孤島の日々
翌日から改めて女神の迷宮の攻略が始まった。
十分な準備をした六人パーティは以前より安定感が向上し、11階層以降を前回以上のスピードで難なく突き進んでいる。
敵の強さからしてフィナ単独でもなんとかなりそうだが、リンティやアルトに経験を積ませる必要があるため、ある程度はこちらにも回してもらっていた。
もちろん、こちらとしてもグングニルの性能を試すには丁度いい。
命中精度も高く、投げても手元に戻る槍というのはすこぶる使い勝手が良かった。威力も手作りの槍とは比べ物にならない。
これで本来の力の10%程度しか発揮できていないというのだから、最終的にどこまで強化されるのか楽しみである。
もう一つ、神器には隠された力があるのだが、それは追々説明しよう。
「それにしても、女神の泉が少なくなったのは困るな」
ある程度予想していたことだが、女神の泉は12階、14階、16階と1階おきに設置されるようになっている。
いざとなれば女神の翼で脱出できるとはいえ、休憩の間隔が広がるのは冒険初心者にはなかなかの酷な道のりだった。
「それより、なんでこの辺の階層はスライムとかナメクジとかローパーとかうねうねしたのが多いんでしょう」
リンティをはじめ女性陣がうんざりしているのは、これらの不定形モンスターがやたらと増えたことである。たまに小悪魔等の姿も混じってたりするが、こちらはこちらでエッチな気分にさせる魅了や誘惑といった精神攻撃魔法を使ってきたりするので、相乗効果もあって大変なことになっていた。
皆が被害を受ける中、何故かエリヤだけは何事もなかったりするが、これも幸運【A】のお陰だろうか。
それはさておき。
「この様子だと、ボスはスライムキングとかなんだろうか?」
スライム系はフィナの刀が効きにくいため、巨大なスライムがボスだと火力不足に陥り苦戦は免れない。
これも挑戦者に合わせて形を変えるという女神の迷宮の試練なのかもしれないが、案の定というか女性陣には大不評である。
中でも触ると火傷するマグマスライムや、触ると麻痺するスタンスラッグなど、文字通り搦め手で来られると厄介な相手は魔法などで対処したり、グングニルで遠距離から処理しないといけなかった。
それでも、対処法がわかれば苦戦するほどではない。
メタルエスカルゴなど異様に防御力が高い相手の方が時間がかかって面倒なくらいである。
「やっと着いたわね」
ようやく20階層のボス部屋の扉に辿り着き、ペコが疲れた表情を引き締めていた。
盗賊という職業柄、迷宮探索ではどうしても矢面に立たされる彼女は必然的に狙われやすい。それでも、持ち前の勘と反射神経で罠をかいくぐってきているのはさすがというべきか。
「これが終わったら帰って水浴びでもしたいわね」
「そうね、わたくしも汗だくになっちゃった」
応えるエリヤは、わざとなのか神官服の胸元を大きく開けて涼んでいる。
からかっているのかよくわからないが、ここまでの道中でわりと欲求不満がたまってるのでやめていただきたい。
「準備はいいか?」
「いつでもオッケー」
皆の反応を確認し、今回も“黒舵”でボス部屋の扉を開く。
アルトとフィナを先頭に、何が起きてもいいように警戒し、来るべきボスとの戦闘に備えていた。
「って、ただのプール?」
目の前に現れた光景に、アルトが素っ頓狂な声を上げる。
そこに広がっていたのは何の変哲もない水の張った円形のプールだった。そこそこ広いが特に深くもなく、水の中に何かが潜んでいる様子もない。
だが、ハズレというわけでもないだろう。
ペコも何かに気付いたように耳をピクピクさせて警戒していた。
「気を付けて! 何か変!」
「……ッ、そういうことか?! これ自体がスライムだ!」
言うや否や、プールの水面が生き物のようにざわついたかと思うと、津波のように形を変えこちらに襲い掛かってくる。攻撃範囲も広く形も不定形なうえ、ほとんど透明なため非常に避けにくい。
フィナも辛うじて応戦してるが、これまでのスライムより柔らかいのか、攻撃がほとんど効いていなかった。
「こうなったら魔法で焼くしかなさそうだが……」
「鑑定結果はヒュージクリアスライム。属性は水、炎ではあまり有効打を与えられそうにないのです」
となるとグングニルの力を使うしかないが、それだけでは決定打に欠ける気がする。
スライムの体内には核のような器官があり、そこを壊せば溶けて消えるのだが、これだけ透明なのにそれらしいものが見つからない。あるいは、それすらも透明なのだろう。
ならば、と。
「エリヤ、何か染料になるようなものは持ってないか?」
「どうして私に?」
「錬金術用の道具を持っているなら、何かないかと思ってな」
「劇薬とか睡眠薬とか媚薬とかならあるけど、生憎と染料になりそうなものはないわね」
「なんでそんなもの持ってるんだよ……」
本当に聖職者なのか疑いたくなるが、ないものは仕方ない。
「毒で攻撃しちゃ駄目かしら?」
「いや、下手をすれば敵の攻撃に毒が追加される可能性がある。あるいは消化液と反応して、有毒ガスが発生するかもしれない」
一度出直して墨汁でも用意するか、と思案していると、一瞬の隙にアルトがスライムに吞み込まれる。
いくら耐久お化けでも、窒息ダメージに酸のダメージが加わればいつまで持つかはわからない。
「アルト! もう、どうすんのよ!」
「染料があればいいんだな?」
こちらの会話を聞いていたのだろう、フィナがおもむろに自分の手首を切る。流れ出る赤い血がスライムの巨体を赤く染め上げていくが、これだけの体積を相手には心許ない。
「お姉様!」
「無茶だ! それ以上は……」
エリヤの奇跡でも回復には限界がある。ペコが止めに入ろうとするが、それでも彼女は構わず血を流し続けた。
一瞬だけ、スライムの体内でキラリと光る何かが浮かび上がる。透明な球体、それこそスライムの核だろう。
「見付けた! ッ、神器解放! 穿て“王の怒り”!!!」
即座にグングニルの力を解放する。これぞ一日一回しか使えない大技、それにより本来の形と力を取り戻した神器の穂先からすさまじい風が巻き起こっていた。
嵐のような暴風を纏う神槍は、投げ放たれると同時に一直線にスライムの核へと突き進み、まるで水風船でも割るかのように軽々と貫いていく。
遅れて発生した衝撃波が、その圧倒的な威力を物語っていた。
反動が大きいため、事前の打ち合わせでリンティやエリヤに防御指示を出していなければ、こちらもただでは済まなかっただろう。
「ぴぎゃっ!? いててて……もー、なんなの?」
「アルトさん! 大丈夫なので……す?」
約一名、スライムごと吹き飛ばされて地面に叩き付けられたのがいるが、粘液まみれのわりに思ったより元気そうである。
リンティが慌てて駆け寄るが、べちょべちょになった姿を見て一瞬ドン引きしていた。
「お姉様! しっかりしてください!」
一方、フィナはそれどころではない。
倒れそうになるところをペコが慌てて受け止め、駆け付けたエリヤが必死に回復の奇跡を施す。
「ポーションだ、飲めるか?」
「ああ、すまない」
ストレージから取り出したポーションを飲ませようとするが、慌てているせいか上手くいかない。傷口に振りかければ傷を塞ぐことができるかもしれないが、失った血を取り戻すには時間がかかる。
「貸して!」
手間取っているのを見かねたペコがポーションをひったくると、ためらいなく自分の口に含んでいた。
フィナの唇に自分の唇を重ねると、ゆっくりとだが確実に赤い液体を流し込んでいく。
やがて、一瓶分を飲ませ終わると、フィナの血の気が少しだけ戻っていた。
「お姉様、大丈夫ですの?」
「ああ、助かった。もう問題ない」
ふらふらとした足取りながらも、彼女は何とか立ち上がる。やせ我慢ではあるのだろうが、すさまじい気迫と根性だった。
「敵は倒せたのか? なかなかやるな」
「ああ、あんたと神器のお陰だけどな」
「使えるものをどう使うかもそいつの実力さ……素直に喜べ」
言って拳を突き出してくる。青春物語とかでよく見る光景だが、自分がその片割れになるとは思いもよらなかった。
本当の仲間として認められた、ということでいいのだろう。これほどの使い手に褒められて悪い気はしない。
拳を合わせると、フィナの手が思ったより華奢なことを実感してしまう。男勝りで力も強いが、それでも女の子なのだ。あんな無茶は二度とさせたくない。
「むー、なんかもやもやしますの」
「ペコもありがとうな、心配かけた」
「ふにゃーん、お姉様~♪」
二人の友情劇を見せつけられていたペコも、姉と慕う女性に頭を撫でられて猫撫で声を漏らす。
“そろそろいいかしら?”
ようやく落ち着いたのを見計らったように、女神の幻影が姿を現していた。どうやらポンコツでも空気は読めるらしい。
「アスタリテ様!?」
「これが……女神?」
初見の三人は驚いた顔をしているが、鼻眼鏡さえなければ神々しく見えるのだろう。
“よくぞ第二の試練を乗り越えました。褒美に好きな神器を一つ授けましょう”
前回と同じく、女神の周囲に神器の映像が浮かび上がる。こんなの持ってるくらいなら、最初からくれればいいのに、とは口には出さない。
「どうする? 今回はフィナに譲ろうと思うのだが……」
「いや、私は遠慮しておく。少なくとも剣の道を究めるまでは、こいつを使っていたい」
フィナは自分の刀を掲げてみせる。おそらく師匠の形見なのだろう。一番の功労者である彼女に断られてしまっては、残念だが致し方ない。
現状能力的に不安なのはリンティの耐久面とアルトの攻撃面である。本来ならエリヤが一番狙われやすい職業なのだが、何故かほぼ無傷なので今回は除外しておく。
「リンティの防具かアルトの武器か……」
「それなら、リンちゃんの防具にして」
「そうだな……なら、この女神のケープか」
アルトの申し出に従いリンティの防具を選択することにした。物理は勿論、属性攻撃や状態異常に対する耐性を大幅に高める小型の外套は、必ずや彼女の身を守ってくれるだろう。
アスタリテは女神のケープを授けると、そのまま無言で掻き消える。
あとに残された二体のちびゴーレムが、その後の説明を引き継いでいた。
「あの、ちびゴーレム2号です……」
「3号だ、早速だが建築の時間だぜ!」
女の子型のちびゴーレムと、安全メットを被ったちびゴーレム。二人とも思ったよりまともなしゃべり方で安心する。
「旦那は今、200/300の建築ぽいんとを残してるぜ。これを消費することで、家を建てたり、公共設備を充実させたりできる」
「ふむ、これからは自由に建築できるのか」
「その通り、畑を作ってちびゴーレムを割り当てたり、従来の建物をあっぷぐれーどしたりもできる。最初は出来ることも少ないし、難しく考えなくてもいいけどな!」
液タブのような魔法の道具を渡されて色々見てみると、上位の建築物にレールガン砲台やら電磁シールドやらが見えるのだが、これらを使う時が来るのだろうか。
とりあえず、小さな家(100pt)と小さな売店(100pt)を選択しておく。
「いい買い物したな! じゃ、すぐに建てちまうぜ!」
そう言って3号はとっとと迷宮から出て行った。こちらも残された2号を連れて、みんなと一緒に迷宮を出る。
外は夕暮れ、相変わらず迷宮から出ると時差ボケのような感覚に襲われるが、女神の迷宮では時間の流れが違うらしいから致し方ない。
※
ちびゴーレム3号の突貫工事によって出来上がった建物は2LDKの平屋だった。
6人で住むには少し手狭だが、丸太小屋よりはマシだろうか。
「アッサムの住んでる小屋より小さいのです」
ダージュ伯爵家の飼い竜はなかなか贅沢な暮らしをしているようだが、内装は洋風の普通の家といったところである。
電気こそ使わないものの、各部屋に魔法の照明も備え付けられ、割と近代的だった。
「これ、下手な地方領主の邸宅よりも充実した設備じゃないかな?」
キッチンや給湯器もオール魔法化といいことづくめだが、中でも女性陣に一番好評だったのは、水洗トイレの存在である。島暮らしでは色々不便だったらしい。
「自動で水が流れるなんて最先端の魔法式トイレじゃないの……羨ましい」
中でもペコは感心しきりだった。
どうやら彼女はハーフエルフの出身ということもあって、相当な貧乏生活を送っていたらしい。盗賊に身をやつし、スリや盗みで生計を立てていたが、住んでいた町に立ち寄ったフィナに一目惚れし、一緒に旅をするようになったのだとか。
だからといって、水洗トイレを延々と眺められても困る。
「寝室にはダブルベッド1台と普通のベッドが2台か……丸太小屋から1台運んでこよう」
「あら、2台ともじゃないの?」
「俺はあっちで寝る。こっちは女性陣でよろしくやってくれ」
「そんなつまらな……あ、違った。寂しいこと言わなくてもいいのに」
さらっとエリヤの口から本音が漏れている気がするが、神官のくせに何を考えているのかわからない。
そういうお約束が面倒だから別々に寝たいのだが。
「じゃあ私があっちの丸太小屋に泊まろっかな?」
「ちょ、何言ってんのよエリヤ!」
「そうなのです、それなら私がカイトさんと……」
「リンちゃん!? お姉ちゃんは許しませんよ!」
案の定というか、引っ掻き回されてわちゃわちゃしてきた。それを見て、エリヤは楽しそうに微笑んでいる。
正直どこまで本気なのかわからない。
「いいから、とりあえず今日はフィナのことも心配だし、エリヤはこっちにいてくれ」
「はーい♪」
思ったより素直に引き下がる。やはり、冗談だったのだろうか。
一度丸太小屋まで戻り、ストレージにベッドを詰めて戻ってくると、厨房からいい匂いがしてきた。どうやら、ちびゴーレム2号が料理をしてくれているらしい。
難破船の物資に小麦粉やジャガイモなどもあったが、ここまで色とりどりではなかったと思う。
「どこからそんな食材集めたんだ?」
「あの……森に自生している野草とかキノコとかを……魚は1号さんが……」
大人しい性格なのか小さな声で説明してくれるが、自生している香草などでこれだけの色合いが出せるものだろうか。
まあ、ファンタジー世界なので知らない食材もあるのかもしれない。
「食事は一緒にするんでしょ?」
「うん、折角だし頂くか」
ここしばらくは干し魚や蛇肉ばかりだったので、まともな食事はありがたかった。
パンと蒸かしたジャガイモと野菜と魚介のスープ、質素だが贅沢は言ってられない。
ここにフィナがいないのは残念だったが、寝室で安静にしている彼女に遠慮していては後で気を遣わせるだろうし、明日の元気も出せないだろう。
「いただきます」
「お姉様とおんなじことするのね」
手を合わせて挨拶するのは日本人故か。
おそらくフィナも師匠から教わったのだろうが、ペコが少しだけ寝室の彼女を心配する素振りを見せる。
あとでベッドを運び込むついでに様子でも見ておくとしよう。
「そう言えば、エリヤはどういう経緯でこの島に来たんだ? ダージュ家とは関係なさそうだが」
「私? 話せば長くなるんだけど、私は元々ペコちゃんと同じ街で暮らしてたのよ。姉や妹と一緒にね」
彼女が言うには、もともと近所で育ち、子供の頃から一緒に遊んでいたという。成長してからはエリヤは見習い神官として教会に奉公に出て、ペコはいつの間にか裏家業に身をやつしたらしい。
それでも腐れ縁からか二人の交流は続いていたようである。
「幼馴染なのか……どうりで仲良さそうに見えた」
「別に仲良くなんてないわよ、エリヤが一方的に世話焼いてくるだけ。ほらそこ、笑わない!」
「うふふ……でも、疎開先で再会できるなんて思わなかったわね」
ペコがフィナを追って旅立った後、彼女達が住んでいた街にも魔王の魔の手が及んだらしい。女子供などは優先的に疎開させられ、エリヤは姉妹と一緒に避難先のダージュ領の教会に身を寄せていたが、リンティ一行の女神の島探索の噂を聞き付け、アスタリテ神官として部隊に志願したのだとか。
「そしたらびっくり、ペコちゃんがいるんだもの。それに、アルトちゃんとも少し面識があったのよ」
「でへへ……訓練で怪我した時、教会で何度か治療してもらったんだ」
「なるほど」
体力バカのアルトを怪我させるほどの訓練というのが想像もつかなかったが、五人の関係はだいたい把握できた。
これからも女神の迷宮を一緒に探索するなら、知っておいて損はない。
「ごちそうさま、そんじゃベッドを置いて帰るか」
「あら、もう帰るの? どうせならお風呂も入っていけばいいのに」
「しかしだな……」
しばらく風呂に入る機会もなかったので、少し匂うのも確かである。だが、女だらけの家で風呂を借りるというのも気が引けた。
言い出しっぺのエリヤが何か企んでいそうなのもある。
「別に何も企んでないわよ♪」
「いや、お前、絶対心読んでるだろ」
結局、押し切られる形で風呂に入ることになってしまった。
だが、久々のお風呂はやはりいい。魔法式の風呂は水と火の魔石を組み合わせて温水を出したり、追い炊きしたりできるのだが、これらの設備をそろえるだけでも一般家庭では手が届かないという。
「最初は島暮らしなんてどうなるかと思ったけど、意外と楽できそうだな」
そのためには命懸けで迷宮の試練を突破しなければいけないが、今のところ何とかなっている。これからどうなるかはわからないが、行けるところまで行ってもいいだろう。
これで魔王などという面倒な要素さえなければ、こっちの世界も悪くないと思えるのだが。
「じゃあ、そろそろお背中流しますね」
「うん、知ってた」
風呂場に神官服の前掛け一枚のエリヤが堂々と入ってくる。ある程度予想していたので、今更驚くほどのことはない。
「もう身体は洗い終えたし入ってくんなよ」
「そんな! 勇者様に奉仕するのはアスタリテ神官の使命なのに!」
「別に勇者じゃないし、勇者になるつもりもないんだがな……」
この外堀を埋めよう感が実にお約束でめんどくさい。
個人的には勝てる見込みのない戦いはしない主義だし、話を聞く限り現状では勝てる見込みは万に一つもないだろう。
こちらはなるべくレベルを上げられるだけ上げて強敵に挑むとか、石橋を叩いて壊すとか慎重すぎるプレイスタイルなのである。
当然、手を出すと後々面倒になる相手に手を出すつもりもない。
「というわけで帰れ」
「一緒に入るくらいいいじゃない、減るもんじゃなし」
「それは女が言うセリフじゃないだろ……まあ、一緒に入るくらいなら別にいいが」
「え? あ、あら? いいの?」
「風呂に入るだけだろ? 別に構わんぞ」
意外と攻められるのには弱いのだろうか。
エリヤは少しだけ躊躇する素振りを見せる。顔が赤いのは熱気のせいか。しかし、ここで畳み掛けてはいけない。
「嫌ならいいんだ、忘れてくれ」
「…………」
引いてみせたことで、彼女には二つの選択肢しかなくなった。すなわち出ていくか、このまま残るか。
ここで重要なのは、選択肢を提示するのがこちらということだ。それにより、場の支配権が移る。もしこのまま出ていくなら、こちらの思惑通り完全勝利となり、仮に一緒に入ることになってもそれ以上何かするようだったらこちらが出ていけばいい。
しばらく迷ってからエリヤは前掛けを脱ぎ捨て、軽く湯あみをしてからおそるおそる湯船に入ってくる。
フィナほどスタイルはよくないが、なかなかにふくよかだ。普段は露出の少ない神官服に身を包んでいることもあり、多少の背徳感は否めない。
ただ一つ気になることは。
「その耳に……尻尾もか。エリヤも獣人だったのか?」
おそらく犬のそれだろうか。この世界では亜人がどういう扱いを受けているのかはわからないが、普段から隠しているということはそれなりの理由があるのだろう。
「はい、普段は神官帽で隠してますけど……あの、私の身体、変じゃないですか?」
「ん、普通に綺麗だと思うが」
「そうですか、あはは……」
これを見せたかったのだろうか。わざわざ風呂にまで入ってくる必要はなさそうだが、腹を割って話したかったのだということにしておく。
「そう言えば姉妹がいるんだよな。兄弟ってどんななんだ?」
「んー、姉はちょと変わり者で、魔法使いなんだけど魔術師と違って何処にも仕えず、祈祷師みたいなことをやってるの」
この世界の冒険者以外の魔法使いは基本的に文官や役人になることが多く、貴族が嗜み程度に魔法を覚えるのは別として、彼女の姉のような野良の魔法使いは珍しいという。
かといって冒険に出る訳でもなく、基本的に家でゴロゴロしてたまに訪れる客の相談に乗っているらしい。
ちょっとだけ自分と似たような境遇で申し訳ない気持ちになってくる。
「まあ、妹はしっかり者だから、よく姉の面倒を見てくれるのだけど……まだ幼いから心配なのよね」
「リンティみたいなのか?」
「お姫様もしっかりしてるけど、うちの妹はどちらかというとちゃっかりって感じかしら? それで生意気だと言われることもあるみたいだけど、大人相手でも臆したりしないのよね」
なんとなくわかるようなわからないような。
疎開先に残してきた二人の姉妹のことを思い出してか、エリヤは少しだけ真面目な表情に戻っていた。
「もしかして、あなたは弟さんか妹さんがいたりする?」
「いない……な。どうして?」
少しだけ逡巡して正直に答える。嘘は吐いていないが、それをどう受け取ったのか。
「お姫様と接するとき、少しだけお兄さんみたいな感じがしたから。弟さんか妹さんがいるのかなって……」
「そうか……たぶん、俺はリンティを妹みたいに思ってるんだろうな」
「ふふ、あの子も慕っているようだし、いいお兄ちゃんじゃないかしら」
でも、と言いかけてエリヤは口を噤む。
何が言いたかったのかはわからないが、それ以上は踏み込んでこない。
「ところで、カイト君の世界では、男女が一緒のお風呂に入るのは普通なの?」
「まあ、一応混浴温泉とかもあるしなぁ」
「おんせん?」
「俺のいた国は火山が多いから、自然に温水が湧き出す場所も沢山あるんだ。露天風呂とかも色々あるし、街中には銭湯っていう公衆浴場もある」
「へぇ、そうなのね。こっちの世界の火山なんてモンスターが多いから近付く人は少ないんだけど……混浴温泉かぁ。なんだか楽しそうね」
いいこと聞いたとでも言いたげに、彼女は目を輝かせる。そのうち温泉でも掘り当てて温泉旅館の経営でも始める気だろうか。
「みんなで一緒に入る温泉ってのもいいんじゃないかしら」
なんだか余計な知恵を与えてしまった気がするが、確か建築メニューに公衆浴場もあった気がする。
そのうち余裕があるなら建ててもいいだろう。
「それじゃ、俺はそろそろ上がるかな」
「あら、行っちゃうのね」
さすがに長湯し過ぎたので先に出る。エリヤも今日のところは満足したのか、それ以上は追ってこなかった。
※
翌朝目覚めると、日課になった海岸の散歩に向かう。
適当にぶらついていると、砂浜で素振りをするフィナの姿が見えた。
「おはよう、もう大丈夫なのか?」
「おはようカイト、お陰様で見ての通りピンピンしてるぞ」
顔色も元に戻ったのか、屈託のない笑顔を返してくる。どうやらやせ我慢ではないらしい。
「それよりカイトもどうだ? 朝から汗を流すのも楽しいぞ。
それとも、これから一戦お手合わせ願えるか?」
「どっちも遠慮しておく」
病み上がりだというのになかなかの脳筋っぷりである。しかし朝から無駄な体力を消耗しては、迷宮の探索にも支障が出るだろう。
だが、万全を期したつもりでも詰めが甘かった。
その日の迷宮探索では、不慮の事故により途中撤退を余儀なくされたのである。