英雄と奴隷少女②
「……気はすんだかよ?」
まだキセキは食事に手をつけていない。
片手間で済ませられない話題だからだろう。
「お気づきですか?」
音もなく、クレアが匙を置く。
しゃんとセオルの背が伸びた。
「キセキ、わたしは一番最初からあなたと旅をしてきました。男と女の関係になれるような感情は抱かなかったとはいえ、パートナーとしてはお互いを信頼していたと自負していました。それが、ある日、突然、あなたは、わたしを置いて、消えました」
スープからは湯気が燻っている。
なのに、どうしてこんなに寒気がするのだろう。
「探そうにもギルドに根回して情報を制限する周到さまで巡らして。つまり、ずっと前から、キセキはわたしと食事をしながら腹の中でわたしの信頼に舌を出していたのです。ええ、そうですとも、トモダチじゃない。わたしはあなたの奴隷です」
席を立ちたい。
叶うならバゲットを数本くすねて部屋で食いたい。
「トモダチだからだろ」
キセキが唇を尖らせてごちると、クレアは無言になり、ナイフをとって、真ん中に置かれた川魚の香草焼きを切り分けだしたのだ。
そう、彼女はただ綺麗に魚を切り分けているだけだ。
身と骨と内臓とを器用にほとんど音も立てずに、ただ、分けているだけである。
それだけが、たまらなく恐ろしかった。
彼女が内臓と香草と脂でソースを作ってしまうまで、セオルもキセキも口を開かず、顔を強ばらせて見ているしか出来なかった。
「あなたの『目的』と供にいるであろう『あの子』の赫獣の話が耳に入らなければ、わたしはいまでも仔細を知らず一人で待ちぼうけていたでしょうね」
女は男みたいに素直に怒りをぶつけたりしない、だから怖いんだと、これは誰の言ったことだっただろうか。
ことり、クレアはキセキの前の取り分け皿を拾って魚を乗せていく。
「だから、キセキがわたしを差し置いて、代わりに誰かと居ると知って、大変心を痛めました。……思わず殺してしまいたくなるくらい」
おいおい、ちょっと待て!
では、なにか?
嫉妬で殺されそうになったと言うのか。
怒鳴り散らしてやりたい、お前の頭の中は戸棚に仕舞いっぱなしにしたみたいになってんじゃないのかと悪態を吐いてやりたい。
でも出来なかった、怖かったから。
クレアが一人話を続け、取り皿に綺麗なプレートを作ってキセキの前に戻したところで、とうとうキセキは音を上げた。
「あー分かった! 俺が悪かった! この通りだ、申し訳ございませんでしたッ!」
大英雄が女の子に頭を下げる姿など見たくはなかった。
「キセキ……」
前に話に出てきたとき、信じなくて悪かった。
こんなことになると分かっていたなら、確かに再会を躊躇うだろう。
ああもういいや、関係ない顔をしておこう。
セオルはこのテーブルでは何にも見えていないフリをして噛んで飲んでをしていればいいのだ。両親がケンカした時みたいに。クレアの矛先は今のところところキセキにしか向いていないようだから。
その油断が、大敵だった。
「う、うわあっ!」
セオルにクレアの手が伸び来ていた。
驚いて椅子から転げ落ちそうになる。
クレアも面食らったようで手を止めたが、何事もなかったかのようにテーブルからセオルの取り皿を拾った。
「セオル……」
何とも言えない顔でキセキが見ている。
「だ、だって……」
言い訳しようとしたが、無理だった。
格好悪さを上塗りするだけだ。
「いいのですよ、騎士の息子が、父が手を上げただけで腰を抜かすようなものです。大丈夫です、わたしはもう、あなたに痛いことしませんから」
セオルにもおなじプレートを作って、まるで言い聞かせる口調でクレアが言った。
ちくしょう、バカにされてるんだ。
言い返すだけ無様だから、だまって睨んでやるが、クレアは取り合わず、自分の食事に取りかかった。
「お前らなあ」
呆れた顔でキセキがぼやく。
仕方が無いだろう、殺されそうになったのだから。……もちろん別に怖がってなんかないけれど。
「しっかりしろよ。それじゃあ、参っちまうぞ? だってここからはクレアも一緒に行くんだから」
「ええっ!?」
冗談ではない。
この街でだけやり過ごせば良いだけでは無いのか。
お願いだからと、縋る目をしたが、『なにか不満でも?』と言わんばかりにクレアに一睨みされて押し黙るしかなかった。
「アイツは怖いぜ? 見付かったらもう諦めるしかねえんだよ」
重々承知だ、こそこそと耳打ちされるまでもない。
でも、でも……。
再びクレアの手が伸びてきて、セオルが「ひっ」と鳴く。
クレアの手はそこから横へ、バゲットを掴んだ。
「わ、わざとやったな!」
すました顔のなんと憎らしいことか。
そんな二人を見やって、キセキはやれやれとこめかみを押さえたのだ。
「二人とも、いいかげんにしてくれ。俺はゴメンだぜ? ツレが剣を抜くだけでギクシャクする道連れなんてよ」
「では、この子はこの街に置いていくと言うことで」
「どうしてそうなるんだよ!」
「そういうところだ、仔犬とハリネズミめ」
「誰が仔犬だよ」
「自覚あんじゃねえか」
かあと顔が熱くなる。
「三人で旅をするなら俺の指示に従わなきゃいけないぜ、じゃなきゃ二人はなかよしこよし、手を繋いで俺の後ろを歩くことになる」
なんという横暴。
イヤに決まってる。
「キセキがそうしろというのなら、従いますが……」
ちらり、金眼を向けられて、
「それなら首輪とリードでこと足りるのでは?」
「だから犬じゃないってばっ!」
「失礼、キャンキャン鳴くものですから。ですが、きちんと面倒を見ますから心配いりませんよ? こちらの葉野菜もお取りしましょうか?」
「いらない、自分でやる!」
むんずと掴んだバゲットを口に押し入れた。
ホントにこんな女と旅をしろとキセキは言うのか、無理に決まってる。
「あんまりイジメてやんなよ。てかな、元凶はお前だぞクレア」
「ええ、ですから手ずから面倒を見て差し上げようと」
「ほう、言ったな?」
にやり、キセキがいつもの笑みを浮かべる。レッスンを始めるときの、セオルになにかを教えるときの笑みだ。
この顔をされたらセオルはもう、従うしかない。
「セオル、今日一日クレアと一緒に行動するんだ、クレア、言っておくが従いてくるなら用事は今日中に済ませなくちゃいけないぜ? 俺には時間がねえからな」
「……まったく、どこで知ったのか、承知しました」
明らかにおもしろがっていない了承だ。
おもしろくないのは、セオルだって同じだというのに。
「いいな? セオル」
「……キセキがそれが必要だって言うなら、わかった」
いい方に考えよう、少なくとも手を繋いでなかよしこよしをするよりはマシだ。
「それでは一日わたしがお散歩の相手を勤めさせていただきます、どうぞよろしく」
「だから犬じゃないってば……」
三回目となればいい加減言うのも疲れてしまう。
今日一日は最悪な一日になるに決まってる。
もしも『英雄だったら女の買い物にも黙って付き合わなきゃいけない』なんて言ったら、きっとキセキに仕返ししてやろうと決めた。




