第22話 「崖の上の処女」
毛だらけの胴体から人間の女の腕を生やした図体のデカい怪物。そいつが僕の背後にあったはずのソーサーズランドの出入り口といっしょに、さっきまで一緒にいたイカ・フライをミンチにしてしまった!
腕が振り下ろされた場所は小さなクレーターができていた。
その衝撃で、元々そこにあったソーサーズランドの出入り口の目印だった大きな岩なども、跡形もなく吹き飛んでしまったようだった。
この様子では岩よりも柔らかいイカフライの身体なんて、跡形も残っていないだろう。
……イカフライとは半年程度の付き合いしか無かったけど、僕がこの街に来たばかりの頃にいろいろ助けてもらったことがある。
僕の頭には彼との記憶が一気に思い出された。
しかし悲しむ暇などない。すぐ目の前には大岩を一撃で粉々にするほどの破壊力を秘めた魔獣がいるのだ。
僕はそいつから急いで距離をとろうとした
「……くッ」
僕はイカフライがさっきリモコンで出したソーサーズランドの中へと続く転移門へと飛び込もうと大岩のあった方へと走りだした。
しかしすぐに、先ほどの攻撃でその門すら消えてしまったことに気が付いた。
そして後ろからは毛むくじゃらの魔獣の手が迫って来ていた。
(今からだと滑り込むしかない!)
逃げ場を失った僕は前方に向かって全速力で駆けた。
「ぉおおおお!!!」
ズドドドッ
直後、僕の後ろの方で物凄い振動が起きて、僕はあやうくバランスを崩しそうになった。振り返ると怪物が地面に腕を打ち付けてたところだったと分かった。
(ついてない。
さっきの攻撃で、ここからソーサーズランドへ直接つながる道も消え失せてしまったようだからソーサーズランドの中に逃げ込むこともできないし、中からの応援だってすぐには期待できないな。)
「フ……」
僕は自分の不幸を笑った。こんな短い間に命がけの戦いを二度もしなきゃいけないなんて……。 何かに呪われているとしか思えないほどだ。
これじゃあ、命がいくつあっても足りない。
毛むくじゃらの魔獣は、真っ赤な気味の悪い顔を僕の方に向けた。そして再び距離を詰めようと、その大きな腕を使って這うように接近してくる。
動きは遅くはないという程度だが、もしあの腕に捉えられたのなら、奴にとってスモモ程の大きさの僕は簡単に食べられてしまうだろう。いや、イカフライのように踏み潰されて跡形も残らないかも。
「クソ……僕も零具が使えれば……こんな奴、なんてことないのに!」
僕はテラからもらった剣「勇気の牙」を構えると、迫ってくる化け物に向かって駆け出した。背中を向けては後ろからやられてしまう可能性があったからだ。
――……それから、レインの長い鬼ごっこが始まった。
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黒いもやの中へと放り込まれたミーシャは、その中を通って無事にソーサーズランドの出口門の近くに落っこちていた。
その側のソーサーズランドの出口を見張る詰所では、門番のアジ・フライと街の様子を見に行っていたマインが一緒にいた。しかし黒いもやが空間にあらわれ、中からミーシャが飛び出てくると二人とも急いで駆け付けた。
「あ、怪我してるっちょ!」
アジフライは持ってきた救急箱の中から治療用の包帯のようなものを取り出すと、私の足の腫れている所に巻き付けた。
「いたいっ けどありがと」
「うん。我慢するっちょ」
傷の手当を受けていると、マインが外で何があったかを私に聞いてきたので、私は最初から説明した。
「えっと、大きな女の人の手が、いやその前に私が攫われそうになって、そしてそれが地面からドカーンと出てきて私は吹き飛ばされちゃったんだけど、イカさんが助けてくれたんだ」
「ふむふむ。なるほどーっ ……さっぱり分かんね!」
私は昔から人に説明するのが苦手だ。恥ずかしくなって顔を赤らめる。
仕方なくマインは自分で確認するためにレインがいる外の様子が見れる零具が置いてある門番の詰所に入っていった。
「なあ、これ動かないんだけど!」
「え、いや、そんなはずないですぜ」
どうやら上手く機械が作動しないらしくアジが大きな声を出して詰所にいるマインにいろいろ指示をしていた。
そんなとき、私はアジフライの救急箱の中にキラッと光る物を見つけた。それは王都でも使ったことのある物だったので、ついすぐに手に取ってしまった。
「これ、やっぱり治癒固晶だ。 これ使えば包帯なんか巻かなくてもすぐに治るよ?」
緑色で半透明の六角推の形をしたその物体は治癒系の能力が秘められた零具の一種だった。
元々存在するギアのギア比を調整し、発動の条件を緩くすることにより万人に適性を持たせ、誰にでも使えるようにしたというこの技術は、開発者の名前から零変具と呼ばれていた。
「えいっ」
私は治癒固晶に思い切り力を入れると、パンッと軽い音を立ててそれは割れた。同時にミーシャの足の怪我はみるみる内に治癒されていき、数秒後には完全に完治していた。
「やった! やっぱり前に使ったのと同じだった」
私は嬉々として足にまかれた包帯を外す。しかしアジはそれに気が付くと絶望したような表情で割れた治癒固晶の欠片へと駆け寄った。
「うわあぁ、何てことだっちょ…… この治癒固晶は一つしかないものだったのに」
「ふえ? もしかして使ったらまずかった?」
私がそう言うと、アジフライの肩がわなわなと震えた。
「……あれはっ、 ……そう易々と使っていいものじゃなかったのに」
治癒固晶にはひん死の怪我でも回復させる程の力があった。だから今のソーサーズランドが未曾有の危機に見舞われているような事態のときは重宝されるべきものであったのだ。しかもこの街は辺境にあるため特に数が少なく治癒固晶は貴重なものだった。
「まあまあ、使っちゃったものはしょうがないよ」
「う、うん……」
騒ぎをみて戻ってきたマインはそう言ってくれたけど、私はモヤモヤとしたままだった。アジフライがあんなに気を高ぶらせるなんて、きっとこの辺りだと本当に貴重なものだったんだ。王都ではあんなに普通に使っていたのに……。
もし誰か怪我して、治癒固晶がないから助からないなんてことになったらどうしよう。
そのとき、黒いもやから飛び出してきたものがあった。それはソーサーズランドの外で女の腕を生やした化け物の攻撃の隙をぬって、もやの中に間一髪で飛び込んだイカフライだった。
「あ、兄者! あ?」
ソーサーズランドへ戻って来れたのは良かったが化け物の攻撃は完全には躱すことが出来なかった。イカフライは腹に深い傷を負ってしまったのだ。
傷周りからじわっと血が流れ出てくる。イカフライは服を脱いでいたので、グロテスクに裂けた素肌がはっきり露わになっていた。
「う、ぅううう がぁっ……」
イカフライは痛みで苦しそうに悶えながらうなり始めた。
マインとアジの二人は急いで彼の側へ駆け寄ると、痛がりのたうち回るイカフライを押さえ、今ある道具で傷の止血を試みた。アジは救急箱から包帯を取り出し、出血している所を強く圧迫した
「とまれとまれとまれとまれ」
「おい、ちょっと落ちつけよッ そんな風に押さえてたら止まる物も止まらないぜ」
「は、はい。 けどそもそも、こいつが治癒固晶をダメにしてなければ……」
アジフライはそう言うと私をギリとにらみつけた。その目からは殺意すらも感じられた。
なんと間の悪いことだろう! 神様がもし居たのなら、きっととても意地の悪い人に違いない。ミーシャはそう思った。だって、こんなのあんまりよ。このままじゃ、私のせいで……
ミーシャは突然の事に、ただ茫然とすることしかできなかった。だがそれは無理もないことだ。なぜならば、彼女はついこの前まで安全な王都の家から出たことが無く、血を見る機会だって無かったのだ。
―― 正直言って、私はとても怖かった。
アジさんに言われて、私のせいで状況が悪化しているという事実が自分を苦しめたし、こんなに緊迫した場面も生まれて初めてだった。
けれど何よりも怖かったのは、私に優しくしてくれた。楽しい話を聞かせてくれたイカさんが死んでしまうかもしれないという事だった。
……震える声で私は言った。
「わ、私がやる。 私が、イカさんを治してみせる」