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英雄の叙事詩  作者: yu-in
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英雄と黒い嵐③


 もう一つの戦いでも、攻防は続いていた。


 クレアは攻撃を防ぐことを嫌う。

 限られた魔力しか持たない彼女が十分な魔力を持った攻撃に触れようものなら、ただごとではすまないからだ。

 そのために彼女は身軽さを好み、短剣すら致命攻撃を狙えるときにしか使わない。

 

 最小単位の《部位魔力強化》を用いた体術、それこそが、魔力を失ったクレアが出来る闘いだった。


 端から見たらふざけた戦闘風景に見えることだろう。

 力の流動を理解したクレアにしか分からない、それぞれが理に適った攻撃の体勢、回避の体勢。

 剣術の型のように、決まった動きにいちいち立ち戻るクレアは、なにも知らないものが見れば酒を呑んで闘いに来たと思うだろう。


 相対して、打擲を受けて、ようやくに、その脅威に気づくことが出来る。


「ねえさまッ!」

 呼びかけに答えず、クレアは足を突く。

 腰の動きから螺旋を掻いて繰り出したアリスの胸部に沈んだ掌底は、打ち終わりには逆側に伸びた掌とで線を結んだ。

 どおうと、女の腕から出たとは思えない衝撃音。

 力の誘導と、反作用で身体にかかる負担を軽減するという意図を、武器を振り回すことこそが闘いと捉える人達がどうして理解できよう。


 それで終わりでは無い。


 逆手に返った力を掬い上げるように拳を握り、旋回の動きで振り子の遠心力を乗せて、魔女の顎下を目掛けて『撃つ』。

 一片の無駄の無い動きで体内を流点した『力』という弾丸が、掌底から繰り出されるのだ。

 

 自身の腕の長さを正確に知らなければ、遠心を最大に行かせる位置には立てない。そこへ速やかに移動し、また最適のタイミングで力を引き上げて有効な術として成立させることには並々ならない練武が必要だったはずだ。

 この武技もまた、クレアが劣等を覆すためにやった努力が結んだ力だった。


 クレアにミスは無く、先の強撃で身体の自由を奪ってから撃ったこの拳は入って当然の一撃だった。

 脳と垂直関係にある顎下からならば、クレアの放つ力の弾丸は硬い頭蓋で守られた、鍛えようも無いその中枢へ正確にダメージを与えられる。出血を起こせば立ってはいられまい。


 しかし、だ。


 この世界では精霊力の恩恵は絶対だ。

 世界を廻す力が、どうして人の努力で踏み越えられよう。


 並の人、獣ならばクレアの努力は踏み越える。けれども、アリスは、『命赫の魔女』は精霊力に祝福された英傑だ。


 クレアの拳を、アリスは両手で包み込んで止めていた。


 初めの掌底から、届いてはいなかったのだ。

 理不尽なまでに隔絶した魔力の格差は、クレアの努力の一撃をものともしていなかった。


 そして、アリスは無邪気で狂気染みた笑顔のまま話を続けるのである。


 それでね、姉さま、と。

 

 攻撃されたことを攻撃されていたと認識してすらなく、クレアが自分の思うとおりに話を聞いてくれているのだと信じて疑っていない顔で。


「あなたは、ほんとうに……っ!」

 呻くように言って、クレアが腕を解いて距離をとる。


「あら、姉さまどうしたの? 怒ってらっしゃるみたい。お茶が無いからかしら?」

 こてんと、愛らしく首を傾ぐ姿に、クレアは呻くように、押さえつけるような震える声で言った。

「わたしの怒りが分かるのなら、あなたはナレイブでシルヴェルトの人々にやった非道を思い起こすべきです」

「はあ、姉さまったらまた言ってるわ。それは姉さまの誤解だって前にも言ったのに。わたくしはみんなにヒドイことしたりしてないったら」

 ぷくうと頬を膨らませてアリスは腰に手をやって抗議した。


「わたしはね、命を上げたのよ?」

  

 笑う、嗤う。

 空虚で空っぽで伽藍堂。

 意味なんていらない、これはこうだからこう。決めつけて掛かって、それ以外はなにも受け取らない、孤独で完結した歪体。

 金髪を掻き上げて右の額の烙印を押さえつけると、アリスは「だって」と続けた。


「――だって、弱かったら生きていないのよ? 命はね、強い者しか持っていないんだから」


 それが何よりも大切な事であると、彼女の中で決まってしまっている。

 そのためならなんだってして良いと、本気で思ってる。

 紅眼の奥は雲泥のように凝っていて、映したものを受け取らない。


「ナレイブじゃみんな命を持ってなかったからわたくしは可哀想に思って命を上げたの。だって、この力はそのためのものでしょう?」

「違う、わたし達が与えられたそれぞれの力は外法だったとしても、その目的だけは崇高だった。罪を引き受けても責任を果たすためだった!」


 吼えるように、クレアは糾弾した。

 きっとやり取りは前に交わされたことがあるのだ。

 クレアが叫ぶのは自分の言葉が届かない事が分かっているから。それでも割り切って捨てられるほど、かつて妹として扱った少女に非情になりきれないから。


「だからそうしたの。みんなを助けてあげたの、命を上げたの、祝福だってしたのよ? 命を持てておめでとうって」

「呪いの間違いでしょう」

 クレアが切って捨てると、アリスは癇癪を起こした子供よろしく地団駄を踏んだ。


「どーして分かってくれないの? 姉さまったらいじわるだわっ!」

「それが正しいというなら、わたしにだって同じ事をしてみなさい!」

 クレアが踏み込む。

「なにを言ってるの? 姉さま」

 繰り出された蹴刀を甲で受け、アリスは茶会で冗談を聞いたみたいにくすくすと笑った。


「必要ないわ、姉さまは強いもの。わたくしよりもずっとずっと、昔からそう。何でも誰より上手にやった。サンクトアに攻められたときだってたったの一人で引き受けてわたくしたちを逃がしてくれた、ずうーっと忘れたりしない」


 熱の篭もった目で賞賛しながら、アリスはクレアの全部の攻撃を防いでいた。

 クレアを讃えながら、クレアの全部を踏み躙りつづけた。


 アリスは一つだって自分では偽っていなかった。

 心の底から信じて疑っていない、だから、クレアに一度として攻撃を仕掛けたりしない。

 これだけ力差が明白でも、なお自分なんかじゃ適いっこないと、記憶の中のクレアに盲執している。


 これが『瞬銀の姫』と()()()呼ばれたクレアと、戦時に現れた『命赫の魔女』ことアリスの真実だった。


 二人は匹敵なんてしていなく、捻曲がった勘違いがあるだけだった。


「どこまでも救えない子」

 言葉は響かず、技は通じず、想いも届かない。

 これで心が折れない不屈を備えた戦士がどれだけいるだろう。


「だから、わたしがっ!」


 クレアだから屈しない。

 信念のために努力を続けた彼女だからこそ、どれだけの侮辱や屈辱さえ噛みしめて踏み越えてきたからこそ、その高潔な精神だけは誰にも侵せない。


 それこそが、キセキすら仰ぎ見る彼女の真の強さだった。


 再び懐まで、一息に潜る。

 足を地面に突き刺し、螺旋を巡らせ、身体の負荷を逃しきれない事を覚悟で起爆剤のように魔力を爆発させ、掌底を繰り出す。


 さらに、

「顕れなさい」

 クレアの持つ少ない魔力の中でも希少な特化魔力を練り上げ、喚ぶ。


 虚空、クレアの正面に白い杭が現れた。

 キセキの白地の細刀と同じ材質、鋭利さを備え、クレアがギリギリ一本だけ魔法による収納が出来るサイズの、クレアだけの切り札。


「うぅっ!」

 発声で筋肉が緩んで力の線に乱れが出ないように、だけれど、急激な魔力消費による酔いをこらえるために、クレアは唸った。


 掌底が杭の尻を捉え、更に、神業じみた最速の練り上げで杭に魔力が流れ込む。


「ねえさ……」

 紅眼が見開く、


 アリスの真っ赤な掌が交差した。

 白杭は食い破って突き進んだ。


 ぶぱっ


 アリスの手が弾け飛び、周囲が真っ赤に染まる。



 ――おぞましいことはそこから始まった。



 飛び散ったと思った赫い欠片達が逆戻りするように集まって白杭を包んだのである。


 クレアも驚愕に金眼を開いたが、切り札を晒した以上引っ込みはきかない。


 廻る。

 逆側の腕は衝撃で肩が外れてしまって使えそうに無い。だから腕を引く力を身体の中央に溜め、踏み込みで吸い込んだ力とまとめて肘から吐き出す。


「ふうっ!」


 追加の撃を加えられた白杭の尻が弾け、邁進。


 華奢な身体ごと吹き飛して魔女を大木に縫い止める。

 あたかも、磔刑にかけられたかのようだった。


 それをクレアは肩を押さえながら、痛ましいもの見る目で見つめた。


「アリス、あなたは……」


 宿願を果たしたわけでは無かった。  

 持てる力を振り絞り、クレアが自分の必殺の一撃を持って達成したのは、魔女の命を貫く事では無く、魔女の正体を暴く事だけだった。


 腕があった場所は、赫い線がびろびろと延びていた。

 杭が貫いた腹にさえ、臓器は無く、蠢く赫があるだけだった。


 魔女は、その身体のほとんどを肉や骨から、おぞましい力に交換していたのだ。


「ひどい、ひどいわ、姉さま」

 だらりとうなだれて、アリスはお気に入りのティーカップを割ってしまったみたいにめそめそと泣き出した。

「服が破れてしまったわ、こんな恥ずかしい格好で外を歩かなければいけないなんて、とってもヒドイことよ」

 ずるり、横に動くと杭が赫を泳ぎ、通り抜けた跡は塞がって赫が人体を偽った。


「あなたは、ほんとうにアリスですか?」

「もちろんよ姉さま。だから一緒に暮らしましょう? そう、アクツも一緒に!」


 元に戻った手のようなものを顔の横で叩いて、「素敵でしょう?」と、アリスはニッコリ笑ったのである。 



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