エピローグ 序章
一夜が明けた。
雨は止んで、湿った匂いが森林の青さと一緒くたになって洞穴の中に流れ込んできていた。
今日を始める準備を心の中で済ませてから、深呼吸をして、セオルは目を開いた。
さあやるぞ。
今日からは全部を一人でやらなくてはならない。
一人で狩りをして、一人で飯を作って食べて、一人で訓練をして、一人で寝て、一人で起きる。
火の始末も、武器の手入れも、繕い物も全部一人でやるのである。
昨日までセオルは旅をしてきた。
セオルの旅じゃ無い、大英雄の終わりの旅だ。セオルはそれに従いて歩いただけのただの道連れだった。
大英雄は昨日のうちに、自分の決着をつけるために行ってしまった。
今日から、セオルは自分の旅を始める。
荷を締めて背負い、上からマントを着たらもういつだって歩いて行ける。
何処へ行こうにも今日からはセオルが決めて良い。
だから、セオルは行きたい場所へ歩きだした。
屹立する大岩を見上げてみたが、急勾配で登るとなれば大仕事になるだろう。転げ落ちたら骨を折るだけじゃ済まなさそうだ。
こういう場所は無理に行くんじゃ無くて入り口を探すのだ。
それは自然が作ったものの場合もあるし、先に来た人間がやったものの場合もある。
左にぐるりと回っていくと、ひゅるりひゅるりと音が聞こえた。
狭い道を風が通るこういう音が鳴る。
水が噴き出している場合もあるから聞こえたら探してみるといい、湧き水は美味い。
音を探って行き着いたのは、岩を裂くように空いた道だった。
道幅は人が三人並べる程度、左右には松明をさせる穴が一定間隔で削りだしてあった。
セオルは荷を背負い直して進んだ。
前から吹いてくる風に混じる砂にやられないように、フードの頭を抑えて前屈み気味に歩いた。風音が五月蠅いし、目までやられたら何かがいたときに相手をするのは苦労だ。
ばさばさとなるマントを靡かせて歩き続けたセオルは、ついに亀裂の終わりを見た。
くぐり抜けると、太陽が真正面にあって、眩む。
細目から慣らすように開いていって、広がった景色を視界に納めた。
本当に岩盤をくり抜いて作った土地のようで、周囲がはぐるりと岩壁が囲んでいる。
セオルの真正面には迎え入れるような広い階段があった。
岩をくり抜いた上に、こんな綺麗な階段まであつらえて建設には随分と手間が掛かっただろうに。
先達の苦労を労いながらセオルは進んでいく。
屋根が見えた。
よく見る三角屋根だが、サイズはそうはお目にかかれない。ウォールの傭兵ギルドよりも大きいだろう。
本当によく作るものだ。
最後の一段を上ると、神殿が見下ろす平らに整備した石畳が並ぶ敷地が広がっていた。
どんな意図があるのか、獣をあしらった大座付きの像が各所に建っている。
そのうちの一つ、鳥の像の台座に、青年が凭れかかって座りこんでいた。
そのもう少し先には泣き叫く金髪の少女と、神殿の階段に寝転がるように倒れている銀髪の少女がいた。
衣服が破れた彼女の身体と、右頬は赫に染まっていた。
「ごめん、クレア。先にキセキの方に行かせて」
謝ってから、セオルは鳥の像まで歩いて行った。
その前には真一文字に亀裂の入った大剣の切っ先を地面に着けて呆然と空を仰ぐ男がいたが、セオルは無視して行きたい場所まで行った。
どうせ見えちゃいないんだ。
あの男にとっては大事な人間は全部この中にいるはずだから、外から来たやつなんて見えちゃいない。
「キセキ、まだ生きてる?」
脇にしゃがんで呼びかけると、青年は生き返ったかのようにぴくりと動き、霞んだ目を開いた。
「ぜ、おる、?」
腹部から血がしとどに流れている、もう長くはないだろう。
「ど、じて、だ」
「ここがオレの旅で一番最初に来たい場所だったから」
セオルの旅の始まる場所があるなら、それは憧れた背中の隣からしか考えられなかった。
「決着はついた?」
問いかけると、青年はこの様だと言わんばかりに薄く笑った。
「そう、なら――」
セオルは冷たい彼の手を握った。
「―ーなら、オレに全部ちょうだい」
ああそうとも、セオルはここに強請りに来たのだ。
キセキは最初からセオルの全部を背負ってくれていたから。
だから、セオルはキセキが最後まで自分で持って行こうとした全部を背負うためにここへ来た。
「……い、のか?」
「うん、オレが全部持って行くって決めたから」
にいと、青年が笑った。
それから、残りっかすしかなかった最後の一つを振り絞るよう右腕を上げて、セオルの肩に回した。
力はそれ以上ない、でも意図は分かるから、セオルは自分から身体を寄せ、キセキに抱かれにいった。
それは、セオルとキセキが交わした最初で最後の抱擁だった。
全部持って行け。
連れて行ってくれ。
「……う、ん」
ああ待て、泣くな。
英雄の道を行くって決めただろうが。
歯を食いしばって、セオルは耐える。
「いち、すじ」
壱閃。
『閃の勇者』のもつ細刀の柄にキセキの世界の言葉で刻まれた銘。
白い輝きは闇にあってなお輝き、振るえばたちどころに光が差す。
その細刀がある場所こそは光指す場所、英雄の在処。
「うん、ありがとう」
セオルが囁くのを聞き届けたか。
青年は、セオルの肩に頭を預け、それからは動くことは無かった。
『閃の勇者』が、セオルの腕の中で、ついにその偉大な叙事詩に幕を引いたのだった。
ここからは、英雄の叙事詩のはじまりだ。




