英雄が追うもの③
今までもその痕跡を辿ってきたが、いずれも勝手に死んだ後か傭兵が殺したあとだった。
生きているのを目の当たりにしたのは始めてだ。
警戒を強める。
ただの獣じゃない、話が本当ならかなり危険な存在だ。
右手で剣を抜き、左手の人差し指を伸ばす。
指の先に魔力を集中、ただし、身体を漲る魔力は維持したままだ。
旅を始めたばかりの頃は逆立ちしても無理だった。
今のセオルは村にいた頃よりも、ずっと魔力が多い。魔力量が増えれば増えるほど自分の中にそれを認めることができ、制御もやりやすくなった。
魔法の訓練も怠らずやってきた。
時間を掛けずに《魔力貫通弾》を構築することは出来ないが、工程を簡略した劣化版なら出来る。
『それじゃあ《魔力弾》だぜ』なんてキセキは言っていたから、そう呼ぼう。
「撃つよっ!」
傭兵に注意喚起を飛ばし、セオルの指は赫い獣へ向く。
命中させることが第一だ。
胴体へむけて、撃つ。
どおうと、狼の姿をした赫い獣の腹が凹み、横っ飛びに岩にぶつかった。
威力が無いとは言え、思いっきりぶん殴る程度には威力がある。ましてや動き回ってる最中の不意打ちだ。脇を捉えたからアバラをやれたかもしれない。
いまの内に合流して、打ち合わせしてしまおう。
外套をすっぽり被った小柄な傭兵の元まで走り寄った。
「救助に来た、だいじょうぶ?」
「はい、何一つ問題はありませんでした」
声は淡々としたものだった。
とても命の危機に遭っていたとは思えない落ち着いた声で、しかも女の子の声だった。
小さな違和感。
この子が本当に救助対象なのだろうか、それにしては、まるで、……泰然としている。
旅の汚れはあっても、ひっかき傷みたいなのはない、ただ、手に持っている短剣は刃こぼれしているから、攻撃をいなしてやりすごしていたのだろう。
屈強なガタイの傭兵でさえ腕を落とすハメになった凶暴な赫い獣を、未熟な子供の傭兵がたったの一人で、息さえ切らさずに捌いていたというのだろうか。
考えるほどに違和感が、大きくなる。
「水呪狼に襲われた傭兵達、みんな逃げれたって」
「そうで無くては囮になった意味がありません」
当然の結果であると、感動を微塵も含んでいない口調だった。
囮と、外套の少女は確かにそう言った。
セオルは勘違いしていたのだろうか。
その場からなんとか逃れて生き延びようと一人で走って行った経験の浅い若い傭兵を見た水呪狼が、与しやすいエモノと考えて追い立てたというシナリオが、いまでは疑わしいものとなった。
「……君は、ここになにしにきたの?」
「アレを探してですが?」
少女の指は、立ち上がろうとしている赫い獣を指した。
(キセキと同じ?)
とたんに、彼女が恐ろしい物に見えてくる。
キセキは赫い獣を追っていた、そして、そこにこの少女は現れた。
偶然だろうか。
必然なら、もしかしてキセキが『会いに行く』と言っていた、キセキが旅の合間に怖い顔で考えていた、キセキの『知り合い』こそが、この少女なのではないのか。
薄ら寒さを感じた。
キセキの目的がそうならば、キセキにそれをさせる存在とは、ただ者であるはずが無い。
「君は……」
「避けなくていいのですか?」
一歩を下がって、少女が言う。
直後に赫い獣が跳びかかってきた。
「ぐうっ」
動揺のせいで反応が遅れ、よじるように牽制の刃を向ける。
「ああ、それではダメです」
何か言われたが、反応する余裕はない。
わかりやすく額に向けてやったのだ、獣なら顔を逸らすはず、そしたら逆方向に転がって距離をとる。
距離さえあれば、魔法を使って優位な展開をいくつも作ることが出来る。
そこまで考えたにも関わらず、全ては出だしで挫けることとなった。
ずちっと、手に重さが乗る。
「なんっ!」
信じられない。
赫い獣は剣を怖がらずにそのまま飛び込んできたのだ。
セオルの剣は赫い獣の鼻の横を貫いて、頭蓋で止まっていた。
(避けなかった、避けなかったッ!?)
頭の中で組み立てた全てが全て水泡と帰す。
残るのは空白ばかり、つまりは、パニック。
勝つためには考えなければならない。
持ちうる知恵と手段を把握して、周到に未来に配置してやらなければ、ただの英雄のまね事とかわらない。
それが出来なかったこの瞬間、セオルは唯の子供でしか無くなったということ。
赫い獣の荒息が近づいてくる。
頭蓋をなぞるように、剣がじりじりと獣の顔を抉る。セオルは剣を持ってるだけなのに、獣がセオルの剣を使って自分で勝手に傷ついていく。
「うわあっ!」
恐怖に翻弄され力任せに剣を振った。
剣幅が頭を掬って投げ飛ばしたが、赫い獣はすぐに立ち上がり、淀んだ双眸を向けて跳びかかってきた。
セオルの警戒は、甘かったのだ。
赫い獣を危険と知っていながら、獣しか相手にしてこなかったから脅威の見積もりが正しく出来ていなかった。
赫い獣は『魔獣』だ。
見た目の身体が持つ力以上を備えている異常生物で、セオルが知ってる獣という物差しで測ってはいけない範疇のものだった。
どうしたらいい、どうしたらいいっ。
そればかりが巡る。
思考が形になる前にぱつんぱつんと弾けて消えてしまう。
現実は進んで、セオルがなにかを考えつく前にとうとう獣の牙は目前に来ていた。
とっさのセオルの行動は、あまりにも愚かだった。
剣を横に盾代わりにしたのだから。
ガギギッ、
魔獣の口が目の前にある。
腐った臭いがする。
払い退けたくてもダメだ。集中できない、魔力が練れない。
伸ばした肘が、赫い獣の膂力に負けて曲がり始める。
人と獣、その筋肉量と質を考えれば必然な結果だ。
あと少しで獣の爪はセオルを引っ掻けるところまで来る。
一瞬でも力を緩めれば、牙にやられる、回避ができない。
『力で負ける相手とまともに組み合うな、やるなら、力押しできる状況を作ってからだ』
剣のレッスンで体格と力で勝るキセキが上から押さえつけて分からせてくれたことだったではないか。
状況は詰んでいた。
セオルではもうどうにも出来ない。
教えは貰っていた。セオルはそれを守れなかった。
これは、自業自得なのだ。
死は目前で、セオルはなにも出来ない。
(や、だ。やだやだやだやだっ!)
ここで終わるなんて絶対にいやだ。
キセキは待ってくれると言った。
まだ教えてくれると言った。そこに戻りたい。まだ強くなりたい。
キセキのようになりたいっ!
「た、たすけ、て」
キセキ。
情けない声だった。
無様なセオルに、
「あなたはなにをしにきたのですか」
まるっきり呆れたという声。
勢いよく横に引っぱられた。
「あえ?」
赫い獣が消えて、セオルは空を見ていた。
そのあと、背中に衝撃が走った。
投げられたのだと理解するまで、時間が必要だった。
「あなたではダメです」
断じる少女の声は、セオルを制圧して落ち着かせるようだった。
その間も、少女は息一つ切らすことなく爪を躱し、牙を逸らし、紙一重を潜って徐々に魔獣の視界からセオルを遠ざけていく。
(そうか、目に入った生き物を襲うんだ)
少女は獣の攻撃を避けるだけでなく、セオルを気遣う余裕まであるらしい。
経験の浅い子供の傭兵だなんてとんでもない、声は若いが明らかに実力者だ。
すくなくともセオルでは相手にならないだろう。
傍目にしていて、魔獣の脅威が自分とは関係ないものに思えてしまうくらいには強い。
「あなたはなにをしているのですか?」
外套の奥の金眼が咎めるようにセオルを睨んだ。
「え?」
「そこに座り込んで物見をすることがあなたのすべきことですか?」
「あの、強いから、つい……」
しどろもどろに答えてしまう。
少し見ただけでも動きが洗練されていることが分かる。それこそ『お手本』の動きだ。つい目で追ってしまっていた。
少女はセオルのその答えが気に入らなかったようで、外套の奥で金眼を眇めたのだ。
「……しばらくは退屈です、あなたには話相手になって貰いましょうか」
一度大きく息を吸った。
「あなたは、なんと言いましたか? わたしははっきり覚えています。助けに来たと、あなたはそう言いました。ええ、そこまではいいです。捜索隊がでることは予想できました。だれも立ち入らないようにこの山岳へアレを誘導したとは言え、その点はわたしも強く言うことは出来ません。そのあと、戦いを始めたこともまあいいでしょう。さあ、このあとです。あなたはなにをしましたか? なにもしていません。なにも出来ていません。なに一つとして出来ていません。勝てる力があるのなら使いなさい。勝てないのなら逃げ出さなくてはいけません。ええ、救助対象が居たとしてもです。置いて逃げなければいけない。生き残ろうとしなければならない。傭兵として生きていくとはそういうことです。そうしたくないのなら、勝てる力を手にいれるのです」
一息に言ったのだ。
セオルがパチクリと瞬きをすると、少女は再びまくし立てた。
「さあ、もう一度聞きましょう、あなたはなにをしているのですか? 教えて差し上げます。自分を殺せる存在を前に無警戒に座りこんでいるのです、剣すら手放して。恥を覚えないのでしょうか。あなたはいま、『命』のやり取りのばで、自分の『命』を手放している。自分は死なないと思っている。先ほど、死の間際になにを思いましたか? 当てましょう、師です。あなたに技を教えた者のことです。あなたは、自分の面倒は最後は師が持ってくれると思っている。愚かです。白痴よりも愚かです。魔法はそこそこ使えるようですが、心ができていない。戦いの場に立つ精神がまるでなっていない」
セオルは唖然とした。
話し相手なんて嘘ばっかりだ、セオルを一方的に罵るつもりしかないではないか。
それも的を射てるから言い返せない。
彼女の言うとおりだ。
まずは、魔獣という相手に対してきちんと理解してから来るべきだった。
心構えが不十分では、技なんて使えない。
「ああ、可哀想に、本当に可哀想。わたしは貴方を哀れに思います。あなたの軽薄さはあなただけの責任ではないからです。あなたはきっと死んでいた。そして、その責任はこの次代に生きながら『命』をなによりも先に理解させなかった、いっそ毒にしかならない甘さを持った師にあります。忠告してあげましょう、あなたは師事する人間を変えるべきです――」
少女はきっと何一つ間違ったことは言っていない。だけど、次の言だけは、黙って受け入れるわけにはいかなかった。
「――なぜなら、あなたの師は人を導くにはろくでなし、ですから」
ふつりと、セオルのなかで感情が沸いた。




