017 「魔法使い、黒いドラゴンと対峙する」
「グアァッ!」
黒いドラゴンは、光で焼かれた鱗から煙をもうもうとたたせ、唯一白いその眼球を赤く血でたぎらせていた。
当然、それをガイラックは認識していない。
その正しいとは言えない判断の結果、彼がちょうど後ろを向いて剣を振りかぶっている姿勢のとき、黒いドラゴンの鋭利な爪が襲う。
「がはぁっ!?」
その鋭利な爪は、彼の肉をえぐり、筋肉の筋をぶちぶちと断ち切る。
皮肉にも、少々切れ味の悪いその爪だからこそ、より死に近い苦痛を相手に与えられるのだろう。
だから僕は、一概に切れ味が悪くてよかったとは思えない。
また、その近くにいたエレンにも、黒いドラゴンの脅威は及ぼうとしていた。
「わ、私を食べても美味しくなんかないわ!」
エレンは、慌てたように首を振るが、それは既に命乞いとしての意味をなさない。
そう無慈悲に語るように、黒いドラゴンは次の標的をエレンに定める。
その姿勢には、はっきりとした交戦の構えと蹂躙の先走りが浮かび出していた。
「だから、来ないでよ……ねぇ!?」
エレンは、その姿を見て腰を抜かす。
まともな人間ならば失神してもおかしくない、殺気にも似た威圧が黒いドラゴンから溢れ出す。
それは、五感ではとらえることができないものだけど、着実に場の空気を支配していく。
そして、溜めに溜められた黒いドラゴンの感情が、魔力が、力が動き出す。
「グルゥッグアァァァァァァッ!」
地面を蹴る――――その行為は、僕たち人間や動物の移動には欠かせない。
しかし、一般的にドラゴンというのは、滅多に歩くこともしなければ、走ることもない。
なぜならば、一生のほとんどを大空で過ごすこととなったドラゴンは、冒険者や他の魔物にもその厄介な習性からあまり狩られることがなくなった。
それにより、飛行以外の移動手段を必要としなくなったからだ。
だというのに、目の前の黒いドラゴンはななめに地面を蹴る。
その行動の真意は、行動が起こされた瞬間こそ理解できないもの。
だけど、時間が経ち冷静さを取り戻したとき、唐突に意識に滑り込んでくるそれを回避する術はない。
「――まさか、魔法を!?」
僕たち人類の一部を除き、魔物は魔法を使えないものだと思っている者が多い。
なんでかというと、魔法の概念は、ある程度の知能を持って魔力を操作できることが魔法を使える条件だとしている。
しかしそれは間違いで、知能がなくとも魔力は操作できることから、野性によって放出された魔力が形を為すという風になる。
したがって、黒いドラゴンが地面を蹴った理由は、なんらかの魔法によって地面を隆起させた上で、ある特定の場所へと速く向かうため。
その特定の場所と言えば、この場で一つしかない。
「グアァァァァッ!」
黒いドラゴンの重く荒々しい咆哮が、遥か頭上より聞こえる。
その声が示すものは、ドラゴンの本領を発揮することのできる大空――空中戦へと持ち込まれてしまうことだ。
そうなれば、魔法や弓などの遠距離攻撃が使えなければ、一方的な攻撃を受け続けるということになってしまう。
いや、勢いよく滑空したドラゴンの一撃を耐えられるかどうか。
その巨駆は、重力という自然の力を加算されて勢いを増し、相手を確実に死に追い込む。
例え、弓が使えるエレンであったとしても――――逆に言えば、弓を使ってしまっているエレンであるからこそ、その攻撃によって死ぬ確率は跳ね上がる。
それは、弓術師というのは動きやすさを重視した軽装であることが基本だから。
「や、やめてぇぇぇ!」
エレンは、堪えきれずに悲鳴のような叫び声をあげる。
後ろにいるノルンが感じるのは、黒いドラゴンと圧倒的に不利な戦い方をしている仲間の姿。
だけど、加勢するというのは治療術師の本分から遠く離れた行為だ。
そんなことをすれば、回復役は誰一人といなくなり、このままパーティーメンバーは息絶えるだろう。
ということもあり、エレンの声が聞き届けられることはなく、黒いドラゴンが動き始める。
それは、咆哮さえあげることなく、垂直に近い形でエレンのいる場所に落下した。
その下敷きとなったエレンはと言えば、遠くからその存在を認識できないのだから、もうお分かりだろう。
だというのに黒いドラゴンは、大きな翼を地面に打ち付けるように羽ばたかせ、地面とのわずかな間に空気の層を作り出す。
そこで勢いを完全に落とし、二、三度ゆっくりと翼をはためかせた後、着地した。
「ひ、光よ、我が力にて具現し、我が命にてかの者を癒せ! ――――セイントヒール!」
予想外の事態にノルンは困惑し、範囲を二人分まで拡大して回復魔法を唱える。
しかし、範囲を拡大したということはそれほど回復量が分散されるということだ。
それだけではない。
普段のノルンならば、回復させるべき優先順位を決めていただろう。
今回の場合なら、瀕死のエレンか。
それを、冷静さをかいてしまって行えなくなっている。
つまりのこと、回復にかかる時間は増え、その間ノルンは身動きができない。
三人は、黒いドラゴンの格好の餌となるのだ。
それを見た僕は、そろそろ頃合いかなと準備運動をするようにして動いて温めた体を、黒いドラゴンのいる方向へと向ける。
「そろそろやばいし、行くか」
僕は、地面を思いっきり踏み込み、今できる最大限の速さで脚を引き、前に出す。
すると、一歩一歩と足をつく度に地面は円形に大きくくぼむ。
それはまるで、僕が巨人になったような気分だ。
しかし、そんなことを楽しんでいる時間はなく、ノルンの元に追いつくやいなや、僕は腰の剣聖の剣を鞘から引き抜く。
「さあ、お遊びはここまでにしてくれると助かります。このまま大人しくダンジョンのなかに帰ってくれれば、僕はなんにもしません。ですから、早く――――消えてください」
とは言ってみたものの、黒いドラゴンは人語を理解できるんだろうか。
強い魔物のなかには、そういう珍しい者たちもいるらしいけど、実際に見たわけじゃないからどうとも言えない。
例え、理解できていないとしても、ニュアンス的になんとなくでも伝わればいい。
ただ、帰ってほしいということを。
それと、ダンジョンのなかにはまだ二人がいるけど、急いでいるはずだからもうじき出てくると思う。
そのタイミングで、黒いドラゴンをダンジョンの入り口まで追い込んで…………というのが理想だけど、勝てない相手を追い込むのは相当難しいよなぁ。
まあ、やってみなきゃわからないんだけど。
「アルクさん、なんで……!?」
ノルンは、剣を握って黒いドラゴンと向かい合う僕に言う。
ここで、心配だからとかいう風に応えた場合はどうなるかは明確だから、敢えて突き放すように話すか。
だけど、まさか敵に背を向けることはできないので、体勢はそのままにそれを端的に話すことにする。
「僕には、新しい仲間ができたんだ。その人たちを守るために、この黒いドラゴンをどうにかしなくちゃならない。ただそれだけだよ」
うん、うまく言えた気がする。
あとは、目の前のコイツだけど……どうしたんだろうか。
僕とにらみ合うようにして、一向に動く気配がない。
治療術師とはいえ、ノルンの光魔法を鱗だけで防げたんだから、そんな慎重になる必要はないはずなんだけど。
僕は魔法を使えないし、できるのは馴れない剣で相手を斬ることだけ。
それなのに強く警戒するということは、コイツは以外に小心者なのかもしれない。
と僕が思った矢先、黒いドラゴンは行動を開始する。
「グアァッ!」
黒いドラゴンは、大きな体に響かせるように低い音を出す。
そして、次の標的を僕に定めた。




