傷してたアカウントを調べたら・・・そしたら、俺たちのファンだったの。・・・だから、この映画がなければ・・・これが、今回の・・・原因だったんじゃないか。そう、報道もあって」
涙を堪えて話しているのが電話越しでも伝わってきた。空さんたちは私の知らないところで苦しんでいた。それでも、私を気遣って電話をかけてくれた。今の私は今日1日を過ごすことで精一杯だというのに。
鼻をすする音が聞こえ、空さんは「ごめんね」と言いながら震える声を隠そうと振舞っていた。こんな時、私はなんて声をかければ良いのか分からなかった。空さんのせいじゃないですと、根拠のない発言などできるはずもなかった。真実を知っているのはゆかりちゃんだけなのだ。
空さんが離れている間、ふと、3月にあったミーティングを思い出していた。「あんたのせいで美里泣いたんやで」と言われて、人前で泣いたら被害者になるんか?と疑問に思ったこと。私が泣いていることは誰も知らなかったから一方的に攻撃が出来たこと。空さんたちは私の見えないところでたくさん苦しみ、憔悴しきっていた。自分が彼女を追い詰める原因を作ってしまったのではないかと、直接何かしたわけではないのに、精神的に追い込まれることを強いられていた。
眼に映るものだけを、人は信じることしかできない。だから見えなければ何をしても良いと、いつからか人は勘違いしてしまったのかもしれない。だから今この瞬間にもテレビやネットで様々な憶測が流れて、空さんたちを追いやっていくんだ。彼らの気持ちなど知らずに。そしてゆかりちゃんもまた、それに苦しんだ。役作りもして、沢山台本と向き合って、でもそれを知らず人は平気で心ない言葉を吐いた。
「・・・それとね、イベントのことなんだけど、1週間後の打ち合わせ、急で申し訳ないけど中止にしようと思ってて・・・東京行きのチケットとかもう取っちゃった?」
「・・・いえ、それはまだです」
「そっか。・・・今後の予定も、決まり次第、また連絡します。なるべく早めにできるようにするから」
「・・・はい」
「・・・なぁ、りこ」
「・・・!はい」
沈黙の後、一ノ瀬さんが私に話しかけてきた。
「単刀直入に、聞いて良いか?」
「・・・はい」
「この電話に出るの、嫌じゃなかった?」
「えっ・・・?」
言葉の意図が分からなかった。
「・・・最初さ、電話出てくれないって思ってたんだよ。俺らのこと、憎んでるんじゃないかって」
正直、一ノ瀬さんたちを憎んだことは一度もない。だから電話を無視するという選択肢はなかった。
「俺らに会う度、東京に来る度に、やっぱり・・・思い出すと思うんだ」
私に辛い思いをさせないためにと気遣ってくれているのだとようやく理解した。この映画やイベントに関わることによってもっと辛い気持ちになるのではないかと考えてくれていたのかもしれない。
「イベントもさ、開催できるってなったとき、りこがもし、しんどくなるんだったら、無理に出させることは、俺らもしたくないって思ってて」
出演を断っても良い、そう言いたいのだろう。もしそうなれば今まで考えてきた企画などは白紙になる。にも関わらずここまで配慮してくれていることに申し訳なさもあった。
「・・・嫌じゃ、なかったです」
言葉を選びながら話さなければならない。でも、思ってもいないことを優しさのつもりで言ってしまっても、相手を傷つけてしまうような気がした。
「憎んでなんか、ないです。一ノ瀬さんたちにはむしろ感謝してて、今回、こんなことがあったけれど、それでも、この映画は、私にとっては大切な作品で・・・あと」
イベント出演を断るという選択肢は、私の中には存在しなかった。
「・・・ゆかりちゃんと一緒に、考えてた企画を、どうしても成功させたくて」
この場所にいない人の名前を、私は初めて口にした。
「私は、辛くないです。それ以上に、ゆかりちゃんが残してくれたものを、完成させられない方が辛いです」
ゆかりちゃんがデザインしてくれたもの。ゆかりちゃんが最期に残してくれたもの。ゆかりちゃんが、私に、託してくれたもの。
もう、2人で一緒に制作することは叶わない。
もう、一緒にどこかへ遊びに行くこともない。
もう、同じ電車で東京駅に行くこともない。
もう、二度と会えないんだ。
「・・・そっか」
今思えば、私は1人じゃなかったから、心ない言葉たちにも耐えられたのかもしれない。どんな時も明るく、真っ直ぐだった。それは苦しみを隠すためだったのだろうか。知らないうちに、彼女に支えられていたのかもしれない。
「私は、彼女が残してくれたものを、最後までやり遂げたいです」
「うん、そうだよな。ありがとう、話してくれて」
それさえ出来れば、出られなくても良いとも思った。どんな形であれ、ゆかりちゃんと一緒に何かができる最期のチャンスだった。