英雄と黒い嵐⑤
アクツは至近距離の爆発に備え、魔力装甲を高めた。
さあ、どう反撃しようか。
これから襲うであろう腕をもがれるという激痛は、無視していた。そんなことよりどう斬って、どう斬られるのかを考えていた方が楽しかったから。
楽しみはまだまだ、これから。
そのはずだったのに、肩すかしを食らった。
「……はあ?」
白光を放出し、いまにも爆発しそうだったキセキの《魔力炸裂団》の魔力の光は薄れていって、とうとうキセキの魔法は不発で消えてしまった。
「おいおい、なんでだよ、シラけんじゃんねえかよどういうこったよっ! ビビッたってのかよっ!」
噛みつくようにアクツが怒鳴る前で、キセキは、倒れた。
「はっ、おい、なんでだよ、俺はなんもしてねえだろ、どういうこったよっ!」
斬ってないのに倒れるなんて、意味が分からない。
これじゃあズルだ、ズルしたって楽しくなんてなれない
「やっぱ病気じゃんか、バカ。……っておい、なんだこりゃ」
すっかり戦う気が失せ、帰る素振りを見せたアクツが、ふと、自分の服に触れた。
指先でヌメリと光ったそれは、血だった。
「おい、まさか……」
アクツのものではなかった。斬られた箇所はそこまで深く出血していない、絶妙に装甲を抜ける分だけの魔力ををキセキは使ったのだろう。
じゃあ、この血は誰のだ? キセキのだ。
アクツが肩を掴んでひっくり返したキセキの口元には、吐血の跡があった。
「そんなわりいのかよ、うわあどうすっかなこれ」
再戦が出来なくなったらどうしよう、そんなのは困る。
アクツの頭の中にはそんな事だけがあった。
その光景は、セオルからしたら絶望そのものだった。
キセキが敗北した。
キセキが殺されてしまう。
そう思ったときに、セオルの恐怖で冷え切った心に炎が灯った。
勇気をふるい、魔力を練り上げていく。
「キセキから離れろバカッ!」
上擦った声が出た。
向けた剣先は震えていた。
勝てっこないのは分かっていた。でも、見て見ぬ振りはできなかった。キセキはセオルを救った。なら、セオルだってキセキを見捨てない。
「ああ?」
キセキと同じ色をしてるのに、アクツのは冷えた鉄みたいな眼光だ。
「どういうこったこら、だれだてめえ、その魔力はなんだってんだ」
睨んでいるくせに、戸惑ってもいるようだった。
どうしてだが既視感が湧いた。
そうだ、セオルがこういう眼を向けられたあとは、必ずその誰かは何かに気づくのだ。
「あっ? つまり、そういうことか?」
アクツも例外ではなかった。
「おいっ!」
セオルが止めるのも聞かず、アクツはキセキの上着をめくり上げる。
晒されたキセキの肌は、炎症のような爛れと黒い斑点とで埋め尽くされていた。
「な、なんだよそれ?」
「チッ、やっぱテメーのがイカレだバカキセキ」
舌打ちをしてアクツは立ち上がったのだ。
「なにもへったくれもあるかよヒル野郎、こんなになるまでキセキの魔力を吸いやがって」
「……はっ?」
いまこの男は誰が誰の魔力を吸ったと言ったのだ?
「だから全部テメーのせいだって言ってんだよ脳天気。この世界は精霊力ありきの世界だ。空気にだって精霊力が力を貸してやってんだから、それ吸って生きるにはこっちだって精霊力で身体が強くなってなきゃなんない。そのための力をテメーがキセキから盗っちまったから、……キセキはこんなだ」
よく見ろと、アクツがキセキを指す。
青白い表情で息は浅い、こふっと咽せて血を吐いた。
あまりに弱々しい姿。
セオルの中にあったキセキは絶対だという自信が、音を立てて崩れていった。
出会ったときのキセキはこんなだっただろうか。
もう一回り大きくなかったか? ほっぺただってもっと赤みがあったはずだ。
「なんで、だって、オレ、なにもしてない、出会って、一緒に旅をしただけで……」
「ああ、ホントにむかつくなウジ虫。ずうずうしくキセキにひっつきやがって。そいつが一番キセキを腐らす原因だってのによお!」
なんだ、どういうことだ?
出会ってもいけないってなんだ?
セオルは自分をよく知ってる。
田舎の村で生まれて英雄になるために一人で訓練して、でも村を焼かれて盗賊の奴隷にされて、キセキに拾われた。
セオルはこれだけの人生しか持っていない。
まだ自分でやった劇的な英雄譚の一つも持っていない。
まだ、叙事詩を始めてもいない。
それなのに、どうしてセオルの知らない事をセオル以外の誰かが知っているのだ。
気味が悪い。
頭がくらくらする。
自分が否定されて壊されていく気さえした。
「てめーはさっさと死んでたら良かった。しぶとく生き延びやがって」
心底汚いものを見る目をして、アクツはセオル見下していた。
「さんざんにキセキを苦しめやがって、死んじまえ」
大剣が振り上がる。
セオルに抵抗する気力は無くなっていた。
魔力もとっくに解いていた。
セオルがキセキをあんなにしただと?
なんにも出来ない、ただ生きていただけのセオルが、たったそれだけしかしていないセオルが。
「おれは、生きてちゃいけないの……?」
生きることすら許されないとしたら、なんで生まれたというのだろう。
「……テメーこそ死ね」
バスッ
魔力の弾丸が後ろからアクツを撃った。
威力が無いそれでは、アクツの魔力装甲を抜くことはできなかった。
つづけて、
バスッ
今度は頭に当たる。
「止めんなよ。俺はキセキを助けたいんだぜ」
「ハッ」と、キセキはよろけながら立ち上がる。
「気色悪いんだクソ野郎。俺はテメーなんか大嫌いだ。そいつを殺させるもんか、そいつこそが俺の見つけた運命だ。テメーにはどうせ十回死んだって分かりっこねえ」
バスッ
「こっち向けオラ、戦ってやるよ、今すぐ俺の命を全部使って今度こそテメーの首を地獄の底まで落としてやる!」
ぎらぎらと、餓狼のように光る眼でキセキは剣を鞘に納めて腰を低くした。
それを見て、アクツは思いっきり顔を歪め、めちゃくちゃに髪を掻き毟った。
「……ああ、クソッタレ、クソッタレめ! なんでこんなうまい事いかないんだ! キセキは英雄だから、いっぱい救ったんだから、一個くらい自分のために使ったって誰も文句言わないだろうがっ!」
「その一個が俺を英雄にしたんだ。捨てるもんか、そいつだけは絶対に」
二人の言葉は平行線だった。
「そいつが死んだ瞬間、俺は英雄じゃ無くなる、それで答えだ。さあ、掛かってこい、殺してやる」
チキキ
鞘から細刀が覗く。
アクツは、さんざん苦悩で七面相してから、呻いて大剣を背中に戻した。
「やるもんか、そうだとも、最初からそうしようと思ってたんだ。やるならアンフィルでだ。そこに来たらどんなになっててもやる。殺すか死ぬかするまでやる。キセキが変わっちまうってんならもうそんなチビ知らねえ、勝手にやれイカレ」
「俺は帰るからなあアリス!」と肩を怒らせ、来たときと同じように勝手決めて唐突に『黒鉄の勇者』は去って行った。
「あ、まってアクツ、もうやっぱり勝手なひとっ! あの、姉さま、きっとアンフィルに来て下さいますよね。今度はきちんとお茶を用意して待ってますからっ!」
高い声をきいきい森の中に響かせて、『命赫の魔女』もいなくなった。
残った三人は全員が疲れ切っていた。
身体も、それ以上に心はもっと。
まるで嵐に巻き込まれて荒らされたみたいだった。




