英雄と奴隷少女
「正直にな、意外だったよ」
「わたしもです。わたしはキセキにとって、そう、『道具』のつもりでいましたから」
声が聞こえた。
身体は気だるくて、頭は冴えない。
「そいつはまた俺好みの言葉じゃないな」
「あなたとわたしで意見が違わないのは食事の味付けぐらいでしょう」
「違いない、最初っから俺がイエスと言えばクレアはノーと言い、クレアがこんにちはと言えば俺がさようならを言っていた」
おもしろがるような口調はリラックスして聞こえた。話す相手に気を置いていないのだろう。
「なんで残っててくれなかったんだよ。こいつは俺の始末だ。クレアは残っててくれたら良かったんだ」
「あなたが残れと言ったからですよ。最初からそうなのでしょう? それに、始末ならわたしの分もあります。あなたの因縁がアンフィルで待っているのなら、それこそわたしの因縁の方がその場所にふさわしい」
「……やっぱり『アンフィル』か」
「合わないうちに頭が獣程度になっていないようで安心しました」
「そういうところが辛いんだ」
過去にもいろいろ心当たりがあるようで、げんなりしている。
相手は「失礼」とは返したものの、直す気を感じられなかった。
「分かってたさ、『アクツ』はそういうのが好きだ、曰くとか、舞台とか、宿命とか、まるで作り話の登場人物を気取りたがるんだ」
「子供ですね、迷惑です」
またばっさりと言の刃が切って捨てる。
おかげで意識がはっきりしてきた。
どこの誰の話かは知らないが、そこまで言うことではないだろう。
夢に憧れてなにが悪い、絵本越しに屹立する偉大な背中に自身を重ねることはそんなに許されないことなのか。
「まあさ、物語に憧れるくらいなら、な、ほら……」
そうだ、キセキ言ってやれ。
セオルのエールは届かず、少女の口は快刀乱麻に働いた。
「そういう人間は自分だけに飽き足らず、周囲にまで自分のシナリオを強要したがります。穏やかに苦楽を飲み下して生きていくことを決めた者達にとっては、感動劇なんて劇薬でしかないのに」
「……はあ、実に含蓄のあるお話で」
キセキが折れてしまった。
そう言えば村でも女と口げんかして勝てる男など存在しなかったっけ。
「さて、そろそろ食事にしませんか? わたしとキセキはともかく、この子はきっと空腹でしょうから」
言い当てられてびくっとしたら、腹がぐぅとなった。
「目覚めが近づくと寝返りが増えるものです。身動きさえしなくなれば分かりますとも」
そうでしょとばかりに、少女に視線を当てられたキセキは「お、おう」としどろもどろになって答えた。間違いなく気づいていなかったのだろう。
「先に下りて注文を済ませておきます。それとも着替えの補助が必要ですか?」
「い、いらないっ!」
真っ赤になってセオルが言うと、少女は「では」と外套を目深に被って部屋を出て行った。
「……キセキ、あの人って」
少女が出て行った扉を指さしながら、留め具が錆びた窓みたいにぎぎぎとキセキを振り向くと、彼は諦念を臭わせる顔つきで答えたのだ。
「まあな、あれだ、前に言ったオレのトモダチ」
「あらためまして、トオミチ・キセキの奴隷、クレイシアと申します。卑しい身分です、ご希望がなければどうぞクレアとおよび捨て下さい」
からんと、持っていた匙が落ちてスープが撥ねた。
ちょっと待て、いろいろ衝撃だ。
キセキが奴隷を持っていたことと、それが美人というこまでは理解出来る。彼の功績ならおかしくない。
だが、この少女が奴隷というのはにわかに信じがたい。
だって、
「トモダチだ」
「ええ、そうでしたね。キセキは自尊心を満たすためにトモダチと紹介しているのでしたね。しかし、初対面の方に勘違いさせて恥をかかせるのも申し訳がないですから」
この態度だ。
卑屈さも無ければ媚びも売らない、ただ、淡々としている彼女が奴隷。
自分が盗賊達にこき使われていたときはどうだっただろう、口元がひくひくと動いた。
しかし、彼女が奴隷だったのならキセキの叙事詩に彼女が出てこないのも分かる。奴隷の少女から教わって育った英雄では格好悪いから、意図的に語られなかったのだろう。
「おい、ホントに変な勘ぐりすんなよ、俺とクレアはそういう関係じゃないんだからな」
また言ってる。
キセキが女を抱いていたって偏見など持たないのに。
キセキは普段はおおらかなクセして、変なところばかり潔癖癖を持っている。
「ええ、その通りです。わたしではキセキのご希望には添えず、伽の相手を勤めたことも命ぜられたこともございません」
ほら見ろと言わんばかりにキセキが見てきた。
驚きだ。
キセキはなにが不満なのだろう。
セオルは婆の白髪は見たことがあるが、こんなに綺麗な銀髪など見たことがなかったし、村にいたどの女と比べてもクレアは綺麗だ。もし水と果物だけを食べて妖精に育てられたと言われても信じてしまうだろう。
セオルはまだそういった経験は無いものの、抱くなら綺麗な女ならいいと思うし、盗賊に捕まっていた奴隷は綺麗な女ほど早くいなくなったからそういうものなのだろう。
まじまじと見てしまったからだ。
「そんなに視線を向けられても応えませんよ。もちろん、主のキセキが命じるのであれば応じますが」
綺麗な動作でクレアがスープを口に運ぶ。
「ち、ちがっ、そうじゃなくて、綺麗だよなって――」
なにを口走っているのだ、これじゃあ口説いてるみたいだ。余計に恥ずかしい。そらみたことか、キセキが顎に手を当ててニヤニヤしている。
期待していたわけでもないが、クレアが恥じ入ってその鉄仮面を脱ぐようなことはやっっぱり無かった。
「ええ、存じ上げております。言われるまでもなく、自分の容姿が人並み以上であることは。……キセキがわたしに伽を命じないのはもっと『肉感』と『包容力』と『笑顔』を備えた女性が好みだからでしょう」
キセキのニヤケ顔が凍った。
「おいちょっと待てどこまで知ってる?」
「どこまでとは? 意中の相手のことまで? 惚れた経緯まで? それともキセキがすでにその女性の一番深いトコロを知っていることまででしょうか?」
「よし分かった! 全部だなちくしょうめッ!!」
ああ、なんてこった!
頭を抱えて悶絶するキセキなんて初めてだ。
セオルもキセキも揃ってクレアに転がされてしまった。
さていま一度、考える。
彼女が奴隷だと?
女王様のがよっぽどお似合いだ!