化け物は痛くて嬉しい
本気蹴りを食らった次の日。付き合って三日目の朝。
「おはよう碧──」
スッ。
碧乃の元へ近付くと、彼女は光毅を視界に入れる事なく立ち上がり、自分のロッカーへ教科書を取りに行った。
「あー……」
怒ってる……。いや、まぁ当然か。
これは早々に謝って許してもらわないと。
光毅は焦りを覚え、再び碧乃に近付く。
「あ、碧乃おはよう。昨日は──」
スッ。
再び視界に入れず、碧乃は席へと戻ろうとする。
「ま、待って──」
パシンッ!
腕を掴んで止めようとしたら、思い切り払われた。
鋭く睨まれる………………と、思ったのだが。
「…さ、触らないで」
予想に反し、その瞳はこちらを見られず泳いでいた。
…………あれ?
そのまま背を向け離れていく姿を見つめる。
「…………」
……これは……………もしかして?
「碧乃、ノート貸して」
「…………はぁ。……ん」
素直に従った方が早く離れてくれると思ったのか、すぐにノートを渡してくれた。
「ありがと」
「っ!?」
わざと持っている手に触れるように受け取ったら、ビクッと手を引っ込められめちゃくちゃ鋭く睨まれた。でもすぐそらされた。
「碧乃、一緒に行こ」
移動教室のために一人で行こうとしていた碧乃の隣に近付いてみると、ビクッと彼女の肩が跳ねた。
「っ!?…な、なんで一緒に行かなきゃ──」
「…だって俺ら恋人だろ?」
「うぎゃあっ!」
耳元で囁いてみたら、持っていた教材を投げつけられた。
「どうした?具合でも悪いのか?」
碧乃が席に座ったままボーッとしていたので、顎を持ち上げて上を向かせ、顔を近付けてみた。
「それとも考え事か?」
「いっ……」
「ああ、まさか俺の事考えてた?」
「いやああぁ!!寄るな私に触るなぁっっ!!」
ニヤリとした顔を思い切りビンタされた。
昼休み。顔に手の跡が残るまま光毅は、圭佑と三吉の横で満足そうに弁当を食べていた。
「俺、碧乃に嫌われたらしい」
「お、おう…そーか。良かったな」
「碧乃ちゃん、やっと小坂くんの事意識してくれるようになったんだね」
「ふふふふふふ」
圭佑に引かれているなど気にならず、嬉しさに思わず顔が緩む。
「いやキモいな。お前、なんか新しい扉開いちゃってない?」
「さっきの碧乃可愛かったなぁ」
「聞けよ」
§
「ゔぅ〜〜〜っ」
空き教室の一角にて、碧乃は机に突っ伏し唸っていた。
「碧乃っち大丈夫?」
「大丈夫…………じゃない」
平静を取り繕おうとしたが、無理だった。
「あはは。素直でよろしい」
「ゔぅ〜〜もう何なんだあいつはぁぁぁ!」
珍しく荒げた声が教室に響く。
「人前でしないって言ったくせに!!無駄に近付いてベタベタベタベタ触ってきて!!」
事あるごとに過剰な接触をされ、その度にこちらも過剰な反応をしてしまい、碧乃の精神はかなり疲弊していた。
睨み付けて大人しくさせればいい話なのだが、あれと目を合わせるだけで昨日の光景がまざまざと蘇り、結果こちらが負けるのだった。
「初めて見たよあんな小坂君。碧乃っちが意識してくれたのが相当嬉しかったんだね」
「だからってあんなに何度も確認しなくたっていいでしょうが!!」
碧乃はガバリと起き上がり、猛抗議する。
「触りたくなっちゃうんだよ。碧乃っちにべた惚れって事だね」
「全然嬉しくないっ!」
本当嫌いだあの化け物!結局また調子に乗ってるじゃないか!
なんとも楽しそうなあの顔が腹立たしい事この上ない。何度グーで殴ろうと思った事か。
「そもそも触りたいとか意味が分かんない!」
誰かに触れられるのはものすごく苦手。だから当然、誰かに触れたいと思った事も一度もない。
「分かんないか〜。ウブだねぇ碧乃っち。可愛い〜」
「可愛くない」
碧乃はムスッと口を尖らせた。
ウブで結構。分かりたくもない。
「んー、まぁでも向こうは恋愛上級者だからねー。あっちのペースに合わせたらちょっと速すぎかも?」
「…………」
全然ちょっとじゃないんだが。
碧乃は再び机に突っ伏す。
「うぅ………付き合うって何…?一緒にいるだけじゃ、だめなの……?」
一緒にいたいと思ったから、あの日彼の手を取ったのに。
「んー、だめじゃないけど…小坂君はそうは思ってないみたいだね」
「……………めんどくさい…」
怒りではなく悲しみを滲ませた碧乃に、藤野は苦く微笑みかけた。
「触られるの、そんなに嫌…?」
「うーん……嫌っていうか………いきなり近付かれたり触られると、びっくりする…」
「じゃあいきなりじゃなかったら、大丈夫?」
「んーーーーー………………よく、わかんない………」
抱きしめられたり、手を繋がれるだけなら、あまり嫌とは感じなかった。
けどそれが大丈夫かと言われたら、そういう訳でもない。
心臓はおかしくなるし、体は熱くなるし、安心感を得ている気がするのに平静ではいられなくなるし。
それが、その後に待ち受ける展開に恐怖しているせいなのか、はたまた慣れない感覚に驚いているだけなのか、それとも全く別の何かなのか。
知識も経験もなさすぎて、自分では解明のしようがなかった。
ただ分かるのは、『嫌ではない』という事だけ。
「そっかぁー。ふむふむなるほどー………よし!!」
藤野は考え込むように腕を組んだと思ったら、勢いよく立ち上がった。
「…?」
「それじゃあ、あとは私に任せなさい!」
「は?」
「二人の距離がちゃんとゆっくり縮まるよう、私が一肌脱いであげる!!」
「え……一肌…って…………………え?」
…何する気……?