英雄と奴隷少女④
受付まで来たクレアは細長い側面に凹凸のある金属棒を取り出した。
「901番です。全額取り出しお願いします」
受付の嬢は若干面食らいながら、「あ、はい、ただいま」と対応した。
嬢がこちらからは見えない奥の部屋まで行ったのを見計らって、せおるはクレアに「それなに?」と尋ねた。
「金錠です。この金属鍵に対応する錠を照合することで預けてある財産を受け取れます。高額の報酬を受け取る資格を持つ傭兵だけに提供されているサービスです。錠を保持するギルドでしか受け取りができず、小規模なギルドでは行っていません」
だから嬢が驚いていたのか。
滅多に見る代物では無いだろう。傭兵はいつ死んでもおかしくない場所で仕事をするから貯金なんてしない。
数分で慌てた足取りの嬢が戻ってきた。
「あの、ちょっ、これ、あの、……来てるんですか? この街に、キセキが!」
興奮冷め切らない面持ちだった。
クレアは一言も無く、既に台に置いた金属を前に押した。
「あ、すいません、照合します!」
嬢が持ってきた中が空けた金属の囲いにクレアの金属片がぴたりと嵌まった。
「あの、規定で、ギルド支部長立ち会いが必要でして、その別室へ……」
もう、まともに口もきけていない嬢は恐縮しっぱなしで頭を下げる。
「ルールは知っています。あなたの仕事は頭を下げることでは無く、案内することです」
「はいっただいま!」
きっと、まだ仕事に慣れないのだろう彼女のことを不憫に思いながら、セオルはギクシャクと歩く嬢の後ろクレアと一緒に従いて行った。
道すがら、一体ギルドが特別扱いする金額とは一体どれほどだろうと考えていた。クレアは、いや、きっとキセキも関係あるのだろう、一体なにをやったのだろう。そんなことに思いを馳せてる内に、支部長とやらの部屋に着いていた。
「はい、どうぞ」
落ち着いた声だ。
招き入れられて入った部屋は調度品と言える調度品は無く、引き出しと棚ばかりの部屋だった。
仕事で充ちた部屋といった印象だった。この部屋の持ち主はきっと、この部屋のどの棚にどの書類が入っているかを把握している。だって、ちっとも散らかっていないのだから。
執務台に腰掛けていたのは壮年の男だった。白髪は目立つが、禿げてはいない。
「君は下がって言い。ここからは僕の仕事だ」
そう言われて、嬢は言いたげにしながら「分かりました」と部屋を出て行った。
扉が閉まってから、クレアは部屋の真ん中のソファまで歩み、腰を下ろした。
「相変わらずだねクレアさん、さあ、君も座ると言い、じゃないと話ができない」
肩を竦めた支部長に誘われ、セオルもソファに腰掛ける。
きっとこれはセオルみたいな生まれの人間が座る代物じゃない。腰が沈んだのだ。セオルの太ももが半分も隠れてしまった。
「思っていたんだ。ナレイブとの戦役、あれで一番僕たちサンクトアを苦しめた『赫い獣』が頭から尻尾まで真っ二つになっていたって聞いたときにきっと閃きの勇者の仕業だって。あの硬い獣を綺麗に切るなんて芸当はそうはできない。彼の特別な魔法を除いてね」
セオルは読み書きに疎い。
対面に座った支部長がひらひらさせる紙になんて書いてあるのかは読めなかったが、きっと昨日の件の報告書だということはわかった。
仕事が早いことだ。
「間違いを指摘しましょうダリフ。あれをやったのはキセキではありません」
確信していたからだろう、支部長は「なんだって」と眼鏡をズリ落としそうになった。
「いや、そんなはずはない。じゃあなにかい? 君がやったとでも?」
「いいえ、わたしは魔力が乏しい。赫魔化するまえの水呪狼だったとしても真っ二つなんてできません」
「それじゃあ……」
クレアの流し目につられて、支部長はセオルに注目した。
「いやいや冗談はよすんだ。僕はここの支部長だよ? 傭兵の仕事のことでは正しいことを知る権利があるし、傭兵として仕事をした君は正しいことを言う義務がある。その代わり僕は酒をたらふく呑んで娼館に行ったとしても言いふらしたりはしない、そうだろう?」
「ええそうです、ダリフ。だからわたしは義務を全うしているのです」
まだ支部長は信じようとしないから、クレアは一言を付け加えた。
「キセキは、最後の旅をしています」
「ああ、だろうね、ナレイブは滅んだし、君とキセキの因縁はナレイブの宮殿で決着したはずだった。だけどその仕事は終わってなかったんだから」
いま一番悩ましい問題だと言わんばかりに、支部長は眼鏡を上げて目頭を揉む。
「『黒鉄の勇者』が現れたら相手は『閃の勇者』にしか務まらないし、『命赫の魔女』の相手は『瞬銀の姫』の君にしかできない、戦争をやっていたときのルールじゃないか。あの魔王と魔女が生きているのであれば英雄と姫に相手をしてもらうしかない」
姫とはクレアのことだろうか、あいにくと聞いたことはない。だけれど魔女と黒鉄についてはセオルにも聞き覚えがあった。
たしか、戦争の終わりの少し前にナレイブが呼んだ勇者とその相棒だ。
凶暴で残忍とだけ聞いたことがあるが、詳しくは知らない。その時にはセオルはもう奴隷をやっていて、作業をしてるときに盗賊達が言っていたのが聞こえただけだから。
ようやく、この旅の目的が分かった。
キセキは、戦争で取り逃した相手を探して旅を続けていたのだ。
「その通りです。わたしもアリス……『アレイシア』が生きていて、使ってはいけない力を使い続けているというのであれば、それを誅さないといけない」
ぐっと、クレアが拳を握った。
とっくの昔に決めた覚悟を、それでも迷うような、そんな素振りだった。クレアにとって大事な問題なのだろう、彼女はこんな顔もするのかと驚いた。
「だけれど、この旅だけは、キセキはわたしとは違うのです。この旅はキセキにとっては終わるための旅になったのです」
「一体どういうことだい、それは?」
「彼が『勇者』だと言うことです」
それでも支部長は理解できず眉を上げる。
「君は本当にいつも回りくどい、そういうのは間に合っているんだがね」
「わたしは、もう十分に言いました。『勇者』の秘密は、あなたも知るところでしょう」
「秘密だって? それはたしか……」
言葉を切り、支部長はセオルを向いた。それから徐々に表情を愕然とさせたのだ。
「ああ、そんな、そんなバカな、いやこんなことが許されるはずが無い……」
まただ、なんだのだ、人の顔をみて。
セオルはクレアが山の上で豹変したことを思い出していた。
「ねえ、どういう意味……」
「黙ってなさい。あなたは勝手にしゃべる権利を持ちません。この場に招かれたのはわたしで、あなたは付属品でしかないのですから」
ぴしゃりと言われて、押し黙るしか無かった。
「ダリフ、知りたがりのあなたならとっくに調べていると思いました。先に忠告しますが、余計な策を巡らすと『閃の勇者』が剣を抜きますよ?」
「だが、そんな……君はそれで良いのか?」
「良いも悪いも無く、わたしはキセキの道具です。キセキが望むならわたしはそれをまっとうする、そういうものです」
「だが、そんなのは……ああ、なんてことだ」
暫く支部長は頭を上げなかった。
クレアもそれを咎めず待ち続け、セオルには理由の知れない不安ばかりが募った。