自分の話
こんな紙切れが貼られていた。
自分とはなにか、知りたくはありませんか?気になる方はこのリンクをクリック!
リンクの3文字は青くなっている。
勿論これはただの紙切れで、リンクに触っても何も起きない。
自分とはなにか、
そんなことは誰でも知っているはずだ。
誰も知らないはずだ。
何故なら自分が何か知らない人はこの世にいないからだ。誰かの子供、誰かの親、誰かの知り合い、何かを仕事としている。この意識の持ち主、そういった情報によって自分を定義付けていくことで自分は出来ている。
何故なら自分を形作るのは他人だからだ。自分ではわからない。自分が知っている自分のことも他人が影響している。自分で自分を見るとそこには主観という自分が混ざることで正しい自分を観測することは出来ない。
とはいえ、こんな話は根本からおかしい。自分の範囲が定まっていない。自分はどこからどこまでが自分なのか。僕は今のこの意識のことを自分と言っているけれどもこれは正しいのだろうか、意識の中の思考回路、意識によって引き起こされた行動。よく分からない。が、何が正しいか決めるのは、これまた自分だ。
まったく、考える意味の無いことだったかな。
どう思う?
この世に意味の無いことは存在しないよ。それよりもまず自分がいるかどうかが問題だ。SFみたいな話だけど誰にも現実を証明できない。記憶を証明できない。自分を証明できない。他人を証明できない。果たして人は観測者か観測対象者か。まあどっちにしろ君一人にどうにかできる話でもないんだ。タバコでも吸って落ち着き給えよ。