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英雄の叙事詩  作者: yu-in
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英雄と歩く道

 

 英雄は強くなければならない。 

 人は自分じゃ手に入れられないものにこそ憧憬をみるから。   


 この世界は純粋な力比べで解決してしまうことが多すぎる。

 個体差がありすぎるのだ。

 精霊力の加護は残念ながら平等ではない。人間同士でさえわかりやすく強弱が区別されてしまう。

 個体が持つ優劣は派閥を生みだしやすく、対応する国の力さえ後手に回ってしまいう。大国に数えられるサンクトアさえ国内を盗賊や魔獣が跋扈している始末だ。


 だから英雄は強くなければならない。

 散漫する悪意や脅威を押さえつけられる力を正義のために振るうその姿こそ、滅多に人の手に入らないものであり、希望だからだ。



「見えるか? セオル」

 場所は茂った山道、藪に身を屈め、キセキに言われるまでもなく、前方にはセオルの三倍はあろう巨躯をぐでんと横たえる森熊がいた。


 ごくりと、二人して生唾を呑む。


「いいか? 仕留めろよ? ゼッタイだぞ?」

 もう十日も前、街の中では揚々としていた彼らしくない、切羽詰まった声だった。

 あれだけの図体だ。平均的な森熊よりも精霊力の加護を多分に受け入れる素質を持った個体なのだろう。つまりは、その毛皮も筋肉も強固で鋭利だということ。


「呼吸をしろ、呑まれるなよ? 殺意は必要だ。貪欲さも噛みしめてろ。そいつが無ければ競り合いで負ける。だけど呑まれるな、魔力を操るように感情も飼い慣らせ」

 こくり、頷く。

 たらりと汗が額から顎まで伝う。

 呼吸をして、胆に力を入れて、魔力をぴんと一本だけ伸ばした指先に集めていく。


 イメージするのは鏃。

 それも細く、鋭く、石の壁でさえ穿つほどの威力と貫通力を備えた魔力の矢。


「焦らずに、練り上げて、魔力を研磨して、働きと力を明確にしていく」

 繰り返して、繰り返して。

 キセキから教えられたとおりに、キセキがやって見せてくれた魔法へと昇華させていく。


「いまだ、やれッ!」


 「《貫通魔弾(ライフル)》」

 

 祈るように唱えて、セオルの指先は閃光を迸らせた。

 きぃいいと高密度魔力の弾丸は甲高い悲鳴を尾びれに百二十メートルの空間を裂く。


 ぴくりと、森熊の耳が音を察知して動いたが、――遅い。

 閃光が分厚い首を貫通し、みちみちと音を立てて太い樹木を穿った。


 ぐううぅ、獣が唸る。

 だらだらと血を流し、かっと目を見開いた森熊は、鼻と魔力の残滓から復讐すべ狙撃者の姿を見いだした。

 セオルの魔法は十分な威力を誇り、森熊を襲ったが、しかし、意地か本能か、そのまま倒れることをこの獣は受け入れなかった。

 次には、飲んだくれの太った腹回り程もある巨大な前足をドシンと踏み、森熊は強靱さを漲らせて突進をくりだす。 

 巨大な筋肉は巨躯を思わせないスピードを可能にし、そのままぶつかれば轢き殺されることは必至。


「来るぜ! 尻込みは無しだ、最後までやってみろッ!」

 「オウッ!」と威勢良くキセキの激励に返し、セオルは剣を右手に飛び出した。


 接触まではほんの数秒。

 自力で勝とうなどもちろんそんなバカな話は無い。手負いになってもセオルの腕力が野生の鎧に太刀打ちなど勘違いしてはいけない。

 だが、獣が人の数倍の暴力を持っていたとしても、人には人の魔法(ちから)がある。


(勇敢になれ、セオルッ!)


 英雄らしく在れ。

 自己を激励し、頭の中で鳴り響く警鐘にかき乱されそうになりながら、魔力を維持。

 素早く四肢へ漲らせた魔力がいつもよりも鮮明にセオルの意思と直結する。


 グゥアアウッッ!!

 

 大口の隙間にビッシリと並んだ牙がセオルの柔肉を食いちぎるために剥いた。


(勇敢になれっ!)


 引きつけて、引きつけて……ほんの数歩分だけを横に跳ぶ。

 耳の横をガチンと森熊が噛み、鼻腔に肉と血の生臭さ、獣臭さが充満する。


 紙一重で、死をくぐり抜けた先で、セオルは吼えた。


「ッらあぁあああ!!」


 体中の魔力が燃える。

 火を噴きそうなほどに身体が熱い。

 半身を返し、熱を剣先に昇らせて、思いっきり振りかぶって、森熊の横体に叩きつけた。


 どぉうと、森熊が自重相まって木に突っ込んだ。


 巨体を受け止められず、二本、三本と倒れた幹が森熊を押し潰した。


「はあぁ、はぁあ……」

 息切れ、目眩、耳鳴り。

 急劇な魔力の活性と低下のせいで、どっと倦怠に襲われた。


「まだだぜ?」

 キセキの言うとおりだった。

 ぼだぼだと流れた血で毛皮を朱に染めながら、森熊は倒れた木を押しのけて立ち上がったのだ。

 はじめに運良く太い血管を撃ち抜けていたのだろう、最も自重を支える前足が小刻みに震えている。


 だからこそ、野生は最も研ぎ澄まされる。


 死ぬ間際までセオルの首に牙を立ててやると、森熊の目は怒りに燃えていた。

 冗談では無い、セオルだって急激な魔力の活性と解除による酔いのせいで吐き気までしてきているのだから。

 ちらりと、キセキに目を向けるが、腕を組んで傍観を決め込んでいる。街を出たときに言ったとおり、手を出すつもりは無いと見える。

 この危機はセオルが一人でこなさなければならない。


 セオルが森熊にダメージを与えられるとすればじっくり魔力を練り上げて魔法を使うしか無いだろうが、戦闘中、しかも魔力酔いの状態で集中するなんて不可能だ。

「なら、根比べ」

 森熊が多量出血で動けなくなるまで逃げて、防いで、生き延びる。


 グォオオッ

 ふらつきながらも依然の迫力で突っ込んでくる森熊を前に、セオルは目を眇めて、無理矢理魔力を身体に漲らせた。



 結論で言えばセオルは勝った。

 無様なくらいにセオルは逃げて逃げて勝ち取った、泥臭い勝利だった。


 森熊の爪先は腕や服を引っ掻いて破いたし、何度も転がったから尻や腕は青あざが出来ていて、血でぬかるんだ土と草が顔と髪にべっとり貼り付いている。

 満身創痍とは今のセオルにぴったりの言葉で、本当にぎりぎりのラインで気力で立っていたセオルと睨み合いながら、森熊は目から光を消して倒れた。


「ハアッ、ハアッ……」

 ばくりばくりと鳴る心臓が、死線をくぐった実感を与えてくれる。この鼓動こそが生者の証なのだと身体が震えた。

 勝った。あれほどの巨体に、自力で勝利した。

 達成感がじわりと胸に震えたら、もう立っていられなかった。

 前のめりにどさりと、セオルは血泥に顔から突っ込んだ。


「おいおい、大丈夫か? 勝ったクセに地面とキスしてちゃカッコワルイぜ?」

 好きに言ってろ。

 頭の上から聞こえたセオルの戦いの見届け人に、なにかを言い返してやる元気は今のところ足りていない。

 だけど、言うとおりだ。英雄の戦いにはほど遠い体だが、セオルは勝ったのだから、見るべきは地面じゃ無いだろう。


 ぐるんと、気力を振り絞って反転、晴天を仰ぐ。

 太陽がかなり傾いている、ざっと一時間以上は()りあっていたんじゃないだろうか。

 口の中がぐちゃぐちゃだ。

 泥の味もしたし、口の中も切っていたから血がブレンドされてヒドイことになってる。

 咽がイガイガして声を出そうとすると、痰が詰まったみたいに上手いこといかない。


「ははっ、ははは!」

 それでもセオルは笑う。 

 何度も咽せて、血と鼻水とが混じった塊を吐き出しながら、セオルは笑い続けた。


「そうだぜ。勝ち鬨はそうじゃなくちゃいけない」

 セオルが戦っている間、ずっと組んでいた腕を解いて、キセキもまた一緒になって笑ったのだ。 



「さあ、飯の支度だ! 十日ぶりにガッツリ肉だっ!」

 口の端から垂れるよだれを拭うキセキ。

 飢えは英雄でさえ克服しがたいらしく、英雄見習いのセオルはその一言で鼻の穴を膨らませるほど期待してしまう。

 ついゴクリと湧いた唾ごと泥と血も飲んでしまって、とたんに思いっきり咽せた。


「ハッハッハッ! 勝利の味はどんなだ?」

「……最高だね、最悪にマズイ」


 セオルの返事を聞いて、キセキはもう一度大笑いしたのだ。



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