英雄と歩く道②
街を出るときにセオルはキセキといくつか取り決めをした。
『俺はセオルにできる限りの力の使い方を教えてやる。だけど、お前は自分で強くならなくちゃいけないぜ?』
武具屋でセオルの装備を連れて行ったキセキはそう言い、まずはセオルに自分の武器を選ばせることからはじめた。
セオルが選んだのは装備替えした傭兵が購入資金の足しにした古い皮鎧と新品の一番安いランクの剣だった。
皮鎧は定期的に天日干しをして定期的に手入れしていたらしいが臭い。
店でも隔離するみたいに一番奥に置いてあったくらいだ。そのかわり使い込まれて汗を吸ったおかげで柔らかく動きやすかった。
安い剣を選んだのにも理由がある。
高い剣は確かに硬く丈夫だが、重いのだ。
高い金で剣を買う人間は貴族の道楽でもない限り乱暴ごとに関わる人間に決まっている。
そういう人間は魔法を使うことに慣れているから重さを考慮しない。だから、高い剣ほど魔法と併用することを想定していて重さを考慮しない。いまのセオルでは自分から持ってる剣に向かって飛び込みかねないだろう。
そう説明したらキセキは「よし」と頷いて金を払った。
どうやらキセキの目的は考えさせることのようだった。
どうやれば強くなれるか、強くなるにはなにが必要か、その目と洞察を鍛えろということらしい。
それから、街を出るときにも、
『俺はセオルといる間は魔法を使わない。旅の目的以外で剣も極力抜かない。だから食糧確保はお前の仕事な?』
これもセオルを鍛える一環なのだろう。
狩りには魔法を使う機会が多い。獲物を見つけるにも、追いかけて捕まえるのにも魔法は必須と言って良かった。
それどころか、キセキの旅路に従いて歩くのにさえ、体格が劣る上、最近まで奴隷をやっていたセオルでは魔法の補助が必要だ。そんななか、キセキによる魔法の指導も受けていたセオルは毎日くたくたになって床に就いていた。
キセキは本当に一切狩りをせず、セオルが獲物を逃し続けた十日間は一緒になって糧食の硬いパン、チーズ、木の実などを食んで過ごした。
日に日に獲物を見つけた時のキセキの目は餓狼のそれに近づき、そしてセオルの魔法訓練にも熱が入っていった。
このまま猟果がなければセオルがどうなっていたか、想像したくない。
(流石に食ったりしなかったよな?)
川に浸かって身体の泥を落としながらセオルは突拍子もないことを考える。過酷な戦役を潜ってきた英雄といえど、人肉の味なんて流石に知るまい。
河原に火を熾し、森熊の腕一本まるまる皮を剥いで焼いているキセキを見やると、だらしない顔と貪欲な目をしていた。
ぞくりと背筋が粟立つ。
いやまさか。
髪にこびり付いた泥がしつこいせいで身体が冷えただけだろう。
ぶんぶん頭を振って水を跳ばし、防具も服も洗ってしまって乾かしているから、寝るときの掛け布一枚だけ羽織って、火に暖まりに行った。
去り際に、内蔵だけくり抜いて森の獣にくれてやったからすっかり細くなった水に浸けてある森熊をみやる。
狩りを成功させた、セオルがやってやった!
もう何度目かも分からないが、身体の真ん中から上ってくる感情で顔がにやけた。
「お、来たな来たな!」
子供みたいなはしゃぎっぷりだ。
街にいた頃からキセキにはそういうところがあったが、今日のは輪を掛けている。
「ほら! お前の捕ったメシだ、一口目はくれてやるよ」
そう言うと、キセキは火に掛けていた肉塊の端っこを枝ごと切り分けた。
大英雄の象徴とも呼ぶべき、自分の剣を使って。
「って、なにやってんだよキセキッ!」
素っ頓狂な悲鳴を上げて、セオルが立ち上がる。
はらりと掛け布が肩から滑っていろいろ丸出しになって、キセキが「おう…」なんてまじまじと見てるが知ったものか。
「みせびらかすもんじゃねえぞ? ソレ」
「そ、そんなことはいまはいいんだよ」
……やっぱり良くない、座り直して掛け布を引っ張って被る。
こほん。
「肉切るのなんかにキセキの剣を使っていいもんか! それは、英雄の剣だろう?」
英雄の武器とは英雄の最も近くで活躍する重要なアイテムだ。それを包丁代わりなんて世の子供達が泣いて喚くだろうし、みんながみんなセオルとおんなじ反応をするはずだ。
「だって、下手な刃物よりコイツが一番よく切れるんだ。流石良い素材と鍛冶職人の仕事だよな」
からからと笑って言うことではない。
「だいたい剣は抜かないんだろ!」
「ちょっと使うだけなら良いんだよ。手入れだ手入れ、油を塗るついでだ」
ほらこの通りと、荷物から布を引っ張り出してきて刀身を拭き取る。
肉の脂で、刀身が焚き火にてらりと光った。
本当に綺麗な剣だ。
輝かんばかりの白銀色の刀身は細身にも関わらず、決して折れないという安心感がある。
それが刃紋部分まで目が行くとまるで印象が変わる。
鋭いなんて感想は見やる依然に。
見つめているだけで、いつの間にか自分の身体をまさぐっていた。
不安になったのだ、まだ、自分の身体はどこも千切れていないか。
その剣先を額に向けられたときのことは考えたくない。ましてや、魔力を纏った真の姿など。
そんな名剣を、この男は。
またむかっ腹が沸いてきた。
「なんだあ? そんなにコイツが気に入ったのか? んじゃあ、そのうちやるよ」
「貰えるもんかっ! オレが言いたいのはもっと大事にしてくれってことだよっ! その剣は、キセキの半身みたいなもんだろう?」
英雄にとって自分の武器とは恋人よりも近しい存在と決まっている。
「半身、半身ねえ?」
だというのに、キセキはなにかを思案するみたいに細刀を見ていた。
まさか違うなんて言うつもりだろうか。
幼い頃からなんども読み返した絵本の話を汚された気がして、セオルはやっつけに葉っぱをミトン代わりに掴んだ肉に齧りついた。
「……硬い」
まあそんなものだろう。
捕ったものを焼いただけなのだから。
「贅沢なヤツめ」
「……でもうまい」
ぐにぐにと噛んで溢れた口いっぱいの熱々の油が胃に落ちていく。そしたら十日分の空腹の弁償を要求するみたいに腹がごろごろ鳴って催促しだした。
こうなったら歯止めは利かない。
はぐはぐ、食らう。
口周りがべとべとになっても関係ない。
掴む手がしたたった脂で滑りそうになったからしゃぶって、掛け布で拭う。
あっという間に、セオルの顔ぐらいあった一枚を平らげてしまっていた。
もっと欲しくて、顔を上げると、とっくにキセキは自分の食事に夢中になっていた。というか、多分とっくにオカワリしている。
どうやって切り分けたものか、と、手の届くところにセオルの剣が置いてあった。
「……」
たっぷり五秒悩んだ。
仕方ない。
それに、セオルの剣はべつに名剣ではない、何の変哲も無い普通の剣である。
そう、これはやむを得ないのである。
剣を手に、鞘を手に掛け、ちゃきっと、刀身を三分の一ほど抜いた辺りだ。
はっと振り向けば、キセキが見ていた。
にやにやとしたまま、なにも言わないが見ていた。
見ていた。
「…………」
食欲と矜持。
ううんと呻って、セオルは鞘を捨て去ったのである。
「な、なんだよ」
腹が減っては戦が出来ないのだ。
強くなるためには肉を食わなければならないと、いつか丁稚に行ったあんちゃんも言っていた。
「いんや、いいんだぜ? 別に。ただな、そのままじゃ肉は切れねえぞ?」
「へっ?」
愕然とする
弄ばれた。
ではセオルは滑稽に悩んだあげく肉を得られないというのだろうか。
なんということだ、なんという悪逆だろう。
「おい、そんな睨むなよ、話を聞け、レッスンだ」
「レッスン?」
キセキがセオルが教えを与えるときの合い言葉だ。
「そうだ、熊と戦ってたとき、お前は剣に魔力を流したよな」
「うん」
魔力を帯びた武器は硬度を増す。
精霊力の加護はすべてのものに与えられる。それには石や木、脈動を持たないものも含まれている。だから、元は精霊力である魔力を流してやることで性質を強化できるのだ。
森熊との戦いで最後まで剣が大きい刃こぼれもしなかったのは、魔力を通していたおかげだろう。
「やり方を知ってればもっと早く熊を仕留められたんだぜ?」
「はあっ?」
両手のどちらかに木の実を隠してどっちだと言う遊びをやったことあるだろうか。
いまのセオルは純粋にどっちか片方を選んだ結果、両手のどちらにも木の実が入ってなくて、はいきみの負けねと言われたときと近しい気持ちだった。
「だから、そんなこわい顔すんなって!」
けらけらとこの男は性懲りも無く笑う。
「……教えてください」
ぺこり、頭を下げる。
知らないなら知れば良い。今回は生き残れたのだ、学べば次は必ず生き残れる。
セオルには教えてやると言ってくれる人がいるのだ。
恨んだりなんかしない……、するもんか。
「態度と顔がスッゲー隔たり。まあ、でもそれで良いんだぜ? 感情を騙すのはまだ早い。英雄への憧れがセオルの動機なら、感情が一番お前を引っ張ってくだろうさ」
どうしてキセキはこんなにもセオルを理解した言葉を言えるのだろう。
森熊との死闘に意味があったことをセオルは理解している。
キセキに自分で強くなれと言われたから、セオルは考えてどうしたら強くなれるかを捜し続けている。
あの戦いからはいろんなことが学べた。
魔力の扱いを雑にすればどうなるのか、魔力酔いをおこさないためにはどうするのか。
体格が大きく、力も強い敵にどう立ち合ったらいいのか。
魔力を実戦で運用することがどれだけ難しいか。
それが出来るようにならなければいずれどんな運命が待ち受けるか。
学んで、しかも五体満足で生き残れた。
貴重で希少な経験をセオルは早い内に手にすることが出来た。キセキという絶対存在が側にいてくれて、遠慮なくやれた結果だ。
だけど、セオルの反骨精神は、理解してもそっぽを向きたがる。辟易したくなる愚かさが、理解しているだけ情けない。
そして、そんなセオルの全部をひっくるめて許容し、導いてくれるキセキにますますの憧れと、ちょっぴりの悔しさも覚えた。