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英雄の叙事詩  作者: yu-in
25/31

英雄の軌跡


 雨が降りだした。


 三人は森を抜けて洞穴で身体を休めていた。

 そこが一番近い身体を休められる場所だったし、懸念していた霧に紛れた危険はアンフィルに帰って行ったから。


 洞穴まで会話は無かった。

 歩いて来たのも、キセキが歩き出したのに、なし崩し的に従った結果だ。


 そのキセキは、洞穴に入る直前に倒れた。

 なにかを言おうとして力がない黒瞳にセオルを映し、糸が切れるようにキセキは泥の中に倒れて伏したのだ。        

 駆け寄って起こそうとしたセオルを突き飛ばし、クレアはだらりと腕を垂らすキセキを洞穴の奥まで運んだ。


 クレアはセオルに火の準備と獣の警戒を命じて一人でキセキの処置をした。

 まるで、セオルから少しでも離そうとするみたいだった。


(オレがキセキをあんなになるまでボロボロにした)

 アクツの言った事がずっと頭の中で響いている。


 全部テメーのせい。

 全部、セオルのせい。

 キセキをこんなにしたのは、全部セオルが原因。


「なんだよ……、なにがおきてんだよ」 

 良くないことはとっくに起こっていて、なのに、セオルはそれをなんにも知らない。

(ああ、違う)

 無知なら幸福でいられた、今朝までのセオルがそうだった。キセキの身体を知りもしないで自分が楽しくなるやりかたばかりを考えていた、最低だ。

 分かってしまえば、旅の間にちゃんとヒントは拾っていたはずなのに。


『この旅はキセキにとっては終わるための旅になったのです』


 ウォールで支部長とクレアが話していた。

 ()()()()()とは、()()()()()()()()()()だったのだ。


 この旅の結末は、キセキが仇敵(アクツ)を討つことから変わってしまった。


 セオルと出会ってしまったから。


 クレアはこうなる未来が分かったからセオルの首を絞めた。知らないヤツと歴戦を供に踏み越え、忠誠を誓ったパートナーを天秤に掛けたら結果なんて秤から手を離す前から分かりきっている。


「でも、なんで、オレは出会っただけじゃないか」

 キセキは英雄だ。

 それが一人じゃ死ぬだけだった盗賊の奴隷と出会っただけで脅かされるなんて、そんなバカな話が合ってたまるか。


「オレがいったい、なにしたってんだよ」


 もうすぐ旅は終わる。


 決断をしなければならない。


 セオルはそのことをようやく意識した。

 ウォールの道で先に延ばした選択に現実感を持った。    


「しっかりなさいっ! キセキッ」

 

 クレアが呼びかける声が洞穴の奥から響く。

 駆けつけていって一緒になって呼びかけてやりたかった。だけど、それすらもセオルがやってはいけないことなのだろう。


 この旅の間にセオルはたくさんのことが出来るようになった。

 魔法も剣も、村で暮らしていた内は知らないでいた世界のこと。


 セオルは旅の間に随分成長したと思っていたのに、

「オレは、どうしたらいいんだよ」

 泣きべそを掻きながら頭を抱える現実は、旅の始まる前とまったく同じだった。


「教えてくれよ、キセキ……」


 獣を仕留めるやり方を教えてくれたように、歩き方を教えてくれたように、くっだらない冗談で笑かすやり方を教えてくれたみたいに。 


 ずっとそうしていた。

 雨は降り続けていた。



「頭の悪い子、火を熾しておきなさいと言ったのに。顔が真っ白ですよ」


 クレアだった。

 外套はキセキに使ってやったのだろう、銀髪も金眼も薄暗闇に露わになっていた。

 彼女だってあの恐ろしい魔女と戦って疲れているはずなのに、弱音もグチもいわず働き続けている。


「……キセキは?」

「薬を使って何とかしました。今日死んだりはしないでしょう」


 薬まで準備していたのか。

 本当に周到で賢い人だ。


「ねえ、オレがどんな悪いことをしたんだよ。教えてよ、なおすから」

「あなたは悪いことなんてしていません。もし罪の在処を問うなら、それはわたしにこそあるでしょう」


 かっとなった。

 クレアはいつもそうだ、もったいぶって意味深な言い方して、肝心を全部黙っている。みんながクレアみたいに出来たりはしないのに。


「ああもう、なんだよっ! とっくに分かったんだ。オレなんだろ! オレのせいでキセキは苦しいんだ! 教えてくれなきゃ、選べないじゃんか。どうやって比べたら良いか、分かんないじゃんか……」


「……申し訳ございません」


 ヒドイ女だ。

 自分がキセキを看ているときにサボって座ってて、おまけに癇癪を起こしたセオルを叩きもしない。キセキを大事にしているクレアが倒れた彼を見て、セオルになにも思わないはず無いのに。

 こういうときこそ、よく切れる彼女の口周りの良さでこてんぱんにしたら良いのに。


 セオルはますます一人の世界に閉じ篭もった。

 クレアは一人で火を熾して、キセキの様子も見て、夜を守った。


 意固地になったセオルは彼女が近くにいる間は絶対に顔を上げなかった。せっかく準備してくれたスープにすら手をつけなかった。


 空が白んできた頃だ。


「よう……」

「あっ……」

 一睡も出来なくて乾いた目が、かあと、熱くなった。


「キセキ……」


 セオルを見下ろすキセキは、十年は年を取ったみたいに老けていた。

 かさかさに乾いた唇で、キセキは言う。


「わりいな、こんなことになって、まいっちまうよなあ」

 白髪の交じった髪を掻く。


「もう、やめてよ」

「でも心配いらないんだ、約束する、もう倒れたりしない。目的地はすぐだ、あそこに見えるだろ? でっかい岩、あれの真ん中が社になってんだぜ? スゲーよな」

 落ちくぼんだ目を線にして、不格好に笑った。


「やめろったら!」


 もう見なきゃいけないことはちゃんと見えている。誤魔化されたりするものか。 

 以前のようにセオルと同じだけ食わなくなったのも、よく寝過ごすようになったのも、全部身体を悪くしていたから。

 セオルは頭が悪いから気付けなかっただけで、キセキはずっと無理を押してきたのだ。

 キセキは、セオルをずっとよく見てくれたのに、セオルは自分ばかりだった。


(そっか……)

 じゃあ、そうだ。

 セオルが選んだりするのは間違いなんだ。

 もともとこの命さえキセキに拾われたんだ。

 じゃあ、もう(これ)だってキセキの自由にしてくれて良いじゃないか、キセキが望んでくれれば、そうとも、セオルだって怖くても納得できる。


「ねえキセキ、決めて良いよ。オレは言われたとおりにする。だから、全部決めてよ」

 これが大正解だ。


 確信して、言った言葉は、


「――本気で言ってんのか?」


 キセキを激怒させた。


 がっ、と胸ぐらを掴んで、セオルの身体を引っ張り上げる。

「や、やめろ! オレに触ったらダメなんだろっ!」


「るっせーッ! 関係ねえんだよッ!! おいこら、てめえ、今のコトバ本気で言ったんなら許さねえぞ、だってそいつは裏切りだ。お前と歩いたこの旅も、託したことも、出会ったことも、お前は裏切ったことになる! 心は何処を向いている? てめえはなんて答えた!? 俺はお前にだったらって……」   


 キセキはセオルが間違えても一度だって怒ったりしなかった。笑って、ときには一緒に泥だって被ってくれた、そういう人だった。

 そのキセキが歯を剥いて初めてセオルに憤りを露わにしたのだ。


「止めなさいキセキ、全てダメにしてしまいますよ」

 クレアに諫められてもキセキは拳を解こうとはしなかった。

「キセキ」

「……分かってるさ」

 もう一度呼ばれてから、突き飛ばすように、セオルは解放された。

 見上げたらキセキがどんな顔をしてるのか見るのが怖くて、セオルは地面をじっと睨んでいた。


「……なあセオル、もう随分いろいろ覚えたよなあ」

「……」

「お前を見つけてから随分経ったもんなあ」

「……重要なことは教えてくれてない」

 一番最初になにも強請らないって決めたのはセオルなのに、いまは、キセキが黙っていたことが悔しくて仕方なかった。

 セオルとキセキは一緒の旅路を来たのに、セオルだけがお気楽だったのだから。


「そう、だよなあ」

 飲み下すような口調で、キセキは言う。


「言わなきゃいけなかったんだ、ウォールで。クレアだけを悪者にしちまった」

 そのつもりはあったのだろう。

 少なくとも、気づいても良いとは思っていたはずだ。クレアと二人きりで行動させたのだから。   


「欲が出ちまった。まだ、お前と笑って旅をしていたかった」

「えっ?」

「楽しかったんだよ、お前との旅が。お前はきっといま、自分が最低な存在に思えてるんだろう。でも俺に言わせれば違う。ずっと殺すことだけが目的だったオレの旅は、お前のおかげで、渡してやるための旅になったんだから」


 戦うことを続けてきたキセキにとって、それがどれだけの救いだったか。


 痩けた顔で幸福そうに、キセキは微笑み、

「聞いてくれ、セオル。これから話す事が真実だ。もしかしたらお前はオレの事も嫌いになるかもしれない。でも、最後まで聞いてくれ、そして、話し終わったそのときが――」


 宝箱に蓋をするような顔で、キセキは、最後まで言った。


「――『旅の終わり』だ」



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