英雄と歩く道④
森熊からは持てるだけの肉を剥いで防腐効果のある草と一緒に包んだ。毛皮と牙も数本、キセキと分かれた後もことを考えてとっておいた。
本当はアレも高く売れるらしいが、あいにくとキセキと食べてしまった。
こってりしてた上に、硬い肉なんて比較にならないくらい柔らかくて美味かったものだから、食い終わってからキセキにどこの部位か聞いて、吹き出しそうになった。
滋養に良いと言っていたが、そう言われると次代に血を残すためのモノなのだからと妙に納得した。
もっと淡泊だったが、昔、一切れだけ、酒を飲む猟師と親父がくれたものに味が似ていた。そのときは聞いても『高級品だからもっと欲しいと言われちゃ困る』と、結局聞けず仕舞いになってしまったのを思い出した。
子供心に気になって、しばらく猟師が獲物を捕ってくる度に今日はあれはないのかと聞くと親父と猟師はキセキと同じようにニヤついていた。きっともっとセオルが成長してから酒の肴代わりにしようとしていたに違いない。
いまにして思えば母さんがみっともないじゃなくて、恥ずかしいからやめな、と怒鳴りつけたのはそういうことだったのだろう。
村でも猟師の手伝いをしていたし、盗賊どもにも解体をやらされてたから手順は心得ていたが、巨体を全部捌くのは限られた時間では難しい。それに、持ってるナイフだけでやるのも力不足だから、大部分は森にくれてやった。
あれだけの肉を手放すのはただ事の精神力では足りない、ましてや、自分で初めて仕留めた大物だったのだから。
せめて食い貯めてやろうと、朝から腹が痛くなるまで食っていたら、キセキに呆れた顔で窘められた。『まあ、気持ちは分かるけどな』と言っていたから、もしかしてキセキも食うのに困ったことがあるのかもしれない。
「これも魔法でうまいことして持ってけたらいいのに」
荷物を纏めてあとは出発するばかりだが、やっぱり割り切りができないセオルが森に置いてきた森熊の肉を見やる。さっそくいやしい鳥どもが啄んでいて、腹いせに石を投げ込んでやった。
「何やってんだよ。だいたい上手いことってどうやってだ?」
「それはほら、なんか、こう、手の平くらい小さくしたり、邪魔にならないどっかにしまったりとか……」
「だからそれをお前はどうやって理解すんだよ? 昨日の教えたこと忘れたのか?」
こつこつ、鞘で額を小突いてくる。この大英雄はまたそんなことに愛剣を使って。
「だってさあ……」
「だってじゃねえだろ、出来る出来ねえの領分をしっかり線引きしねえと後悔することになるぜ?」
ブスッとしているセオルに、「さっさと鞄を背負え」と言い含めて、キセキはさもなければ置いてくぞとばかりに自分だけ歩き出そうとしたから、慌ててセオルも鞄をひっつかんで横並ぶ。
「まあでも、それに特化した魔力を持っていたら出来るかもな」
ぽつりと、
「特化した魔力?」
「ああ、特定の力に順応した精霊力っつうのかな?」
「その魔力があったら食い物をいっぱい持てるかなっ!?」
そしたら最高だ。
そんな便利な魔法があったら、もう冬だって餓えなくていい。
しかしキセキは目を輝かせるセオルに「よせよせ」と手を振ったのだ。
「特化した精霊力なんて簡単に結合出来るもんじゃねえよ。なんにしたってお前は無理。つかやらない方が良い。いや、やるな、絶対だ」
こんな風に頭から否定するのは初めてではないだろうか。
「まあ、キセキがそこまで言うんなら」
別にあれば便利と思っただけだ、どうしても欲しかったわけじゃない。
背後の森熊の肉を振り返ると、セオル達がいなくなるのを待ちかねていた動物たちが集まっていた。
今度は枝でも放ってやろうと手頃なところにあったのをぽきりと折って振りかぶったが、なんだか情けなくなって止めた。
「ああ、なんつーか、ごめんな」
「いいよ、そんなに気にしてないし」
なんなら別にいらない。
よく考えたら食い物を溜め込んだ英雄なんてカッコワルイ。
「……ほんとにごめんな?」
「だからいいってば!」
そんなに顔に出ているだろうか?
「まあ、ほら、他にも良い感じの特化魔力もあってだな。それに、もしそんな便利にものを出し入れ出来る特化魔力を持ってたってセンスがなきゃどうせ無理……」
身振り手振り慰めに掛かっていたキセキは口を止めると、次にはものすっごく微妙な顔をした。まるで、好物の前に嫌いなものを食べなさいと言われたみたいな、そんな顔だ。
「どうしたんだ、キセキ?」
「ああ、いや、魔力さえあったら出来そうなヤツを知ってた」
「えっ、ほんとに!?」
なんと言うことだ、もしもその人と仲間になったら餓えない生活が約束されると言うことではないか。
「おい落ち着け、魔力があったらだ! だから、やっぱりできっこない、いくらアイツでも出来ないに決まってる」
「……その人の魔力はもう頭打ちになってるってこと?」
「まあ、そんなようなもんだな」
なんだ、ぬか喜びではないか。
がっくりと肩を落とした。
十分に力をつけたら是非ともお願いしに行こうと本気で考えていたのに。
「ちなみに、どんな人?」
やっぱりちょっと未練が拭えない。
尋ねると、キセキは渋面を深くして、たっぷり唸ってからようやく答えてくれた。
「女、の子? んで、強いな。 性格、も悪くないんだ。んでやっぱり強い、あと……」
すごくしどろもどろなところとか、『子』をつけることに抵抗を見せたところとか、気になる点はいくつもあるが。
「キセキ、さっきから『強い』ばかり言ってるけどさ、そんなにスゴイの?」
まさかキセキさえ打ち負かすというのだろうか。
「いや、戦ったら勝てる。本来はどうだかまでは知らないけど、いまのアイツなら俺じゃなくたって勝つヤツはそこそこいるだろうさ」
じゃあ、どういうことだ?
またおもちゃにされているのかと思えば、そうじゃなさそうだ。本気で、その相手のことを自分の中でどの場所に置いたら良いか分かりかねている様子だった。
「なんてのかな。とにかく、俺は、アイツの強い姿ばかりを見せられたんだ。この世界で俺のことをずっと導いてくれたし、魔法だって教わったんだぜ?」
照れくさそうに頬を掻きながらキセキは言った。
ああなるほど、ようやく理解出来た。
つまりはセオルにとってのキセキのような人なのだ。キセキはセオルをどうしようもない場所から拾ってくれて、力さえくれた。
たとえキセキが噂に聞いていた大英雄じゃなかったとして、それでもセオルはキセキを見上げたことだろう。将来キセキよりも力を持つ日が来たとして、やっぱり、その背中を見る度に強さと頼もしさを覚えることだろう。
ますますどんな人物なのか気になった。
キセキの活躍で常に彼を支える登場人物など聞いたことがないが、きっと尊敬できる御仁なのだろう。
「いつか、会えたらいいな」
「そうか! んじゃあ、旅が終わったらアイツにお前のことを頼むから、仲良くやれよ!」
「いいの!」
キセキを鍛えた人だ。もしかしたら、セオルにも教えてくれるかもしれない。
しかし、旅が終わったら、か。
「あのさ、その人のとこまではキセキも、その、一緒に来る?」
「あー、そうしてやりたいけどなあ……」
歯切れが悪い。
なにかやらかしたのだろうか、それともそんなに怖い御仁なのだろうか。
「置いてきたから、たぶん怒ってんだよな、アイツ」
「なんだそれ」
まるで女房を怒らせた亭主じゃないか。傍目のこっちからしたら心配しただけバカだ。
「いや、怒ったアイツはホントに辛い! 普段の倍の倍で辛いっ!」
よく言う。
そういう女房に限って他人様には奥ゆかしいのだ。
「怒られるのも旦那の甲斐性だってさ」
村で一番大きい畑をやっていたおじさんが言ってた。
ぽかんとして立ち止まったキセキを置いてけぼりに、すたすたとセオルは歩く。
「ってちょっと待て、アイツとはそんな関係じゃねえ! おい、聞いてんのか、セオルぅ!」
ざまあみろ、してやった。
夏日に風が汗を浚っていったみたいにスカッとした。
「おらっ待ちやがれ!」
心地よい恫喝もあったものだ。
ちがうからはいはいのやり取りを繰り返し、二人は山を越えたのである。




