英雄の道連れ②
世界は『精霊力』という力が廻している。
精霊力が具体的になにかと聞かれれば、要領を得ない。
雨を運ぶ力で有り、火を灯す力で有り、四季を巡らせる力とも言うし、生命を育む力とも呼ばれる。
普段に目には映らないその力は、根本から世界を支えて創っている。
そのためにこの世界の森羅万象、木も石も動物もそして人も、存在するすべからくは、この精霊力の恩恵を受けるための素質、すなわちは『魔素』を備えているのである。
人には知恵がある。そして欲深さがある。
思わざるを得なかったのだろう。
超常の力を、もしも思うままに操ることができたら?
自然と火から道具を作ったように、そこに『大きな力』があるならば、やはり探求せずにはいられない。人に『魔素』という素質が備わっていた時点で精霊力を用いた技術の発展も必然だった。
存在に宿るとされる魔素を精霊力と『結合』することで、人は制御が可能になった精霊力――『魔力』を手に入れた。
この魔力を用いた技術である『魔法』こそ、この世界で人間の覇権が揺るがないものになった決定的要因だ。
精霊力という世界そのものといっても過言では無い力を操っているわけだから当然なのかも知れないが、魔法は万能である。
魔法が無ければ水を毎日汲みに行かなければいけないし、畑仕事だって何人も使って何時間も作業しなくてはいけない。
狩りだってそうだ、もともと強靱な肢体な上、精霊力の加護を得ている動物にどうして小さな生身の人が勝てるというのだろう。
魔法こそ人間の強さの根拠だ。
英雄を目指すのなら人並み以上の魔法は必須と言っていいだろう。
と言うわけで、セオルはかれこれ半日ほど部屋に閉じこもっていた。
「ああ、くっそ! なんでだよっ! 魔力操作なんて親の手伝いより先に教えられるようなもんなのにっ!」
盗賊に捕まっていた間、一切の魔法の使用を禁じられていたとはいえ、その程度のブランクで日常的に出来ていたことが出来なくなるなんてありえない。
一時期は子供うちでも抜きん出てて、セオルの家の担当じゃない畑まで手伝わされていたほどだ。なぜかあるときを境に成長しなくなって、ついには追い抜かれてしまったが。
それでも魔力を石ころに流すくらい、素振りしながらだってワケないはずだ。
それなのに、
「どうして光らないんだよ……、頼むよ」
祈るように丸めていた両手を開いても、やっぱり中に納められていた淡い青色の光沢がある楕円の水晶が輝きを放っているなんてことはなかった。
「なあ、セオル。もっと落ち着いてやれよ。必ず出来るからさ」
今朝セオルに石をから成長の無いセオルを飽きもせずにみていたキセキ。
「だってっ! 魔力操作ができなきゃ魔法は使えないんだ。魔法が使えなきゃオレは……」
『夢』はもちろん、ただ生きていくことだって難しいだろう。
『それは証石だ。その石の魔素は変異を起こしやすくてさ、魔力をしばらく篭めるとその魔力を記憶して発光する性質がある』
手続きに必要だから先にやっとけとキセキに投げ渡されたものの、これがなかなかどうしてうまく行かない。
これが、ここまでの経緯だった。
「どうして、オレ、もしかしてほんとに魔法が使えなくなったのかよ」
顔から血の気が引いていく。
剣術や身体は鍛えられる。だけど、それらは魔法という人間のアドバンテージをより効果的に発揮するための補助でしか無い。
素の人間がいくら鍛えたところで獣の毛皮と筋肉を断ち切れるはずも無い。精霊力の加護が無い人間など、この世界で最も弱い生き物だ。
否応なしにこれからの人生を他人に依存することになるだろう。それは、盗賊に鎖でつながれることと、どちらが辛いのだろうと考えてしまう。
「だから力を抜けって、原因は分かってんだから」
やれやれといった具合で、部屋の端で椅子に座って静観を決め込んでいたキセキが立ち上がった。
「原因?」
「そうだ。証石はある程度の魔力を篭め続けなきゃいけない。いまのセオルの魔力が足りてないからいくら篭めても証跡が反応しないんだ」
「はあ? この石ってそんなに魔力が必要なのか?」
同年代に負けていたとは言えセオルだってそこそこは魔法を使えていた。
めいいっぱいやれば自分と同じ丈の丸太だって運べたのだ。こんな小さな石のくせしてが、それと同じだけの魔力を篭めても足りないなど、大食らいにもほどがあるのではないだろうか。
「ああ……、まあ、そうだな、なんて言っても手続きに使われるくらいだしな」
「そうか、なんだよ、もっと早く教えてくれればいいのに、てっきりオレ魔力操作ができなくなったかと思って焦ったじゃんか」
「悪いな、俺も知りたいことがあったんだよ、でももういいぞ、ちゃちゃっと証石を光らせようぜ」
にいと笑うキセキを見ていると、半日粘ってもどうにもならなかったのに、簡単なことに思えてくるから不思議だ。
「あのさ、でもどうやって?」
「結合だよ。知ってるだろう? 魔素と精霊力をくっつけて魔力を作るんだ」
もちろん知っていた。
普通は親が魔素に引かれてきた精霊力を外から魔力を使って閉じ込めて結合してやり、魔力を感じられるようになったら自分でやって魔力を増やす。これには上限があって、残念ながらセオルはとっくに魔力が増えなくなっていた。そのために上手に魔法を使えても他の子に追い抜かれてしまったのだ。
はたしてそれを言っていいものだろうか。
キセキがせっかく出してくれた案だ。もしそれがダメとなったら呆れられやしないだろうか。じゃあどうにもならんと言われて見捨てられやしないだろうか。
改めていまのセオルがなにも持っていないことを思い知る。今朝方あんなことを言っても不安はむくむくと膨らんで思いを誘惑する。
渋い顔をするセオルを、キセキは正しく見て取っていた。
「なあセオル。俺さ、この世界で『英雄』って呼ばれるようになった頃にさ、決めたことがあるんだよな」
柄に手を置いて、キセキは言うのだ。
「『譲らない』ってことだよ。俺が揺らげば、そこにつけ込むヤツもいる、不安に思うヤツもいる。だから俺は自分で決めたことだけは譲らないんだ。それが出来なきゃ俺は『英雄』に失礼だと思ったんだ」
誰よりも英雄たらん存在であること。
それこそがキセキの覚悟なのだろう。
それ故に、大英雄は生まれたのだろう。
「だから俺はお前を連れてくぜ? どうなったってさ。そいつが俺の決めたことだから」
「キセキ……」
言葉の重みは、信念の深さが顕れる。
このとき、この気高い大英雄が語った自身のあり方は確かな力強さがあった。だから、セオルは不思議だった。
どうしてその姿に微塵の儚さを重ねてしまったのか。
勘違いだって言われたらそうだと言ってしまうような些細な違和感だ。だけど、キセキに見てしまったものだからこそ拭いきれなくて、探るようにセオルは尋ねていた。
「キセキはなんで旅をしているんだ?」
突然の質問に、キセキは一瞬、息を詰まらせた。
それから、セオルから顔をそらし、窓の向こうへ視線を投げて答えたのだ。
「……知り合いに会いに行くんだ」
「……」
言葉を失うほどに、垣間見たキセキの眼光は鋭いものだった。
瞳孔の内に潜む感情と意思がどういう類いのものであるか察することが出来ないほどセオルは鈍感ではなかった。
「もういいか?」
不意のことで「えっ?」と声が上擦る。
「休憩はもういいかって聞いたんだよ」
「あ、ああうん」
振り向いたキセキは元の通り穏やかな青年に戻っていて、「しっかりしろよ?」と苦笑した。
それからセオルの前まで来ると額に指先を当てたのだ。
「なにしてんの?」
「魔力を増やしてんだよ。そういう話だっただろ?」
どうやらキセキはセオルの代わりに結合をやってくれるらしかった。
「あの、でも、ごめん。オレの魔力はもうずっとまえに増えなくなっててさ、だから……」
「いいからお前は証石に魔力を篭めろ。オレは出来るって言ってるんだぜ? なのにお前がやんないんだったらオレがバカだ。ほら、やって見ろ。出来るまでオレはやめないぜ?」
強引だ。
本気でセオルが出来ることを疑っていないらしかった。そこまでされてしまったら、セオルだっていろんなことを吹っ切ってやってみるしかない。
息を大きく吸って腹を膨らませ、ゆっくりと吐き出していく。
一番最初に教えて貰ったときの魔力操作の練習法だ。
息と一緒に腹の底から引っ張ってくるように、そしてその流れを捕まえたら両手の血流へ乗せて指先へ、そして証石へと。
いけ、いけっ!
念じながら、だけど焦ってせっかく作った流れが涸れさせてしまわないように集中して。
「……行け、いけ、いけ」
光れッ!
ぽうっと、初めて指先に灯した炎の魔法よりも淡く、証石は灯った。
「出来た、出来たっ!」
「まだだ、しばらくそのままだ」
ぴしゃりと言われ、慌てて唇を引き結ぶ。
それからしばらく、光は少しずつだが確実に強くなっていき、もう目を細めなければ直視出来ないくらいになった頃にキセキは「もういいぞ」と言った。
「な? 出来るって言ったろ?」
得意げなキセキの声が頭上が降ってくる。
「……うん」
セオルからすればそれどころでは無くて、返事も心ここにあらずだ。
出来たのだ。
あれほどびくともしなかった証石が手の中でこんなにも煌々としている。セオルからしたらいまこのときの証石は宝石よりも価値があった。
「オレ、まだ強くなれるんだな」
村にいた頃、恥も外聞も無く英雄になると宣言していたセオルを絶望させた出来事。それは、ずっと一番だった魔法で追い抜かれた瞬間だった。
それ以降、英雄になると言う度に『その魔力で?』とバカにされるようになった。
セオルが魔力の頭打ちを迎えるまで、村のみんなも『もしかしたら』を思っていたのかも知れない。だけど、セオルが普通の人より魔力が少ないことが分かった瞬間、村人の中でセオルは『ペテン師』になったのだ。
嘲笑が宿った人間の目が、それまでと全く変わると言うことをセオルは知った。
「涙目だな」
「う、ウルサいッ!」
からかわれて、慌てて目元を拭う。
「そうだぜ? こんなんで泣いてちゃ涙が足りなくなる。お前の運命はようやく動き出すんだから」
「オレの、運命」
そんなものが本当にあるとしたら、
「じゃあ、オレの運命はきっとキセキだ」
キセキに出会ってから、セオルは進み方が分かったのだから。
「……俺が、お前の運命か」
むず痒そうにキセキはもごもごと口を動かした。
「でもオレはお前をおんぶだっこするつもりは無いぜ? だからちゃんと従いて来いよ」
「どこ行くんだよ?」
歩き出したキセキを追いかけて横に並ぶと、彼は自分の首から掛けていた証石のはめ込んである金属の板を引っ張り出して答えた。
「手続きだよ。『傭兵ギルド』へ行くんだ」
「……そっか、そう言えばそうだった」
もともとそういう話であった。
いまのセオルには身寄りが無いから、とりあえず傭兵ギルドへ登録手続きをしておこうと言う話を今朝朝食後にしたのであった。
いつの間にか証石を光らせることが目的になっていてすっかり忘れてしまっていた。
「忘れてたのか? 暢気なヤツめ」
キセキにからかわれて、セオルは顔を赤らめてしまう。
「だって、本気で嬉しかったんだ」
こんな風に言い訳がましく言うのは、さぞかし子供っぽいのだろう。
一階まで下りると、ふとウエイトレスと目が合った。彼女はどうしてか、セオルに向けて笑いかけてきた。
愛嬌を振る相手ならキセキだろうに。分からなくて首を傾げると、そっとキセキに耳打ちされた。
「聞こえてたんだな」
「~~っ!」
言い宿だってあれだけ呻っていたら聞こえるに決まってる。
大失態だ!
今度こそ飲んだくれよりも顔を真っ赤に染めたセオルは早足で宿の外へ逃げていった。その後ろでキセキはニマニマしながらウエイトレスに挨拶したのだ。