英雄と歩く道③
「さあ、レッスンの続きだ」
ぱちぱちと爆ぜた焚き火の燐火にキセキの顔が浮かぶ。
セオルは居住まいを正して聞き入るように顔を寄せた。
火を囲んで真ん中には贄を置いて、怪しい儀式でもしているみたいだなんて思った。
おもむろに、キセキが燃える薪を一本火から取り上げた。
「たとえばこの燃える枝に魔力を通したら、どうなると思う?」
「それは、火がもっと燃えるんじゃないの」
「やってみろ」と枝を手渡される。
証石に魔力を通した日から、セオルの魔力は順調に増えている。魔法の訓練の成果もあって魔力の操作はかなり上達していた。
言われたとおり、難なく魔力を操り枝に通すと、やっぱり予想通り炎がぼうと勢いを増した。
ほらね、とキセキを見たら、彼はもう一本焚き火から枝を引っこ抜いて空いてる方のセオルの手に持たせた。
「んじゃあ、次、枝だけに魔力を通せ」
「枝にだけ?」
少し難易度が上がるが、頭を抱えるほどじゃない。
《魔力貫通弾》を教えられたときにイメージを明確にして、範囲を限定して魔力を留める練習を繰り返した。これもその通りにやれば良いのだ。
火と枝とを分離して考えるのだ。一体になった『松明』としてではなく、『火』と『枝』として捉え、そして、『枝』だけに魔力を留める。
――成功だ。
枝の先の火が萎んで、白い煙がたなびいた。
だがこれがなんだというのだろうか、どうしてこれが出来たらあの森熊をもっと早く仕留められたというのだろう。
「だからなんだって顔してるな。でも俺から言わせれば、だから、なんだぜ?」
悩むセオルをみて楽しんでいるような、もったいぶった言い方だ。
「いいか? 魔力っていうのは働きを選べるんだよ。セオルは最初、枝を渡されて無意識に主観を火の方へ置いた。だから『燃える』という働きが強くなった。だけど二回目、俺が枝を指定したからお前は燃える力を無視して枝の強度を上げた。だから、同じものだった二つは真逆の結果を生んだ。分かるか?」
その通りだ。
だけど魔力が自分の力で動かせることなんて今さらのことではないか。
「分かってないな、まだ」
ちっちっちと、キセキはキザな仕草で指を振る。
「ヒントだ。魔法を思い浮かべろ、《魔力貫通弾》でいい。俺はお前に魔法の工程しか教えていなかったな。じゃあ、今度は意味を考えろ。《魔力貫通弾》の正体を考えてみろ」
正体と言われても魔法は魔法ではないのだろうか。
道具と同じだ。スプーンを渡されてこれはなんだって言われたってメシを食う道具だとしか答えようがないではないか。
だが、キセキがここまで言う以上意味があるのだろう。レッスンのときのキセキは必ず必要なことを教えてくれるはずだから。
まずは教えられたことを復唱だ。
「魔力を一点に集めて、射貫くことに最も適した形をイメージ」
セオルなら鏃。
村にいた頃、猟師の後を追いかけ回して目撃した、弦からびゅんと跳んで獣の首を抜いた一矢が一番しっくりきたから。
「それから集めた魔力に力を与えていく」
あの一矢のように、真っ直ぐ跳んで、抜く一撃。
「純粋になるまで研磨して、錬磨していく」
あたかもそこに鏃がそこに存在して、鋭くなるように研ぎ澄ませていくように、そうして、イメージは魔法という形で現実の鏃に昇華する。
「もういっこ大サービスでヒントだ。お前は魔力をなにに対して働かせるんだ?」
「なににって……」
指先に魔力を集めたのだから、そこには魔力以外なにもない。
なにも……――
「――空気」
はたと、顔を上げた。
《魔力貫通弾》は魔力の塊を放出する力だと思っていたが、そうでは無いのだとしたら。
指先、そこにある、『なにもない』に対して魔力を流して留めていたのだとしたら。
「やっと気づいたか、にぶちんめ」
にやりと、キセキが笑む。
「じゃあ、魔力はあくまで、与える力でしかない?」
おずおずと窺うと、キセキは鷹揚に頷いたのだ。
「そうだ。魔力の原型、精霊力は万能だ。この世界であらゆる働きをしている。ただし、あくまで魔素にひっついて付与する力なんだ。それだけでなにかをしたりしない。あらゆるものに力を与えるものでしかない。魔力もそこに使い手の意思が乗るだけで基本的に同じ。分かるか? 子供だって使える道具に魔力を通すっていうのが、まさに『魔法』そのものなんだぜ?」
基礎である魔力操作こそが人間の奥義とも言える魔法そのものだということ。
そう考えるとあんなに尊く生半可には習得出来ないと覚悟していた魔法が近しいものに感じられた。
「じゃあ、この剣もただ魔力を通すだけじゃなくて《魔力貫通弾》みたいにちゃんと力を意識してやってたら」
「そうだ、ただ性質を強化しただけじゃその剣は刃物じゃなくて鈍器としてしか使えなかった。だが、斬るという働きと目的を意識して魔力を使っていれば、熊の毛皮も斬れていただろうさ」
言い終えるとまたキセキは自分の剣を使って肉を切り落とした。
しかし、セオルはそれどころではない。
「うわーなんだよそれっ!」
みっともない悲鳴を上げたのだ。
両方の手に無かった木の実が袖の中からぼろぼろいくつも出てきたみたいな。
ああ、腹立たしい!
なにがって自分にだ。
キセキに教えられなくても気付けたことのはずだ。そのための材料は揃ってた。あれだけ丁寧に《魔力貫通弾》という魔法も教えて貰っていたのだから。
キセキもセオルが自分で気付くかもと思って黙っていたに違いない。それをこれだけヒントを貰ってようやく気づくなど、鈍いにもほどがある。
頭を抱えるセオルを余興に、ケラケラ笑いながらキセキは肉を食んだ。
分かったからにはさっそく実践あるのみだ。
「魔力を、刃の形に……」
手の平からあたかも自分の一部の様に刃へ魔力を流し掌握していく。
今までならここで終わりだ。
だけど、今日からはここから本命。
剣の形をイメージして、刃の部分を研ぎ澄ませていく、鋭く研いでいく。
「よし」
形は出来た。
これであってるはずだ、確かに魔力は刃の形をとった。
緊張の面持ちで剣を肉の塊に当てて力を込めて沈めていく。
刃は表面の焦げた皮をつぷりと破いてしばらく進み、止まった。
「……えっ?」
なんでだ、魔力は刃の形から崩れてない。
だけど、遅々として刃は肉圧に阻まれて進まない。
「こっの!」
「おっと」
力を込めて刃を下ろすと、刃跡は横に逸れて危なっかしく焚き火に落ちた。
「おわあっ」と、セオルが巻き上がった火の粉にまたしても無様な悲鳴を上げてもんどり打つ。
キセキはちゃっかり肉を差す枝を掴んでいたが、セオルの切り落とした一片は火の中に落ちてしまっていた。
「ちゃんと食えよ、お前がやったんだから」
じとり、睨まれて、セオルはやむなく火の中から枝を使って肉を取りあげた。
焦げてるし、炭がひっついて食いづらいことこの上ない。
思い切って齧りついたら、やっぱりじゃりじゃりして、「うへー」と舌を出して、何度も炭を唾と一緒に吐いた。
このまま引き下がるなど、もちろんあり得ない。
平らげてからもう一度剣を掴んだ。
同じ工程を繰り返して、今度はさっきよりも強く刃をイメージして、
「ああ―ダメだダメだ。それじゃ二の舞だぜ?」
キセキから待ったが掛かった。
「何でだよ、《魔力貫通弾》のときの同じようにちゃんと魔力の形を考えてたのに」
「だからだろ、たしかに脂なんかの影響が小さくなったから多少切れ味は上がってる。だが、お前のやってることって結局その剣の表面まで魔力を纏わせているだけで基本的なその剣の切れ味や性能を上げているわけじゃないぜ?」
その通りだ。
例えばこれがキセキの剣だったのなら問題ない。なにもせずともこんな獣の肉を易々切れる性能を持っているのだから。
「魔力に『鋭さ』そのものの働きをさせなきゃいけないってこと?」
だがそんなのはどうすればいい?
《魔力貫通弾》には記憶に猟師の鏃というお手本があったからうまくいった。跳ぶこと、貫くこと、それは目視出来るわかりやすい事象だったから。
しかし、『鋭さ』とはなんだ。
剣を振れば斬ることが出来る。
キセキの剣が業物だということは傍目にわかりやすい。ならばそれをなぞれば良いのか、しかしそれでは、さっきセオルがやったこととどう違うというのだろう。
眉根を寄せて刀身を見て考え込んだセオルに見かねて、キセキがちろりと肉の脂を舐りながら言う。
「教えてやるよ、手を出してみな」
言われたとおりに広げた手のひらをキセキに向けて突き出す。
キセキは気安い動作で「そのままな、うごくなよ」と声を掛け、白地の細刀の柄に手を掛け、――刹那だった。
チッ!
川の流れより小さな音を、セオルの耳は聞いた。
「えっ?」
眼前、いつの間にか刀身を露わにし、振り切った姿勢のキセキ。
これでも魔法を使っていないというのか、にわかには信じ切れない。
そんな思考に心を盗られた直後、手のひらに熱を感じた。
鮮血が焚き火にくべられ、じゅうと燃えた。
セオルの手のひらからだくだくと血が溢れていた。
「いったぁ! なんで、なんで!」
手を斬られた。
キセキに、手のひらに一文字を刻まれた。
もはや、実際の傷よりキセキにそんなことをされたことこそに恐慌する。
「握るなッ! 隠さないでよく見て目に焼き付けろ、痛みを記憶しろ、傷を識れ! そいつが斬撃だ。お前が習得するべき刃だ。まがい物じゃない本当の一閃だ」
怒鳴りつけられ、硬直する。
そうだ、まだレッスンの最中だ。
なにを慌てることがある、手のひらをちょっと斬られただけだ。指一本だって落ちちゃいない。
唇を噛んで、震える手を自分に向ける。
ぬめりと光沢、ぱっくり開いた傷から血が湧き出して指間腔に流れ、手の甲の真ん中でもう一度合流し、ぽとぽと垂れていく。
「どんなだ」
「じんじんする、心臓が移動してきたみたいに、ドクドク言ってる」
「それから?」
「それから、……糸? オレの手の皮の下にいっぱいの糸が敷き詰められてて、それで、その斬られたところから血が流れ出てるみたい」
これが、『斬る』と言うことなのだろうか。
この一本一本なら細くて頼りないたくさんの糸の繋がりを離してしまうことが、『斬る』と言うことで、それが出来ることを『鋭い』というのだろうか。
「……上出来だよ」
チンッ、キセキは細刀を鞘に納めた。
「今お前が感じているものをよく憶えておけ。そしたら、お前はいつかどんなものだって怖くなくなるだろうさ」
それから肩を竦めたキセキは「ほら手を貸せよ」と、手首を布で強く縛って止血し、傷の手当てをしてくれた。こうしてキセキがセオルに触れたのは宿屋で握手して以来だ。思っていたよりも綺麗な手をしていることに気がつく。
もちろん、所々硬くなっていて、親指の付け根なんかの筋肉は大きく発達している。だけれど、年期を感じないのだ。
セオルの村にいた猟師の手はもっとガサガサしていた。
そう言えば、キセキの叙事詩は比較的新しいことを思い出した。
活躍がめざましかったものだから意外に思うだろうが、キセキが活躍したのは、たしかセオルの村が焼かれる数年前くらいだったはずだ。
(キセキは英雄をやる前はなにをしていたんだろう?)
やはり、修練に明け暮れて過ごしていたのだろうか。
異世界から来たという話が流布しているが、その場所ではどんな生き方をしていたのだろうか。
ときどきだが、キセキは戦士のくせに命に対してらしくないほどの優しさを見せる。
例の『ごちそうさま』の意味を尋ねたときだってそうだ。
命を貰ったからなんて大げさだ。
肉は肉だし、パンはパン。
そいつらに命があるわけじゃない、それなのに言葉を掛けてやるなんてまるで物と人の区別がつかないみたいじゃないか。
そういうのは意味の無い自己満足が大好きな貴族どもにやらせておけばいい。……もしかしたらキセキは異世界で貴族だったのだろうか。
その後、感覚を忘れないうちに剣に魔力を通してみたが、結局セオルは四枚じゃりじゃりした口触りの肉を食むことになり、キセキはけらけらと下品な笑い声を上げて腹を抱えていた。そのまま胃をひっくり返してしまえば良いなんて恨みがましく思った。