英雄と奴隷少女⑤
たっぷりの沈黙のあと、顔を上げた支部長はこの部屋でクレアとセオルを出迎えた柔和な笑みを浮かべていた。
「君はどうしてそれを僕に?」
「権力を持つ人間がこれから起こることを一人も知らないというのは、不都合でしょう?」
「だろうね、ああ、理解した。受け入れたさ、それから以前にも言ったけどもう一度言うよ、君はまさしく為政者だ、その高潔な精神がなきゃ、僕を選ばなかっただろうからね」
「冗談を、わたしは端に転がる奴隷ですので」
セオルは何一つだって理解できていない。
ただ、やり取りを交わすクレアと支部長が全く違う生き物に見えて仕方なかった。
なにかセオルの知らない伝達手段をもっていないと、こんな会話で理解し合えるとは思えない。その方法で、セオルの頭の中まで覗かれていないか、不安になる。
そんな生き物の片割れに突然に注目されてぎょっとしてしまった。
「君は、えっと、名前を聞いてないんだ」
「あ、すいません、セオルです!」
上擦った、恥ずかしい。
「はは、若々しいね。確認だ、君が赫い獣を斬った、間違いないね?」
「はいっ! キセキに教えて貰った魔法で、その、斬りました!」
無駄に言葉尻が撥ねる。落ち着きが無いことが丸わかりだ。
セオルは恥ずかしい限りだったが、それにも、支部長は寛容に笑った。
「それじゃあ、君にも報酬を渡さないとね」
「えっ?」
「知らないのかい? もともと赫獣の目撃があったから討伐隊を組織したんだ。それに、クレアさんが黙って参加して、水呪狼まで出たって言うのが今回の大筋だよ。おそらくは赫獣化した水呪狼がその習性で逃げた元々仲間だった水呪狼を追い立てたと言うのが見立てだね」
なんだって?
おかしいと思ったのだ。クレアは強い。そのことを誰も知らないようだった。
クレアを勢いよく振り返る。
すました顔をしていた。
「じゃあ、クレアが最初っから言ってればわざわざ捜索隊なんて出さなかった、とか?」
「そうだね、なにしろ、一般的には知られていないとは言え、それなりの地位を持って戦いに参加していた者ならみんな知っている戦勝の立役者の一人だ。大人が買い物をするのにわざわざ護衛を出すほどウォールの傭兵ギルドはヒマでは無いよ」
つまり、クレアが申告さえしていたらセオルだって恥を掻かなくて良かったのだ。
「クレアっ!」
責める口調で言っても、彼女はただ指先を重ねて座るだけだった。
「言ったではないですか、問題は無いって」
「えっ?」
「赫獣はとある魔法の力で魔力を暴走させた状態です。そのため負荷が常に掛り、数日もすれば自壊します。あの赫獣化した水呪狼は末期にさしかかっていました。その上、わたしが傭兵達を逃がしたあと、あの赫獣が飛び込んできたのですが、そのときの三つ巴の結果、水呪狼の毒を引っ被って腐りかけていました。つまり、わたしがあと一時間も攻撃を避け続ければ、いや、それよりも前にあの赫獣は自滅してたでしょうね」
それが、あの山岳でクレアが赫い獣と踊っていた理由。
クレアでは、あの赫い獣を斬ることは出来ないらしいが、そんな必要も無く、彼女には倒す方法が分かっていた。
つまり、セオルのやったことは、ただのお節介どころどころか、獲物の横取りと言われても仕方が無いわけで。
「報酬、いりません」
「君がやったことには変わりないんだ。受け取る資格はあるんだよ?」
「いりませんったら!」
これ以上傷口に塩を塗るようなマネはよして欲しい。
「それじゃあ報酬はクレアさんのものだ、じゃないと僕が着服を疑われてしまう」
異論は認めないとばかりに、支部長は羽根ペンでささっと紙に綴ってしまった。
「バカな子ですね、黙っていれば金を受け取れたのに」
しれっとクレアが言う。
きっとどうすれば報酬を自分のものに出来るか分かっていたからさっきみたいに、セオルの自尊心を煽る言い方をしたのだ。
一人で問題なかったと、分かる言い方をわざわざしたのだ。
「……いいかげん、クレアがどういう人間か分かってきた。自分が良いように立ち振る舞うのが上手な人間だ」
「それが分かったなら君は公人の入門者だよ」
かかっ、支部長は笑ったのである。
それからクレアと支部長はいくつかやりとりをした。
セオルは話の半分も理解できなくて、欠伸を噛み殺すためにしかめっ面をしていたが、支部長が嬢に持ってこさせた報酬を見て、眠気なんて吹き飛んだ。
セオルの頭ほどの革袋にぱんぱんに金が入っていたのだから。
あれだけあったらどれだけ美味い肉が食えるだろう、そんな欲と妄想で頭の中を膨らませて、クレアが外套の内側に金を隠してしまうまでセオルは凝視するのを止められなかった。
部屋を出るときには、支部長は立って見送ってくれた。
クレアはもう用は無いと言うように、黙って歩いて行ってしまったけれど、セオルはなんだかそうしないといけない気がしてぎくしゃくと会釈をしてから部屋を出た。
そうすると、支部長は手を振る茶目っ気をみせたのだった。




