お兄ちゃんと呼びません
30階層への再チャレンジが始まった。
女神の迷宮のモンスターは階層をまたぐと再出現する仕様らしく、大量のゾンビやスケルトンと再戦する羽目になったが、一度コツを掴んだためか25階層まではすんなりと突破できる。
今度は宝物庫に化けていた擬態部屋を全員で撃破し、進んだ26階層の女神の泉で一旦休憩することになった。
「この階からは実体のない敵も増えてきたな」
フィナが自分の刀を見やりながら苦々しく呟く。
幽霊、幽魔、憑霊といった実体のないアンデッドは通常の武器は通用しない。
奇跡や魔法はもちろん、グングニルのような魔法の武器なら対処可能だが、最大戦力が火力要員から除外されるのは大きな痛手だった。
「すみません、私が付与魔法さえ使えれば……」
「気にするな、私が未熟なだけだ」
心底申し訳なさそうなリンティの言葉に、侍少女は笑顔でフォローする。だが、やはり力不足であることは自覚しているのだろう。
「ゲームなら氣とかでも対処できたりするんだが……」
「氣? そういえば、師匠もそんなこと言ってたな」
何気なく呟いた一言に、フィナは聞き覚えがあるのか食い付いていた。普段は折れている兎耳がピンと立っている。
「てっきり気合とか根性の話かと思っていたけど、違うのか?」
「うーん、俺も詳しくはないけど、丹田っていうおへその下のあたりに意識を集中して、呼吸を整えると氣を集められるらしいけど……」
「ふーん、この辺か?」
「ちょ、お姉様!? はしたないですの!」
いきなり服を脱いでおなかを丸出しにするフィナに、ペコが鼻を押さえて赤面していた。
胸にはサラシを巻いているし、袴も履いているとはいえ、女性がむやみに肌を露出するのはいかがなものか。
目のやり場に困っていると、彼女はおなかをさらしてにじり寄ってくる。鍛え上げられた肉体でも、どこか女性らしい丸みは隠せない。
「どの辺だ?」
「えーと、臍下三寸だから10cmくらいか?」
「よくわからないな……直接触って見せてくれ」
「ぴゃー?!」
フィナは躊躇なくこちらの手を掴み臍下へと導く。まるで同性同士でじゃれあうような行動に、ペコが何やら奇怪な声を発しているが、こちらはそれどころではない。
ぷに、という思ったより柔らかい感触と奥に感じる力強い弾力に、男の本能がくすぐられる。
「この辺でいいのか?」
「いや、もうちょっと下……この辺かな?」
“黒舵”の能力は物体の構造を把握し自在にコントロールする力である。そのため触れた場所を中心に、フィナの女の子の大事な部分を無意識に感じてしまう。
そういえば、女性の場合は子宮があるから、胸の中央にある丹田に氣を集めるんだっけ、と妙に冷静になった頭が思い出してしまった。
だが、それを口に出すと余計ややこしい事態になりそうな気がする。彼女は真剣そのものだったが、他の女性陣の顔がどうなっているか今は見たくない。
あとは眉間にも丹田があった気がするが、あまりにも思い出すのが遅すぎた。
「この辺か? 意識を集中して、呼吸を整える……こんな感じか?」
「あ……なんかあったかくなってきたかも」
「んっ、なるほど、これは確かに、なんか変な気分に……ひぁっ!?」
ビクン、とフィナの身体が震える。心なしかおへその下がほんのり発光している気がするが、そんな簡単に可視化するほどのものだろうか。
「これが氣? こ、これをどうすればいいのだ?」
「俺も詳しくは……」
「なんかこのままだと破裂しそうな気が……きゃん!」
「ええっ!? と、とりあえず落ち着いて無駄な力を抜いて、それから……意識を集中する場所を変えて氣を動かせるか? ゆっくりでいい」
「あぅ……動かな……いや、そうか。こっちを動かせば……くゃぅ!」
彼女は氣を動かそうと試行錯誤をしていたが上手くいかない。しかし、ふと思い立ちこちらの触れた指先を動かすと、淡い光も追従していく。
乙女の柔肌を滑る指先の感触が心地いい。
「なるほど、コツがつかめてきた……ッ、それから?」
「なら、腹から手に氣を移せるか? 無理そうなら身体を伝って……」
「こ、こうか? ひぅ、で……る。でちゃ……やぁぁぁぁっ!」
おなかに手を合わせて集中すると、光が徐々に移動していた。上手くいった、と思った瞬間、パッとひときわ強い光を放ち霧散する。
同時にフィナの身体がビクンと痙攣し、倒れ込む身体を咄嗟に受け止めるとぐったりと力が抜けていた。
「おい、大丈夫か?」
「らいじょ……ぶ。へぇき」
完全に気をやったのか、呂律も回らず上気した顔でこちらを見やる。少し朦朧としているようだが、様子を見たエリヤが言うには命に別状はないらしい。
しばらくその状態でいるとフィナの意識がはっきりとしてきた。
「もう大丈夫だ……心配かけたな」
上体を起こしながら、彼女は自分のおなかに手を当てる。そうして、先程の感触を思い出したらしい。
「あ……う……こっち見るな!」
ようやく自分の格好に気付いたのか、はだけた着物を慌てて直す。羞恥心からか顔が赤い。
これはこちらは何も悪くないはずである。
「カイトさんはエッチさんなのです」
「これだから男って……ふん!」
「あら~♪」
エリヤだけは状況を楽しんでいるようだったが、リンティとアルトには完全に白い目で見られてしまった。
理不尽な上に反論の猶予すら与えられない。
ちなみにこの場で一番大騒ぎしそうなペコであるが、鼻血を出して幸せそうな笑顔で昏倒していた。
エリヤが介護してくれているが、少しだけ先が思いやられる。
※
その後も探索を続け、迷宮を1層ずつ降りていく。
襲い掛かる幽霊の実体なき霊体を、フィナの氣を纏った刀が切り裂き、あっさりと霧散させていた。
「ようやくコツが掴めてきた」
あのあと一行は何度か幽体系のモンスターと遭遇し、その度に彼女は氣の使い方を会得していっている。
性格からして努力型だと思っていたが、あれだけのヒントを頼りに成長するところは天才型でもあるということだろう。
フィナの強さの秘密を少しだけ垣間見た気がした。
その後も快進撃を続け、ようやく30階層のボス部屋に到着する。
「なんとかここまで来れたな」
女神の泉で体力も疲労も回復し、準備は万全。今なら何が来ても負ける気はしない。
「ここのボスを倒して、道を切り拓くのです!」
リンティもいつにも増してやる気がみなぎっていた。困難な試練を乗り越え、自分達の未来を切り開こうという意気込みが感じられる。
“黒舵”を起動すると、ボス部屋へ続く巨大な扉がゆっくりと開いていた。
部屋の中に広がるのは屍山血河の地獄絵図。積み上がる死体の山と、そこから漂うむせかえるほどの腐臭と鉄の匂いに心が折れそうになるが、どうにか意識を強く保つ。
その中にたたずむボロマントを纏った骸骨が、この30階層のボスだろう。
「不死の王……国一つを滅ぼすとされる強敵なのです。気を付けて――」
リンティの鑑定結果を聞き終わるより早く、王の足元の死体が次々と起き上がる。ゾンビやスケルトン、グールにマミー。上空には幽霊なども数多く集まってきた。
これらが一度に襲い掛かってくればまさに死者の津波、こちらの戦力が充実してきたとはいえ、まともにやりあえば一方的に吞み込まれるだろう。
ならば先手必勝、全力で最大火力を叩き込むのみ。
「神器解放、穿て“王の怒り”!」
風が渦を巻く。暴風を纏った神槍が、迫り来るアンデッドを蹴散らしながら、不死の王を撃ち抜かんとする。
だが、命中する寸前でその姿が掻き消えた。
「瞬間移動!? 拙いのです!」
追撃用の魔法を唱えていたリンティが、慌てて周囲を見回すも、不死の王の姿はどこにも見当たらない。
とはいえ、モンスターも迷宮のギミックの一部だとすれば、逃げたとは考えにくいだろう。
残ったアンデッドが次々と襲い掛かるが、先程の一撃で数を大幅に減らされたため、何とか対応できるのが幸いか。
アルトが正面から攻撃を受け止め、フィナとペコが魅入るような連携で敵を処理し、エリヤの退魔の奇跡とリンティの範囲魔法がアンデッドの群れを一気に蹴散らす。それでも敵は次から次へと起き上がり、再び襲い掛かってきた。
「キリがないですの!」
終わりの見えない戦いにペコが焦りの声を漏らす。不死の王の姿は見えない。
「魔力探査なら、不死の王の居場所もわかるかもです」
リンティが目に魔力を集中し周囲の魔力を探ろうとしていた。その隙を突くように、暗闇から伸びた骨の手がリンティの首根っこに触れる。おそらく即死魔法の類だろうか、物凄く嫌な気配がしたかと思うと、女神のケープの放った神器解放の光によって弾かれていた。
完全加護、持ち主の受けるあらゆる被害を一日一回だけ無効化する機能だが、これを序盤に使わされたのは痛い。
「なっ!?」
「ちっ、リンティ!」
“黒舵”を発動して不死の王の動きを封じようとするものの、すぐさま瞬間移動して姿を隠す。
そうして雑魚の中に紛れ込み、隙を突いて攻撃する……仮にも王が取る手段とは思えないが、これを何度もやられると鬱陶しい。
先に雑魚を始末しようにも、不死の王の魔力により倒れたアンデッドもすぐさま復帰してきている。
無限に起き上がる不死の軍団を前に、このままでは為す術もない。
「いったん退きます?」
「そうだな、仕方ない。みんな逃げるぞ!」
エリヤの提案に応じるように、ことさら大きな声で指示を出していた。対応力のあるフィナとペコがしんがりを務め、アルトと二人でリンティを庇うように後退する。
追撃してくるかと思ったが、不死の王は先程の場所に瞬間移動し、虚ろな眼窩で逃げる者の後ろ姿を見送っていた。
にやり、と思わず笑みがこぼれる。
「かかったな!」
その瞬間、ストレージから先程収納したアイテムを取り出す。指定範囲は元の位置、ある程度の距離ならばそれが可能なことは予習済み。
不死の王は目の前に現れた|神器解放状態のグングニル《・・・・・・・・・・・・》を避ける術はない。
すべてを穿つ神槍の一撃が、アンデッドの支配者の腹に風穴を開ける。
『ガアァァァァァァァァッ!?』
地獄の底から響くような咆哮を上げながら、それでもそいつは反撃に転じようとし、しかし、反転し駆け付けたフィナの一閃でその首を斬りおとされていた。
不死の王の肉体が塵に変わると同時に、残りのアンデッドも連鎖的に崩れ落ちる。
「え、勝ったの?」
わけもわからず呆然と事態を眺めていたアルトが目をぱちくりさせていた。
リンティも事態についていけていない。
「ど、どうやったのです?」
「まあ、簡単に言うとスキルの複合技だな。これを思い付いたのは昨日の事件が切っ掛けだけど、所有者権限があるならある程度離れていても……具体的には“黒舵”の範囲内ならアイテムを所持してるとみなしてストレージに入れられることに気付いた」
ストレージ内では基本的に時間が経過しないため、グングニルは神器解放状態で固定化される。それを見えない地雷として仕込んでおき、タイミングを見計らって取り出す。
一か八かの賭けだったが、ここまで上手くいくと清々しい。
「敵が消えた瞬間に咄嗟にその判断を?」
「ああ、そしてあいつの行動を見る限り、瞬間移動を連続で使用できないのもわかった。おそらく、10秒程度のクールタイムが必要だろう」
例え魔力に限度があっても、立て続けに使用できるならわざわざ一度隠れる必要はない。
「なるほど、それでグングニルを元の場所に戻して……でも、あいつが同じ場所に戻るという保証はなかったですよね?」
「それは賭けだな。まあ、わざと逃げる素振りをしたら、元の位置に戻るという予感はあった。階層跨ぎで敵の配置が綺麗に元通りになったのも見てるからな」
これは女神の迷宮がゲーム的な処理をしていたからこその確信めいた判断だが、どうやら読みは当たったようである。
とはいえあくまでも仕様の穴を突いたバク技のようなもの、本物の敵が相手ならそう上手くいくまい。
「しかし、一撃で仕留めきれなかったのは誤算だったな。フィナが反応してくれて助かった」
「ああ……だが、足に氣を集めて踏み込めば、一瞬で距離を詰められる。それを教えてくれたのは君だろう? それがなければ間に合っていたかどうか」
あっという間に氣に習熟する彼女に、なんとなく縮地法の使い方を提案してみたのだが……それをあっさりと習得してしまうところはやはり只者ではないのだろう。
そんなやりとりをしていると、ようやく女神の映像が姿を現す。
“驚いたわ、結構苦戦すると思ってたのに”
「毎回毎回苦戦してやる義理はねぇよ。それより、口調が戻ってるぞ」
“あ、いけない。よくぞ第三の試練を乗り越えました。新たに褒美を授けましょう”
今更取り繕っても遅い気がするが、どうやら皆は空気を読んでスルーしてくれたようである。約一名、にこやかな笑みを浮かべているのがいるが、もしかして最初から気付いているのか。
とりあえず、予定通りアルトの武器か盾を貰おうと思っていたが、しばらく考えて思いとどまる。
「これにしよう」
選んだのは鎖に繋がれた二本の短剣、名をミストルティンという。
「ペコ、お前にだ」
「私? 急にどうしたの?」
女神から受け取った神器を渡すと、彼女は満更でもなさそうに自分の得物を眺めていた。
「もうちょっと全体の火力を底上げしたいと思ってな。そいつは形態変化で弓にもなるらしいし、ちょうどいいだろ」
「……うん、ありがと」
ちょっとだけ照れたようにはにかみながら、ペコは神器を大事そうにしまい込む。
あとは女神と入れ替わるように現れたちびゴーレム4号から6号に家のアップグレードや畑の設置、鶏小屋の設置と人員配備を指示して迷宮を出ることにした。
「はあ、今回は思ったより楽だったな。この調子でガンガン行くか」
もはや見慣れた夕日を眺めながら、皆で今日の労をねぎらう。
氣を習得したフィナの強化など、昨日の失態が嘘のように得るものが大きい一日だった。この調子で次の40階層も突破したいところである。
とりあえず身体を休めるために家に戻ると、ちびゴーレム3号が頑張ったのか増築が完了していた。
敷地が倍になって庭が広がり、納屋が追加され、天井裏にも部屋が追加されている。さらに1階にも新しい部屋が追加されていた。一番乗りしたアルトが物珍しそうに珍しいデザインの部屋を見回す。
「この部屋は何? これって草の絨毯かな?」
「おお、和室だ! しかも八畳間か……床の間も押し入れもあるな。布団一式に……こっちには縁側もある」
我ながら珍しくはしゃぐ姿を見て、女性陣が顔を見合わせていた。なんとなく子供を見守る母親のような目になっている。
「この部屋が気に入ったならカイトが使うといい」
「ホントか!? ありがとう。あ、土足厳禁だから入るなら靴は脱いでくれ」
ホテルの和室のように小さな玄関があるので、そこで靴を脱いでぞろぞろと上がり込む。さすがに六人も入ると八畳間でも少し狭い。
「あー、異世界に来て畳の部屋で寝れるなんて幸せだな」
「あらあら、カイト君子供みたい」
「アルトさん、見てください。この机、脚が折りたたみ式になってるのです」
「ホントだ、面白いね」
寝転がって畳を満喫する横では、リンティ達がちゃぶ台を見付けて面白がっていた。
フィナも和室が気に入ったようで物珍しそうにしながらも堪能している。この部屋には彼女が一番似合っているかもしれない。
「これが師匠の言っていた畳か……なんだか落ち着くな」
「エルフの家も植物を使ってるって聞いたけど、こんな感じなのかな?」
ペコに関しては、嬉しいような寂しいような複雑な表情を浮かべていた。
母親がエルフらしいが、赤子の頃に引き離されて故郷のことは覚えていないらしい。それを思い浮かべているのだろう。
そのまま日が落ちるまで横になっていると、いつの間にか眠ってしまったらしい。食事の準備をしていたちびゴーレム2号がとてとてと小さな足取りで呼びに来て、ようやく誰もいないことに気付く。
「あの、ご飯なのです。みなさんお待ちですよ」
「ありがとう、メシにするか」
寝ぼけ眼をこすりながら、自室を出てリビングに向かう。
とりあえず、明日のためにも今は英気を養おうと、その日はたくさん食べて、久々の布団で眠りに就いた。
※
記憶の彼方に何か大事な忘れ物をしてしまっている。
そんな気がして、ふと夜中に目を覚ます。
「何だろう、この感じ……」
和室を与えられ、唐突に我が家が恋しくなったのだろうか。
そんなことはない、と自分に言い聞かせる。ホームシックになれるほど、あの家に自分の居場所などなかった。
母親は過去に囚われ家族のことを見ようとしなかったし、父親はそんな母親に愛想を尽かしほとんど顔を合わせることはない。顔を合わせたとしても、喧嘩にすらならないほど二人の間は冷え切っていた。
まあ、あまり構ってやれなかった自分も悪かったのだろう。あの出来事があってから、家族の心はバラバラになってしまった。
それが今は異世界で仲間と共に冒険している。個人的な目標はここでスローライフを満喫することだが、そのためにもまだまだ頑張らなければならない。
「カイトさん、起きてるのです?」
「リンティか?」
ふすまの外から声を掛けられ、慌てて返事をする。彼女がこんな時間に起きてるなんて珍しい。
おそるおそる部屋に入ってきた少女は、寝間着姿で謎の生き物のぬいぐるみを抱いていた。普段はちびゴーレム2号がやっている売店で目玉商品として置かれていたが、いらない素材などを売却して手持ちに余裕が出来たので買い与えたものである。
それにしても、こんな夜更けに何の用だろう。以前はエリヤがけしかけていたが、建物全体を探っても近くに彼女が隠れている気配はない。
「どうした? 眠れないのか?」
「すごく怖い夢を見たのです……カイトさんがいなくなる夢を」
月明かりに照らされたリンティの表情は、泣きそうなのか寂しそうなのか判然としない。そもそも自分がここからいなくなることはないだろう。いなくなるとすれば、それは彼女達の方である。
みんながここにいる理由がなくなって、そうなったとき、自分は笑って見送れるのかと疑問に思う。
「カイトさんの力、どんどん大きくなっている気がするのです。このままだと、もしかしたら……」
少女が何かを口にしかけて言葉に詰まる。不安を押し殺すように、ギュッとぬいぐるみを抱き締める手に力を込めていた。
彼女が言いたいことはわかる。他の皆も口には出さないが薄々わかっているのだろう。
この“黒舵”と呼ばれる力が本質的に魔王の力と変わらないことに。黒シリーズといったか、おそらく魔王も同じような力を有しているのだろう。使えば使うほど力を増しているのが自分でもわかる。生身の人間をストレージに入れたり、他人の魔法を操ったり。本来ならありえないような現象も引き起こし、いずれは世界の法則すら書き換える力に成長するとしたら。
その時、はたして自分は自分でいられるのだろうか。
とはいえこの力を頼りにしなければ魔王には勝てないことも。だからこそ、今まで彼女達はこの力に対して具体的に言及しようとはしなかった。
目的を考えれば致し方のないことのように思う。
それでも、いっそ魔王のことなんか忘れて、ここで一緒に暮らさないか。
そう言いたいのを堪えて、少女の胸に身体を預ける。それを口にしてしまえば、彼女は使命を諦めてしまうかもしれない。そんなことはないってわかっているはずなのに、自分のためにすべてを投げ出してくれるのを期待するのは思い上がりだろうか。
もう、誰かに期待するのはやめると決めたはずなのに。
「カイトさん?」
「俺には妹がいたんだ。生まれてすぐに死んじゃったけど、一度も抱っこしたり話したり、兄妹喧嘩もできずにいなくなっちまった。
俺はあいつのお兄ちゃんにはなれなかったんだ」
「カイトさん……」
突然の告白に戸惑うことなく、リンティが優しく抱き締めてくる。
エリヤが指摘したとおり、自分は彼女を失った妹の代わりにしていたのかもしれない。そうすることで、なれなかった自分を演じようとしたのだろう。
だけど、結局は兄として振る舞うことも、妹として扱うこともできなかった。
「リンティに出会って、もう一度お兄ちゃんをやろうって思ったんだ。でも、ずっと一緒にいることはできない。いずれこの力が君を傷つけてしまうかもしれないから」
「そんなこと……ないのです。カイトさんと一緒にいられる方法、私も考えますから……だから……」
言葉が続かない。外の世界がどうなっているかわからないが、自分が魔王と同じ力を持っていると世間が知った時、身近にいる人間にすらその矛先が向くとしたら。
たぶん、自分は魔王の道を選んででも彼女を守ろうとするだろう。世界を敵に回しても。
「ごめんな、いきなりこんなこと言っても迷惑だろ?」
「そんなことないのです。私も母を亡くしましたが、アルトさんやリーフさんや……フィナさんやペコさん、エリヤさんも。そしてカイトさんとも仲良くなれました。それでもたぶん、人は大切な人の代わりにはなれない。だからこそ、かけがえのないものなんです。それを守るために、私は私にできることを精一杯やりたい。少しでもこの世界から悲しみを減らすために」
少女の決意は固い。
おそらく、リンティは自分よりずっと大人だったのだ。出会った時からずっと。
本当は自分が年上の男として彼女を支えなければいけないのに、今は立場が逆転してしまっている。妹が死んだと聞かされた、8歳の頃の自分に戻ったように。
「ふふ、カイトさん子供みたいなのです。なんならお兄ちゃんって呼びましょうか?」
「…………」
「冗談です、お兄ちゃんなんて呼んであげません。だって、あなたは私の――」
続く言葉は聞き取れなかった。だけど、何を言いたいのかはなんとなくわかる。
世界を救うなんておこがましい。女神の思惑通り魔王を倒してやる義理もない。
それでも、彼女のためなら……彼女だけの勇者になら、なってもいいのだろう。
「もう少しだけこうしていていいか?」
「しょうがないですね……カイトさんは甘えんぼさんなのです」
年上の男を抱きしめながら、リンティは母親のように優しく微笑む。そうすることで、彼女自身も不安から解放されるように。健全な関係とは言えなかったが、それでも今だけはお互いを必要としていた。
その様子をはるか上空から見つめる影一つ。
「ふーん、新しい転移者が来たようだから見に来てみたけど……性悪女神も粋なことをするじゃない」
月を背に黒い羽を広げた少女のシルエットは、少しだけ何かを思案した後、くすりと微笑みを漏らす。
「勇者になるか魔王になるかまだ分からないけど、これで必要な鍵は揃ったのかしら。
だから――今度こそ私を迎えに来てくれるよね、お兄ちゃん?」
コロコロと鈴の転がるような音色で笑いながら。
羽を持つ少女はクルリと宙返りをし、夜の闇へと溶けていくのだった。