英雄と黒い嵐④
なにが起きているのだろう。
セオルは、震えていた。
唐突に始まったいまのセオルには遙か高みの闘いは割って入れるようなものではなかった。彼らはみんなセオルなんて簡単に殺してしまえることを、いやでも実感していた。
だけど、それを見ている事に恐怖しながら、興奮も覚えていたのだ。
セオルはまさしく、叙事詩に相応しい一幕にいる。
でもセオルが居たかったのは、英雄の叙事詩の中だ。
物語の主人公は居なくなったりしない、叙事詩とは英雄が活躍する物語、主人公はもちろんキセキだ。
なら、どうしてこうなっているのだ?
「アリスのヤツ良かったなあ、ずっと言ってたんだ。姉ちゃんに会いたい姉ちゃんに会いたいって、つかアリスの姉ちゃんスゲーな、アレ」
大剣を担いで、クレアとアリスの闘いを見ていた、アクツがしみじみと言う。
「それに比べて……」
アクツは眼を正面にやった。
そこにいる男は、アクツが親よりも大事にしている親友だ。
ずっと待ち望んでいたはずだった。会えることが楽しみで楽しみで、飛び出してきてしまうほどに焦がれた相手だった。
それなのに、
「なあ、おまえさ、なにやってんだ?」
その男は、キセキは、アクツの前で膝を突いていたのだ。
まるで本気で戦って、力尽きたみたいに。
アクツはずっと本気でやってなかったというのに。
自分で言ってたみたいに、ここじゃない場所で戦いたいのだろう、ずっとニヤニヤして、アクツは斬りかかったキセキを猫がじゃれてくるのをあしらうみたいに払っていた。
でも、キセキはずっと険しい顔で戦っていた。
キセキが本気でやっていたとしたら、二人の力量差は偶然で覆ってしまえる程度のものでは無い事になる。
「キセキ? あーあのな、冗談だよな? だって、前はそうじゃなかったろ?」
それについてはセオルも同じ気持ちだった。
一撃は軽い、魔力も脆い。
キセキはそんなもんじゃ無いはずだ。
剣は疾く、魔力は鋭い。
あの細刀の主にふさわしく、むしろ細刀こそがキセキを武器として具現したかのような力を持っていたはずだ。
「おい、どうしたんだよ、具合わりいのかよ、しっかり休んだ方が良いぜ?」
キセキの姿にアクツも乗り気じゃ無くなったのだろう、案じるような事を言い出した。
「俺、アンフィルで待ってっからさ、元気になったら来いよ? な、殺し合うならその方が楽しいだろ?」
どう言い聞かせたものか言葉を選びながら、アクツが宥める。
セオルはこの男は悪いヤツだと決めつけていた。なにしろキセキの敵なのだから。だけど、もしかしたら話が通じるのかも知れない。
そうしたらキセキは戦わなくったって良くなる。そうなったら焦って旅もしなくていい、また、楽しく旅が出来る。
そう思えばこそ、セオルは棒になっていた足を、前に出していた。
「あのっ――」
ぎいぃい
ひゅっ、と息を呑む。
なにも見えていなかった。だけど、魔力の残滓が横を通り過ぎていた。
目の前にはキセキの背中。
守られたのだと理解した。
「あっこら、だめだろキセキ。急に動いたりしたらさ、病気のときは身体を温かくしてご飯食って寝るんだ」
こんなことを言う人間に、たったいま、直前に、殺されかけたというのか。
「こういうやつだよ。自分が知らないやつなんてどうなっても良いんだ」
なんだそれは。
セオルだって知らない人がどっかで死んだと聞いても感傷的になったりしない。でも、なんの躊躇も無く、殺しに掛かるなんて別の話だろう。
どうして、セオルが、いまのいままでなにもされなかったのか。
アクツは一度だってセオルを見ていなかったからだ。
キセキ達といたからそこに居る事を知っているはずなのに、存在として認めていなかったのだ。
こんな恐ろしい事があるだろうか。
アクツは力を持っている。
虫を払う感覚で自分の世界に入って居ないものを認める前に消してしまえる。罪悪感など感じる根拠は何処にだって存在しない。
ああ、だからこんなにも無邪気なのか。
「コイツだけは俺が持ってかなきゃいけないんだ。あんなふざけた野郎はお前の道に残して置いちゃいけないんだ」
キセキが細刀を握り直す。
「ああもう、言って聞かないやつを説得できるほど俺は器用じゃ無いんだ。向かってくるならケガさせっからな、しらねえからな」
イヤイヤと言った風に、アクツは大剣を構えた。
「キセキ……」
「任せとけ、そうだな、ああそうとも。出来るとも、やってやる」
自分に言い聞かせるようにキセキは言う。
はあと、息を吐き、キセキは駆けた。
剣は下げて、指先の照準をアクツへ合わせ、唱える。
「《魔力貫通弾》」
セオルに教えたそれと違うのは、人差し指を回るように複数の魔力弾が一度に生成されたリボルビング式であること。
「らあっ!」
続けざまに三発、アクツに向けて撃つ。
牽制の弾丸を、
「脆いんだよ!」
ガントレットが一蹴して払いのける。
そこへもう一発。
眉間の軌道を狙った弾丸を、アクツは顔を回して避けた。
「ああ、ちくしょお、当たってもたいしたことねえはずなのに避けちまう、やっぱ前が最高すぎたんだ。まだ身体が忘れたがらねえんだから」
思い出したのだろう、にいと笑った。
「なあ、楽しかったよな」
ぐるり、眼球が回って低い姿勢で切り込んでいたキセキに向く。
「最低だったよクソッタレ!」
ぎいん、切り結ぶ。
狙ったのは大剣の柄直上、重量武器の大剣の破壊力を殺せる部位。
「なにより、てめえが生きてたことがだっ!」
「はっはっはっ! さっきより良いぞ! 元気になってきたか!?」
力で負ける事を嫌い、キセキは直ぐに細刀を引いた。
《魔力貫通弾》を撃ち込んで隙を埋め、反撃を許さず別の角度から果敢に斬りにかかる。
アクツはソレを大剣をこまめに操り防いだ。
三回もすれば、アクツも馴れて、キセキが撃ち込んだ弾丸を避けなくなった。
アクツの魔力の装甲なら避けるまでも無く、いまのキセキの弾丸程度の魔力なら上回って打ち消せるのだ。
その驕りこそが、狙い目だった。
次の一太刀。
「おらあッ!」
ここぞとアクツが振り下ろした大剣を、キセキは細刀を傾けて流した。
ギリリ、地面を割った大剣の後を追うように、キセキは空いた手に魔力を集め、刀身に指を滑らせて纏わせる。
「見せてやるよ、嬉しそうに言ってやがったからな」
「――ッ!」
アクツが大剣を寄せて守りに入った。
「無駄だ、防げるもんか!」
両手で細刀を握り、逆袈裟の軌道、踏み込んで、――鋭く振る。
飛ぶ斬撃。
大剣には魔力を集めて防げても、覆いきれなかった右肩と左大腿に裂傷が奔った。
アクツにとって威力がたいしたこと無い魔力貫通弾に馴れたことが、とっさに強化した魔力装甲にも影響していた。
密度を高めたキセキの細刀の刀撃を通してしまえるくらいに、薄くしか張れていなかったのだ。
傷を負って、アクツはむしろ嬉しそうだった。
「はははははははっ!! ああ、やっぱりキセキだッ!」
魔力が迸る。
黒い旋風が吹き荒れる。
『黒鉄の勇者』としての本性が今こそ露わになった。
さあ、次はなにをしてくれるんだ?
期待し、興奮するアクツとは対象だった。
「わめくなイカレ野郎、じゃねえと綺麗に飛ばせねえだろ」
抱擁を交わす距離まで寄ったキセキが、アクツの右肩に手を置いて、ぞっとする声で耳元に囁いたのだ。
てめーの右腕をな、と。
飛ぶ斬撃に使ったのは特別な魔力だった。キセキが斬った裂傷跡は、魔力装甲が回復していなかった。
とっくに準備が終わっていた。
このときを整える事を考えて最初から段取りしていたのだろう。
キセキの手には既に魔法が完成していた。
《魔力炸裂弾》
着弾した場所で魔力を暴れさせ爆発させる魔法。
暴走させる魔力を押さえる魔力という矛盾要素を孕む以上、遠くから撃てば多くの魔力を篭めなくてはいけない。それだけの魔力を内包すれば、魔力を感知できる能力がある限り当たりっこない。
当たれば、大威力の迫撃魔法。
それを、極至近、接触距離でキセキは使おうというのである。
「イカレはお互い様だろうが」
この距離、そんな魔法を使ってみろ、アクツは右肩が吹き飛ぶだろうが、顔も首も魔力装甲で覆っているから死なない。まだ戦える。
だがキセキはどうだ?
そんな薄っぺらい装甲で果たして爆発を耐えられるのか?
撃てやしない、まともだったら。
だが、キセキなら撃つ。
アクツはそれを知っている。それができると、信頼している。
だからキセキでなくてはいけないのだ。
キセキでなくては満足いくまで殺し合えない。
(いいぜ?)
凄絶に笑い、アクツは促した。
病気だとナめたツケだ、くれてやる、そしたら続きだ!