エピローグ 序章③
ずっと続くとさえ思っていた旅。
なにも持っていなかったセオルがあまりにも多くを貰えた旅。
たったの半年で終わってしまった英雄との旅。
泣いたし、笑ったし、怒ったし、苦しんで、それでもいっぱい笑った旅。
セオルが自分を見つけた旅。
(あと、出来ること――)
セオルは戦いの中で無防備に瞳を閉じていた。
それから、
旅を思い返して、経験と覚えたことを掘り起こして。
身体が自然とその姿勢をとっていた。
「はっ? マジかよ、おいおいおいっ! そいつはマジなのかッ!?」
アクツが興奮して叫んでいる。
それも遠く、遠く、身体の内側にセオルは没頭する。
細刀を腰に、姿勢は落とし、
瞳を開いた。
だったら前を見なくちゃいけない。
前を、ただ前を、見ろ。
「さあ、思い出せ」
記憶にある最高の一閃。
セオルの旅を拓いた一閃。
手の中には熱がある。
そして、魔力。
キセキが最期に渡してくれた特別な魔力が、その『鋭さ』を知っている。
分かる。
今なら出来る。
そのための魔力が細刀に流れ込んでいく。
「ははははっっ!! 最高だッ、キセキだっ、キセキがいやがるぞっ!! そいつが出来るんならお前は合格だ、絶対に楽しく遊んでやる、お前のことをずっと見てて、お前が成長するのを待って、一番良いときにきっと一番良い方法で殺し合うんだッ!!」
アクツも呼応するように魔力を熾した。
本気の魔力だ。
黒いハリケーンがアクツを包み、セオルの眼前を闇に染める。
重圧、威圧、恐ろしいほどの席巻と蹂躙。
しかし、後退は有り得ない、
セオルの心はただ前へ。
「壱閃」
キセキを体現する、キセキの半身たる一振り。
「その名の通り、閃け」
英雄とは、絶望を払い、光をもたらすものだから。
そうだろう?
問いかければ、心に受け取った憧れた姿がイタズラ小僧のような笑顔で応える。
―― さあ、やってみろ! ――
疾く、鋭くッ!
「絶ち斬れッ!!」
音は止んだ。
世界は速度を落とした。
刃が、見据える先をなぞっていく。
まるで一枚の紙を切ったように、世界が拓いていく。
重い、倦怠が腕にのし掛かる。
全部を背負い込み、歯を食いしばって、セオルは一閃を刻んでいく。
ついに、左から振った腕が右後方を向いた。
――斬った。
眇めた目の先にはまさに一文字。
甲高い摩擦音が今さら朗々と天空へと届き、寂々と余韻を響かせる。
暴風は千々に去った。
世界が死んだみたいだった。
英雄の一閃は確かに完成を見て、世界に刻まれたのである。
やがて世界は息を吹き返し、脈動と息吹が流れ込む。
黒金の勇者が呼んだ暗澹はことごとく失せ、神殿には光が差し込んだ。
砕けた石畳、飛び散った血の跡。
戦いの名残が惜しげに散乱している。
セオルは、振り切った剣をまだ不格好な仕草で納刀した。
疲労で、足先の感覚が抜けている。
だけれど、まだ倒れるわけにはいかない。
「死に損ないめ」
食いしばったまま、歯の隙間から悪態を吐く。
アクツは生きていた。
大剣はへし折れ、右腕が飛んで転がっているが、しぶとく生き残っていた。
「死ぬかよ、せっかく新しい友達に会えたんだ。なあ、名前は?」
ぼとぼと血を垂れ流して居るくせに、それを何でも無いことのように無視してアクツは聞いてきた。
「……セオル」
「セオル、セオルだな、セオル……よし覚えた」
アクツは刻み込むように数度セオルの名前を繰り返した、そうしないと本当に覚えられないみたいだった。
「キセキにありがとうを言わねえと、こんな素敵な置き土産を残してくれたんだ。そうだな、あの世で繋ぐための右腕をプレゼントしよう、ああ、そうしよう」
黒い魔力が転がっていたアクツの右腕を包んで、離れる頃には塵だけが積もっていた。
そんな悪趣味なプレゼント、誰が受け取るもんか。
キセキだって唾を吐いて踏みつけるに違いない。
「じゃあ俺は行くな。お前もからっからだろ? いいか、ちゃんと強くなるんだぞ」
言うとおりだ。
もう全部使ってしまった。
いまは、アクツに倒れた姿なんて見せたくないから意地で立っているだけだった。
「おーいアリス、行くぞって、寝てんじゃねえか」
いつの間にか泣き疲れて寝ていたらしかった。
「しゃあねえなあ」とアリスを背負うと、アクツは階段を下りて亀裂から出て行った。
魔力が仕事をしているのだろう。アクツの右腕の切断面から氾濫していたはずの血の線はだんだんと細く尖っていった。
これじゃあ、血が足りなくなって勝手に死んでくれそうにも無かった。
タフなヤツだ。
余裕を見せつけられてるみたいでイヤになる。
霞み始めた意識を叱咤して、セオルは声を張り上げた。
「忘れんなッ! いつか絶対殺してやるからなッ!」
腹いせ代わりの一声には、笑い声が返った。
本当にイヤになる。
さて、なにからしよう。
疲労がのし掛かって潰れてしまいそうだ。でもまだ倒れるわけにはいかない。
「クレア……」
さっき、キセキを先にさせてもらったから、次こそ、彼女の番だ。
細刀を頼りに突きながら、神殿まで歩く。
どうしてこんなに広いのだ、大きければ威厳が出ると勘違いしているに違いない。
身体を引きずるように彼女のところまで行って、容態を見た。
とりあえず生きてる。
だが、身体にキセキに出来ていたみたいな斑が浮かんでいた。
セオルは病気に詳しくないが、これならどうすればいいか見当がついた。
「はあ、あとからなんか言われるかな」
やむを得ない自体だし、クレアはセオルなんて犬程度にしか見ていないのだから気にするとも思えない。
どっちみち、心当たりがあるとしたらそこしか無いのだからしょうが無い。
後ろめたい気持ちを抱えながら、セオルはクレアの身体をまさぐった。そしたら、案の定、服の中に目的のものを見つけた。
『黒魔病』に効く薬だ。
余分な精霊力と一緒に魔力も抜けてしまうからキセキはあまり飲まなかったようだった。だからきっとクレアならまだ持っていると思っていた。
几帳面なことに、一回分ごとに包んである。
どれくらい使えばいいかまで頭が回っていなかったから助かった。
包みを開いて口に含ませクレアの上体を起こし、水筒の水を流し込んでやる。やり過ぎると口から溢れてしまうからゆっくり、少しずつだ。
どれくらいで目を覚ますのだろう。
それまでセオルの身体は持つだろうか。
正直くたくたで今すぐにでも一緒に横になって眠ってしまいたいが、前はサボったのだ。そのときに彼女は文句一つ言わなかったのだから、セオルだって言わない。
薬が胃から戻ってこないように、セオルはクレアの頭を膝に乗せて階段に座った。
さっきより呼吸が良くなっただろうか、それとも、薬の効果を信じ込みたいセオルの願望だろうか。
やることはやったし、これ以上はわからない。
あとは待つだけ、……当分は起きないだろう。
「ねえクレア、キセキはいったよ」
鳥の台座の下でキセキは動かないでいる。
「ねえ、キセキの旅はちゃんと終わったよ」
さっきは我慢したし、クレアも寝てる、じゃあいいだろうか。
そう思ったら、もう止められなかった。
「ちゃんと、きせぎ、がら。もらった、ぜんぶ、ぜんぶ、おれが、もらっだから!」
全てはこの身体に。
血と肉と骨に、記憶に、心に。
「おれ、が、つれでくがら! ぎせきのぜんぶ、もっで、まっずぐ、すすむ、からっ!」
キセキの叙事詩のその先へ。
「おれ、だれより、英雄に、なるがらっ!」
心が望んでいるから。
生きている限り、心は向き続けるから。
誓いは胸に、強く、深く。
この場所から、新たな英雄の叙事詩が、はじまる――。
おしまい
ご愛読ありがとうございました。